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「イネイト・インテリジェンスとは何か?」第2回
イネイト・インテリジェンスを探して

連載「イネイト・インテリジェンスとは何か?」第2回イネイト・インテリジェンスを探して

イデアの向こう側

 イネイト・インテリジェンスはどこから来たのか、それを探してみると哲学的には元ネタがあると私は考えている。それが生得観念である。本有観念とも言うが、これはラテン語でイデア・イネイタ idea innata、英語でイネイト・イデアス innate ideasと言う。字面を見ても、イネイト・インテリジェンス Innate Intelligenceと極めて似ている。

 まずイデア ideaとは、古代ギリシャ哲学のプラトンが言い出したことで、日本大百科全書によれば、「見ること」を意味する動詞イデーン ideinの派生語で、本来は「見られたもの」、形、姿、さらに物の形式や種類をも意味した。プラトン哲学では、肉体の目によってではなく、魂の目によって見られる形を意味する。

 イデアとは超感覚的な〈真実在〉を指し、「美そのもの」とか「善そのもの」など、相対的な美醜、善悪を超えたところの、真なる美、真なる善などの絶対なる真実の実在を指すが、これは本質的に概念であるので、あたかも概念を実在のように言っているだけだとか、普遍的な一般概念の実体化ではないかとかいう批判があったという。

 そもそも哲学の根本は「~~とは何か?」と問うところにある。つまりは本質的により良いもの、より真なるもの、より善なるものを問うところにある。しかし、同時に「なぜ、問いがあるのか?」という問題提起も出てしまう。そして、「問うとは何か?」という命題も提示されてしまう。

 イデアについて考えるということは、問いと問うものを含めて、この世界宇宙の一切の存在が何か、ということを問い返してくる根源を現しているものについて考えることらしい。平たく言えば、なんで哲学、あるいは形而上学なんてものがあるのかというようなことだと思う。

 対してインテリジェンス intelligence の語源をネットで辿ると、おおもとはラテン語の inter と lego という言葉のようである。 inter は「~の間」、 lego は「何かを集める、拾い集める」という意味で、これを組み合わせて「ものごと(情報)を識別する」=「理解力がある」=「知能・知性」という意味を持つようになったらしい。

 因みに、インフォメーション(information)が「生の情報」であるのに対して、インテリジェンスは「加工された情報」という意味の言葉ということである。つまり、インテリジェンスとは、インフォメーションを元に分析された情報などのことらしい。

 アメリカの中央情報局を意味する「CIA」(Central Intelligence Agency)の「I」もインテリジェンスの頭文字である。

 因みに、よく使われているインテリという言葉は、インテリジェンスの略語だと思われることが多いようだが、実は「インテリゲンチア」(intelligentsiya)=「知識階級」や「知識階層」という意味のロシア語が語源になっているそうだ。

 また、イネイトinnateの意味は「先天的、生得的、本有、生来の」で、語源はin(中)とnasci(生まれる)に由来し、「~に(in-)生まれた(natus)」がこの単語のコアの語源ということである。

 ラテン語 innātus  < in + nāscī、nāscīはgnāscī < 印欧祖語

印欧語のgna(グナ=生む)あるいはkna(クナ=生む)gやkを消失して、na(生まれ)になる。

http://blog.livedoor.jp/amicky22/search?q=innate

 nature 「自然」の nat は[誕生、生まれ] を意味するラテン語 nation に由来、nature はまた「性質、本質」の意味を持つということである。

 語源から辿ると、イネイト・インテリジェンスとは「生まれながらに持っている生きるための情報の総体」ということもできる。そうすると、すでに情報が入力されていなければならない。受精卵の段階で、既にイネイト・インテリジェンスは存在しているとすれば、持って生まれた遺伝情報などの内的情報のみが原初の情報となる。ただ一つ=重力を除いては、外的情報は入力されない。

 対して知覚から得られる生の外的情報を元に、生きるための情報処理をするものを後天的知性 acquired intelligenceとするなら、これがイネイト・インテリジェンスとは、全く別に発生したものとは考えにくい。

 後天的知性というものがあるなら、それは先天的知性イネイト・インテリジェンスが特異的に分化したもの、同じものでしかない。そうすると、イネイト・インテリジェンスとは、「生まれながらに持っている生きるための情報処理能力の総体としての知性」ということになるのではないかと思う。

 つまり、われわれは情報があって、その処理機能が生まれ、そこから出力して生きているのではなく、まず、情報処理機能があり、入力があってその機能が活性化し、出力をするということになる。この情報処理機能において、情報の先天性・後天性は問題ではない。

 しかし、そこに果たして「知性」と呼べるようなものがあるのだろうか?

 日本大百科全書によれば、知性とは一般に「物事を知り、考え、判断する能力」とされている。中世や17、8世紀の西洋哲学では、すべてを一瞬のうちに直覚的に洞察する神の無限的な知性に、概念を用いて比量的にしか事柄を認識できない人間の、有限的な知性が対置された。「真理は知性と物との一致である」という中世以来の伝統的な真理規定も、初めは神の知性によって計画され、創造された自然の秩序に、人間の有限的知性が合致することを意味していたが、近世以来、人間の知性の側に重心が置かれるようになり、事物は人間知性に合致する限りにおいて真と見なされることになる・・・とある。

 そうするとイネイト・インテリジェンスを「知性・知能」というのは妥当なのだろうか。

 個人的には、いわゆる「知・情・意」でいえば「意=意志」に近いのではないかと思われる。

 日本大百科全書によれば、普通「意志」と呼ばれているものは、価値の感情を伴う目的動機に促され、その目的の実現によって終わる一連の心的プロセスである。

 イネイト・インテリジェンスは、「生まれながらに持っている生きるために物事を知り、考え、判断する(完璧な、あるいは擬神化したような)能力」ではなく、もっと冷徹な「生存のために生存しようとする自己目的的動機に促され、その目的実現に向かっていく一連の情報処理プロセス」と言えるのではないかと思う。

 つまりは「システム」である。システムに関しては後述する。

 外部から見れば入出力は確かにあるが、イネイト・インテリジェンスそのものから見れば入出力などないまま、自分で自分を作り出すというバランスを取り続ける、せめぎ合いの連続のようなものなのではないか。すなわち、オートポイエーシスである。これに関しても後述する。

 さて、ここでいうイデアとインテリジェンスの違いについて考えてみたい。

 いささか無理のある比喩を使うならば、イデアは大いなる自然そのものという概念に近く、インテリジェンスは宇宙の営みという現象に近いように思う。

 これを読んで、イデアとわれわれのいうところのイネイト・インテリジェンスは、被っているんじゃないかと思った方もおられるのではないかと思う。実質イデアは普遍概念なので被っていても不思議ではないわけだが、例えば今までの考え方を踏襲して、「虹」というものを考えたとき、イデアでは「人間の魂の目から見た虹そのものの本質」、それを仮に「美そのもの」とすれば、インテリジェンスでは「人間が観察する虹の生じる因果関係」、その「システムそのもの」をいうような位置づけになるのではないかと思う。

 そもそもイネイト・イデアスというのは、人間精神に生まれつき備わっていて、他の一切の認識の基礎となる観念のことである。

 対してイネイト・インテリジェンスは、精神を含めた人間そのものに生まれつき備わっている、生存の基盤となるシステムのことであると言えよう。

 イネイト・インテリジェンスとイネイト・イデアスは、定義上別物であるが、例えばイネイト・インテリジェンスをPCのOSとすれば、イネイト・イデアスはOSの設計理念のような感じかもしれない。ただし、通常のように設計理念から製品が生まれるようなものではなく、逆に元々ある存在に対して、その存在の根本理念を問うている。そして、このイネイト・イデアス=生得観念は近世哲学において大きく変遷する。

 この生得観念は、先に述べたようにプラトンあたりから言われていたが、いわゆるキリスト教万歳的な中世スコラ哲学でも、アリストテレスの影響を受けて認められていた。生得観念という考え方は、キリスト教の神の性質の一部が理性ということで非常に重要視され(理性は生まれつき備わっているということ=神の属性であるので、常に100%正しい)、特に近世デカルトによって、より中心的なものとされた。

 次回は、この生得観念の哲学的変遷を見ていくことで、イネイト・インテリジェンスのあるべき方向を考えてみたいと思う。

木村 功
(きむら・いさお)

・カイロプラクティック オフィス グラヴィタ 院長
・柔道整復師
・シオカワスクール オブ カイロプラクティック卒(6期生)
・一般社団法人 日本カイロプラクティック徒手医学会(JSCC) 副会長兼事務局長
・マニュアルメディスン研究会 会員
・カイロプラクティック制度化推進会議 会員

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