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「イネイト・インテリジェンスとは何か?」第3回
イネイト・インテリジェンスを探して (2)

連載「イネイト・インテリジェンスとは何か?」第3回イネイト・インテリジェンスを探して (2)

大陸合理論・デカルト

 17世紀にデカルト、スピノザ、ライプニッツなどが、大陸合理論というものを唱えた。大陸合理論は英語でContinental Rationalismである。ヨーロッパ大陸で発展したため、大陸がついている。rationalismは理性論、理性主義のことで、理性は英語でreasonであるので、合理論というのは、いわゆる我々の言う道理や論理に適ってという合理的とは違って、理性第一主義という感じである。

 理性というのも、古くは古代ギリシャ哲学から始まってプラトンで確立された。哲学ではいろんな定義があるが、理性は感情を抑制するものではなく、混沌とした闇に調和と秩序をもたらす光みたいなものとされている。悟性や知性などを含んでいる「理=ことわり」の性質のような感じである。

 要するに、大陸合理論は生得観念説を軸として、非理性的、経験的、偶然的なものを排除し、理性的、論理的、必然的なものを尊重する立場であり、理論的にも実践的にも理性によって一切を割り切ろうとする立場。また、数学的真理を原型とする論証的知識を重んずるのがその一般的傾向で、思考する自己を絶対真な前提とし,ここから出発して演繹的推理を誤りなく行うことで、結論・真理に達しようとする思考方法である。

 ルネ・デカルトは、フランスの哲学者で理性主義哲学の祖とされている。彼は非常に強い理性主義を唱え、「我思う、ゆえに我あり Cogito ergo sum」という理性を基本とし精神と物質を区分した二元論で、精神による数理的な表現に、すべての物質は還元できるという機械論的自然観により、経験などにとらわれることなく、誰でも再現可能な科学というものの素地をつくった。

 この頃は哲学、物理学、数学、生物学というような区分の別々の学者がいたわけでなく、一人の学者がすべてを考えていた。デカルトの場合、数学の座標や論理学の演繹法、物理学ならば慣性の法則、運動量保存則など、また、生物学の反射や目の仕組みと運動の関係などによる身体機械論など、いろいろな理論の元となる考え方を提示している。医学では特に解剖を好み、生理学に対する造詣も深かった。哲学では『方法序説』 『情念論』 『省察』などが代表的な著作である。医学関係ではデカルト医学論集(「人体の記述」などを含む)が出版されている。

 生得観念については、デカルトにとって、自分の意識にとって最も確実ではっきりしているものは、自己意識の存在ということになる。そのなかにある様々な観念(観念とは、主観によって意識される、何かあるものに関する、ひとまとまりの認識の内容)、つまり、実体、数、形、位置、運動といった物質的存在に関する観念(=生得観念の対義観念)については、それが自己意識の働きと、その想像力によって生み出されたと考えても矛盾は生じない。

 しかし、そうした自己意識のうちにある諸観念のなかでも、無限性や完全性といったある種のいわゆる超越的な観念については、それが元々不完全で有限な人間の自己意識の力のみによって、後天的に生み出された観念であると見なすことはできないと話が展開していく。

 要するに、不完全な人間が完全性なんてものを思いつくわけがないということで、思いつくわけがないので生まれつき持っている観念だということになるわけである。

 そして、この観念はもともと無限性とか完全性を有したものを源として生じているのだから、完璧なものだということになり、我々は神のような100%の観念を生まれつき持っているということである。平たく言えば、生得観念は本来生まれながらにすべてを知っていると言っているようなもので、知性が未発達なうちは、それが理解できないと言うことになる。

 つまり、生得観念は二元論の一方である精神の基盤とも言える。また、デカルトが二元論の自我と延長(延長とは物体の空間上の広がりのことで、感覚的に自明なものしての物体の長さ、広さ、深さなどのこと)を実在とした根拠は、神が自然界をつくったのだから偽物なわけがない。また、精神も神に由来するのだから、神が我々を騙すわけがないので実在だとかいう感じである。これは当時、おそらく我々が科学的というものを信じるのと同程度常識だったことだと思う。

 この延長、つまりは物質もまた神がつくったものであるから、本質的に十全なものだということらしく、そこにも神の叡智が宿っているはずであるから、そこにイネイト・インテリジェンスがあると言っても良いかもしれないが、こちらの基盤は明確ではない。

 本来、二元論というものは、物質に対してそれ以外の何物かがあるわけで、本質的に生気論と言える。ただ、この二つのものには結びつきが明確ではない。この精神と物質(人体を含む)の断絶を「デカルトの切断」と言ったりする。いわゆる心身問題の元になり、いわゆるデカルト劇場を生み出すこととなった。ひいては、映画のマトリックスの世界のように夢や幻と現実に、明確な区別がつけられるか怪しいということでもある。

 では、デカルトは心身の合一をどう考えていたのかと言えば、デカルトとボヘミア王女エリーザベトと間の往復書簡にその考えが残されている。エリーザベト王女の「人間の精神は、いかにして身体の精気が意志的な運動をするよう決定しうるのか、どうかお教えください」という問いは、先に指摘した心身問題でもある。これに対してデカルトは「精神と身体との合一を理解するようになるのは、生と日常の交わりだけを用い、省察したり想像力をはたらかせるものを研究したりすることをさし控えることにおいてです」と言っている。

 要するに、一般的な日常生活においては心と身体は一つのものだいうことである。つまり、デカルトは自身の哲学における考察から導き出された心と身体が全く別なものという帰結が、日常生活を超越した世界=学問における理論の世界のことであって、我々の日常生活に直接適用できるものではないということは、デカルト自身もよくわかっていた、

 デカルトは身体の弱かったエリーザベト王女からの病気や健康の相談に対しても、自分の学んだ医学から以下のようなアドバイスをしている。

・「節食と運動という治療法は、私の見るところ、すべての治療法で最良のものです。しかし、もっと良いのは精神の療法です」(1644年7月10日)

・「微熱の最も通常の原因は悲しみです」(1645年5月18日)

・「精神が喜びに満たされているときには、それは、身体の調子が一層よく、現前のものが一層快く見えるようにするのに、大いに役立ちます」(1646年11月)

 これらを見てもわかるように、デカルトは通常の生活では「心と身体は一つのもの」と考えており、精神が身体に大きな影響を及ぼすことを理解していた。

 デカルトの「情念論」は、先のエリーザベト王女のもっともな疑問に、正面から答えようと苦悩した挙句できたものであると言われているが、心身の断絶を打ち消すことはできなかった。

 「情念論」では松果腺からの動物精気が神経を動かし、感情が生じるとした。デカルトはこの動物精気とは霊体ではなく、血液のような流動物質であると考え、生理学的に説明できると考えていた。

 デカルトは、動物は単なる機械だと考えていたが、人間と動物の違いは精神(魂・理性)の有無にあり、人間だけが精神(理性)を持っている証拠は人間のみが言葉を話すからであるとした。これはおそらく新約聖書「ヨハネによる福音書」第1章の「初めに言葉ありき」に由来し、創世は神の言葉(ロゴス)から始まった。言葉は即ち神であり、人間だけが持つ特別な精神(理性)によって、神の言葉である聖書を理解できるという感じである。

 この精神を意味する英語のスピリットspiritは、元々ラテン語の spiritus (息、呼吸、魂、勇気、活気などの意)に由来し、古典ギリシャ語のプネウマや プシュケー(希: 大いなるものの息の意)と同義である。端的には生命の息吹のような意味で、要するに呼吸のことである。呼吸が生命の証であり、身体を動かす原動力と考えられていた。プネウマやプシュケーは、生命のみならず、心や魂、智慧や徳の座とも考えられており、このような考えのもとに生気論が生まれることになる。

 また、精気とは古代ギリシャのヒポクラテスの医学やアリストテレスの哲学を医術に応用し、その後、医学の祖となった古代ローマのガレノスの生気論に見られる概念で、肝臓にあって栄養の摂取と代謝を司る自然精気、心臓にあって血液と体温を統御する生命精気、脳にあって運動知覚感覚を司る動物精気の三形態をとるとした。

 デカルト以前、動物精気は生き物を活動させている要因で、物質とも魂ともつかないあいまいな存在であったが、デカルトはこれらを自分流に解釈し直して三つの精気を「動物精気」に統一し、それが細かい粒子状の物質で、これが体内を巡ることにより、精神と身体は互いに関係し合うと考えた。デカルトは医学にも精通しており、特に解剖・生理(治療法や薬効)に関しての著作を残しており、人体そのものは機械として説明できると考えた。

 いわゆる機械論であるが、要は因果関係を認める決定論である。しかし、この世の誰もがアルミニウムの原料のポーキサイトや、ガラスの原料である硅砂などから、数億年あれば自然にスマートフォンが組み上がるなどとは思わないであろう。まして、人体を機械だとしても、人体を原材料から自然に機械として組み立てるなど不可能であるのは言うまでもない。

 と言うことは、人体を代表とする生体すべては大いなる叡智によって組み上げられたと考えるのが妥当であろう。人体を機械と考えた場合、重要なのは霊魂の有無ではなく、誰がその機械をつくり上げたかということである。デカルトの当時であれば、それは間違いなく神であるということになろう。

 つまり、精神に生得観念があるように、人体にも生得的な叡智があり、それによって精妙な身体の機能を統括、修復していると考えても不思議ではない。思うにイネイト・インテリジェンスという概念は、この精神と肉体を結ぶものであると考えられるが、デカルトの立場ではそれを明確にできなかったと言える。

 デカルトは人体を一種の機械と考え、数々の生命現象を一般の自然現象と同じように説明した。痛みもその一つである。「省察」のなかで次のように記している。

 「私が足に痛みを感じるのは全く同じことであって、自然が私に教えたところによれば、その感覚は足に分布している神経によって生じるのである。即ち、この神経は足から脳まで紐のように伸びており、足において引っ張られると、脳の最奥の部分を引っ張り、この部分のうちに一種の運動を引き起こすが、この運動が痛みを、足に存在するものとして精神に感じさせるよう、自然によって仕組まれているのである」 「例えば足にある神経が強烈に、かつ異常な仕方で動かされるときには、その神経の運動は脊髄を通って脳の最奥の部分にまで至り、そこで精神にあるものを、即ち足に存在するものとして痛みを感覚せしめる合図を与えるのであり、この合図によって精神はその痛みの原因を足に有害なものとして、できる限り除き去るよう促されるのである」

 つまり、意識的であるか否かにかかわらず、精神が身体の健康を担っているということであり、ここにイネイト・インテリジェンスの原型があるように思われる

 脳の最奥の部分とは松果体のことで、彼はここが精神と肉体をつないでいると考えた。デカルトは痛みを感覚と見なしており、その後に著した「人間論 」や「人体の記述」には、「もし例えば、火が足に近づくとご存知のように非常な速さで動く火の微粒子が、それが触れる皮膚の点を動かす力を持っている。これは皮膚の点に付着したデリケートな紐を引っ張ることを意味し、このデリケートな紐の終わる脳室につながる神経の終末に小さな孔を同時に開くことになる。

 そして「動物精気」が管状の神経に流れ込むと、足を引っ込めて火を避けようとする反射が生じる。「動物精気」はまた脳室から松果体に入り、意識を引き起こす。それはあたかも教会の鐘のようにロープの一端を引っ張ると、塔の上にぶら下がった鐘を同時に打つのに似ている」 「ロープを強く引くほど、鐘の音は大きくなる」というような説明がある。これは、いわゆる侵害受容反射である。

 デカルトはこの神経の紐の動きを感覚の質と関連づけた。即ち眠っているときには神経の紐が弛んで感覚がないが、目を覚ますとそれが緊張して体のなかで起こる動きに反応するようになる。緊張がさらに高まると、くすぐったい感じや快感が起こり、一層緊張が高まって、遂に破裂すると痛みが起こる。これが脳、特に松果体で知覚されると考えた。ここにトーンの原型があるように思われる。

 ただ、デカルトは人間を完全に機械だとは思っていなかった。人間機械論はデカルトからおよそ百年後にラ・メトリー(注1)によって提唱された。

【デカルトの逸話】

 三つの神秘的な夢の話と女性好きであったという話は省く。

 デカルトは22歳のときにオランダの軍隊に入っている。しかし、休戦が続いていて暇だったようである。そして、翌年ドイツで三十年戦争が起こったのを知り、わざわざこれに参加した。剣の腕は一流であったと言われており、恋敵に襲われたこともあり、このときは相手の剣を叩き落として勝っているが、相手を殺しはしなかった。

 元々デカルトは『剣術』という論文を書いていたが、これは散逸している。内容は二部からなっていて、いろいろな条件のもとで、どう闘うのがいいか書かれていたらしい。つまり、様々な身体の使い方を考えていたということである。まあ、幼少期に病弱であったデカルトが強さに憧れるのは、男子ならよくあることであろう。この頃の剣の主流は、レイピアという片手持ちのしなりのない細身の剣だが、1.3kg程度で結構重い護身用の武器である。もう一方の手に、受け流し用にソードブレイカーなどの短剣やマントを持ったりする。心を無にして機械の様に精確に相手を刺突すると考えれば、デカルトの心身二元論の源はここにあったかもしれない。

 デカルトには、奇怪な伝説がいくつかある。

 その一つに、常々フランシーヌという名の5歳位の少女の人形(自動人形だったとも言われている)をトランクに入れて、肌身離さず持ち歩いていたというものがある。なぜ、このような伝説ができたかと言えば、そもそもデカルトは結婚していなかったが、メイドのヘレナ・ヤンスに産ませたフランシーヌという娘がおり、実子認知はしていなかったが、常に手元に置いて溺愛していたらしい。

 しかしデカルトが44歳のとき、フランシーヌはわずか5歳で猩紅熱により死んでしまう。デカルトは非常に悲しんで「涙や悲しみが女だけのことで、男は何時も冷静な顔を無理にせねばならない、と考える者に私は属さない」と、友人に手紙を出している。哀れなフランシーヌ人形はバルト海に投げ捨てられてしまったが、人体を機械だと考えたデカルトならばこその伝説だろう。

 またデカルトは、「人間は30歳以上にもなると、医者は要らないはずだ」と考えていた。人間は自分が自分の身体の医者であることができる、というわけである。彼は病になってからも自分で診断をつけ、処方を考えていた。1650年からスウェーデン女王クリスティーナから招きを受けて講義を行っていたが、2月に風邪をひき、そのとき、女王のよこした医者の言うことを拒んでいる。しかし、8日目になって自分の誤診を知り手当てを変えたが、もう手後れだと知って遺言を書き取らせたと記録にあるそうだ。

 定説では、デカルトは1650年2月11日、午前4時にスウェーデンのストックホルムで、54歳で風邪をこじらせての肺炎により死去したことになっているが、暗殺されたという説もある。デカルトを看取った女王のオランダ人侍医ヨハン・ヴァン・ヴレンが、オランダに住んでいる知人の医師ヴィレム・ピースに、デカルトの病気と死について手紙を送っており、砒素中毒で死んだような記述があるそうだ。つまり、毒殺されたのではないかということであるが、定かではない。

 そしてスウェーデンのストックホルムに葬られていた遺骸は、1666年の秋に友人や関係者によって掘り起こされ、一旦コペンハーゲンに留められたあと、フランスに移送され、最初はパリのサン=ポール・デ・シャン教会の礼拝堂に安置され、翌年6月25日の盛大な葬儀のあと、次にサント=ジュヌヴィエーヴ修道院の地下埋葬所へ、その後1819年にサン=ジェルマン・デ・プレ教会の礼拝堂へ移され、現在もそこに安置されている。

 ところがデカルトの頭蓋骨は、ストックホルムでの掘り起こしに際してそれを指揮していた衛兵士官プランシュトレームによって別人の頭蓋骨とすり替えられ、その後デカルトの頭蓋骨は少なくとも7人の所有主(デカルトの頭蓋骨に署名があるらしい)を経て、1821年スウェーデンの化学者ベルセリウスからフランスの解剖学者キュヴィエに贈られ、その後、博物館に寄贈された。また、頭蓋骨にはスウェーデンのスコラ学院のホーフ教授が刻んだラテン語のデカルト頌詩が書かれていると言う。現在、パリの人類学博物館に収められて、クロマニヨン人の代表的頭蓋骨として、同時代の大泥棒カルトゥシュの隣に並べられているらしい。


(注1)ジュリアン・オフレ・ド・ラ・メトリー Julien Offroy de La Mettrie 1709~1751

 18世紀フランス唯物論の代表者。医師。

 37歳のときに著した『人間機械論』は、霊魂の存在を否定し、デカルトの動物機械説を人間にも適用し機械論的な生命観を提唱した。ラ・メトリーはその著作で、足は歩く筋肉であり、脳髄は考える筋肉であるとした。100年近く前にデカルトが唱えていた人間を精神と肉体とでできた機械(デカルト的二元論)とみる発想よりも「機械論」に徹していた。

 ブルターニュ地方に生まれ、初めパリで神学を、のちフランスで医学、生物学を学んだ。1734年、オランダの医学者ブールハーフェの講義を聴き、帰国してその著書を翻訳した。ブールハーフェ派医師として保守的なパリ医師会と対立、批判の論陣をはった。

 1745年にオランダのハーグで「霊魂の博物学」を出版、霊魂が肉体的諸器官に依存し、肉体とともに形成され、生長し、衰退すると断定したが、焚書処分になり、1748年フランスを追われ、オランダのライデンに亡命し、「人間機械論 L’homme machine」を出版。精神活動が脳の物質的組織作用であるばかりでなく、すべての生命現象が機械的運動に由来し、人間と動物との間の差異は機械の精度の差異に過ぎないとする生物学的唯物論を、当時発達しつつあった生理学・発生学に基づいて展開した。

 しかし、この書がオランダでも無神論として批判され、1748年おそらく同郷のモーペルテュイの斡旋によりプロイセンに亡命して、2月8日ポツダムに到着する。フリードリヒ2世の侍読として仕え、プロイセンでも「反セネカ論」をはじめとする精力的な執筆・出版を行った。駐独フランス大使の重病を治し、その全快祝いの祝宴に招かれたあと病に罹り(消化不良とも言われているが毒殺かもしれない)、自ら瀉血・温浴を試みたが数日後に死亡した。

 「精神ないし魂とは脳と神経組織、即ち自己運動を行い、感受性を持つ物質の動きの結果である」として、デカルトの物理学とロックの感覚論を唯物論的に発展させ、物質を単に延長のみならず、感受力と自己運動の能動性を持つ実体とし、魂や観念や思考などは、物質の力学的作用に過ぎず、なんら独立な非物質的存在ではないとした。 したがって物質と思考の差、動植物と人間の差は、ただ物質の同質的連続的な感受力の差に過ぎないと見、また運動の第一原因として神などを想定する必要も全くないとした。つまり、感情などの心の現象も生物学・化学的な作用であるため、心と体の分離自体が無意味となる。ラ・メトリーの立場は現代にも通じる典型的な機械論的唯物一元論であり、必然的に宿命論となる。

 自らの戦闘経験を活かして『剣術』なる著作を残しています。

ジュリアン・オフレ・ド・ラ・メトリー

【補足】

哲学の分類

認識論=認識について、つまり、知識や真理の本質・起源・範囲など、人が理解できる限界などについて考察する。

存在論=あるということはどういうことか、存在者を存在させる存在なるものの意味や最も根本的・普遍的な諸規定を考察する。

形而上学=「メタフィジクス」(英: Metaphysics)物理学=physicsを異なる次元からの観点、高次の次元からの観点=Metaで思索すること。形而下学は、実体のない原理を研究の対象とする形而上学の反対で、実体のあるものを対象とする応用科学の学問。

その他…現象学、実存主義、解釈学、論理実証主義、構造主義、プラグマティズム、実在論、観念論、決定論、宿命論、機械論、生気論、唯物論、唯名論、絶対主義、相対主義、独我論、懐疑主義等がある。

スコラ(schola)哲学

スコラはラテン語で学校の意。中世ヨーロッパの教会・修道院付属の学校や大学の教師などの研究した学問。領域は広いが、哲学・神学が中心。その内容はキリスト教会の教義を理性的に弁証することで、そのために主としてアリストテレスの哲学を採用したが、プラトン哲学の影響や神秘的傾向も見られる。細密な概念の区別立てをする論法を発達させたことがその特色。

Weblio辞書

【参考資料】

清水 義範著『考えすぎた人: お笑い哲学者列伝』 新潮社

小林道夫著『デカルト入門』 ちくま新書

野田又夫著『デカルト』 岩波新書

伊藤勝彦著『人と思想11 デカルト』 清水書院

種村季弘著『怪物の解剖学』 河出文庫

ディミトリ・ダヴィデンコ著『快傑デカルト』工作舎

木村 功
(きむら・いさお)

・カイロプラクティック オフィス グラヴィタ 院長
・柔道整復師
・シオカワスクール オブ カイロプラクティック卒(6期生)
・一般社団法人 日本カイロプラクティック徒手医学会(JSCC) 副会長兼事務局長
・マニュアルメディスン研究会 会員
・カイロプラクティック制度化推進会議 会員

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