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新連載
「イネイト・インテリジェンスとは何か?」第1回
カイロプラクティックは死んでしまったのか?

新連載「イネイト・インテリジェンスとは何か?」第1回カイロプラクティックは死んでしまったのか?

 2022年2月にSCIエッセンシャル講座の第2回として、静岡県袋井市在住、日本カイロプラクティック徒手医学会の理事兼事務局長、木村功氏に「イネイト・インテリジェンスとは何か?」と題して語ってもらった。氏は十分わかりやすく論じたつもりだったが、いかんせん語り尽くすには1時間半という時間は、あまりにも短すぎた。そこで、連載という形で時間の制約なく、思う存分書いてもらおうということになった。第1回は「カイロプラクティックは死んでしまったのか?」、いきなりショッキングなタイトルだが、これがカイロプラクティックの現状を物語っているのかもしれない。次回以降に興味を持たせるタイトルである。本連載を通じて意見や感想をお寄せいただき、それらを元に論じ合える場となったら、筆者としても本ジャーナルとしてもこれに勝る喜びはない。

科学新聞社 斎藤 信次


 カイロプラクティックを語る上で、無視できない、避けて通れないものに、イネイト・インテリジェンスがある。

 私が初めてイネイト・インテリジェンスという言葉を聞いたのは、1980年5月にシオカワスクール オブ カイロプラクティックにて塩川 満章D.C.からであった。そして、ネイチャーか何かの英文雑誌のレナルト・ニルソンの写真を見せながら、これこそがあの素晴らしいイネイト・インテリジェンスだと語った。人体がなんの間違いなく胚から発生できるのは、イネイト・インテリジェンスによるものであると塩川 満章D.C.は言っていた。

 余談ではあるが、八重洲ブックセンターで写真集「人体の驚異―レナルト・ニルソンの世界―」を見つけ、塩川 満章D.Cに紹介したのは懐かしい思い出である。

 常に100%の正しさを持つイネイト・インテリジェンスは、本質的に人間を常に最善の状態に保つ。そして、イネイト・インテリジェンスは大宇宙の叡智であるユニバーサル・インテリジェンスと同じであるという。

 しかし、生活の中の様々な要因、またその蓄積などにより生じる椎骨のズレによるサブラクセイションが、神経の中を通るイネイト・インテリジェンスの力=イネイト・フォースの伝達を阻害して人体に問題が発生する。

 カイロプラクターは見えないものを見ることで、この異常を発見し、適切なアジャストメントにより椎骨のズレを正すことで、イネイト・フォースの流れが正常化し、結果的にイネイト・インテリジェンスの力=患者自身の力によって、人体の問題が取り除かれる。・・・これがカイロプラクティックの古典的概念であるとともに、カイロプラクティックの本質を語っている部分であると思う。

 しかるに、現代のカイロプラクティックにおいて、誰もが納得できるような形でイネイト・インテリジェンス、サブラクセイション、アジャストメントというものは一体何なのかということを上手く説明できていない。これがカイロプラクティックの主体性における最大の問題点だと思う。

 一つには、D.D.パーマーやB.J.パーマーに依拠した原理主義による思考停止にある。原理主義自体は良いと思う。温故知新という言葉もあるわけで、原理に立ち戻ることは大事なことだ。問題となるのは原理に甘んじる思考停止の方にある。

 二つ目は、現代医学などのそもそも基本概念が違う考え方に依存して整合性をとろうという本質を取り違えた考え方、つまりは科学的で理論的な説明をしようとするあまりに、こじつけやもじりのようになり、いつのまにか現代医学のパロディのようになってしまっているのではないか。科学者たちから見ればかえって陳腐なものに見えているのではないかということである。

 これらが本来のカイロプラクティックを捻じ曲げているように思われる。

 そもそも、カイロプラクティックが哲学であり、科学であり、芸術であるということならば、それらはすべて発展していかなければならない。

 術である芸術の部分は個人の中で、学である哲学および科学はカイロプラクティック業界全体の中で発展がなければ、それは術でも学でもないと言わざるを得ない。

 発展できない要因として、現代の認識概念の発展にカイロプラクティックの認識概念が追いつけていないのではないかということであり、カイロプラクティックの基本概念を刷新することが急務であるのではないかと思うわけである。

 たとえば、どうしても神経圧迫説を取るなら、神経系自体を現代医学的な概念ではなく、現代医学的な概念を包含できるもっと大きな意味を持つシステムとして再構築して説明しなおすことが必要であり、椎骨による神経圧迫自体が今の科学で否定されたとしても、神経系のすべてが解明されていない以上、今までの定説が覆る可能性もあるわけであるから、さらなる追究が必要だと思う。

 イギリスでは2010年に記録を取る、実際に保険会社に請求する時には、サブラクセイションという言葉を使用することができなくなった。記述する時には歴史上の言葉として使う以外は認められなくなったとされている。サブラクセイションがないということはイネイト・インテリジェンスもない。当然、アジャストメントもないわけで、つまりはカイロプラクティックではないと言わざるを得ない。

 これらの概念のないカイロプラクティックは死んでいる。既に単なる理学療法でしかない。そもそも、カイロプラクティックは単なる機械的な人体に対する介入ではなく、人間そのものに対して行われる治療法である。

 かつて、デカルトは哲学を木に例えた。曰く「哲学全体が一本の樹のようなもので、その根は形而上学、幹は自然学、この幹から出る枝は他のすべての諸学で、これは大別して三つの主要な学、すなわち医学、力学および道徳にまとめられます」と言っている。

 これを真似てカイロプラクティックを木に例えれば、哲学は幹であり、そこから伸びる枝が科学である。そして、枝になる実が芸術であるわけで、その木の根こそイネイト・インテリジェンスであると言えるのではないかと思う。

 つまり、この木の根であるイネイト・インテリジェンスがダメになれば、木自体を支えられないし、結局、カイロプラクティックという木は枯れてしまうのではないかと考えるわけである。

 代替補完医療に対する否定派と肯定派は、お互いに自分の立場や考え方に固執しすぎているのではないかと思う。そのような対立からは何の発展も生まれない。

 ドイツ観念論で有名なヘーゲルの言った弁証法に基づいて「止揚=アウフヘーベン」すべき事柄であると思う。

止揚とは「低い次元で矛盾対立する二つの概念や事物を、いっそう高次の段階に高めて、新しい調和と秩序のもとに統一すること。(精選版 日本国語大辞典)」である。

 ヘーゲルは「矛盾はあらゆる運動と生命性の根源である。あるものはそのうちに矛盾を持つ限りにおいてのみ運動し、その限りにおいてのみものを突き動かし、また活動しようとする性質を持っている」と言っている。(澤田章『ヘーゲル』清水書院 センチュリーブックス 人と思想 17、1970年。新版2015年 p26)

 次回は、このイネイト・インテリジェンスについて考えていきたいと思う。

木村 功
(きむら・いさお)

・カイロプラクティック オフィス グラヴィタ 院長
・柔道整復師
・シオカワスクール オブ カイロプラクティック卒(6期生)
・一般社団法人 日本カイロプラクティック徒手医学会(JSCC) 副会長兼事務局長
・マニュアルメディスン研究会 会員
・カイロプラクティック制度化推進会議 会員

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