カイロジャーナル・ドットコム

SCIエッセンシャル講座 開講

SCIエッセンシャル講座 開講

 アメリカの918日夕(日本では翌19日午前)、126回目のカイロプラクティックの誕生日「カイロデー」に、アメリカから日本に向け岡井健氏が「カイロプラクティックを信じる力」と題して魂の2時間スピーチを行った。

 そのとき、テクニカルなものにはない、人を揺り動かす精神的なものの持つ圧倒的なものを感じさせてもらった。そこで、現行のWebセミナーとは趣の異なる、不定期でも単発の連続性のある講座はできないものかと考えたとき、初回を飾るお誂え向きのネタ「カイロプラクティック哲学」が目の前にあった。

 今後、どう展開していくか全く見当がつかないが、講師というよりもコーディネーターを中心に、参加者全員でディスカッションできる場をつくるのも一つの醍醐味かなと、今からどうなることやら主催者が楽しみでならない。

1回「カイロプラクティック哲学
-エッセンシャル カイロプラクティック哲学を読む-」

 19976月、当時、日本カイロプラクティック界における世紀のイベント、WFC世界大会で東京は沸き返っていた。その頃、時を同じくして増田裕氏の肝いりの翻訳による「エッセンシャル カイロプラクティック哲学」が出版され、続いて「カイロプラクティックとは?」をテーマに、増田氏による伝説の勉強会「増田ゼミ」がスタートした。

 ゼミはその後、増田氏がDACNBの学位を取得するためにと神経学へと移行していったが、増田氏は一貫して「How toじゃダメなんだ、Why toでなきゃ」と口が酸っぱくなるほど言い続けていた。そのときのメンバーが現在、神経学のセミナーをしてくれている丸山正好氏、そしてカイロジャーナルに連載してくれている山﨑徹氏らである。

 その山﨑氏に「スポットでいいから、何かWebセミナーでやってよ」と頼んでいたが、やっと「これでなら」と引き受けてくれたのが、今回の「エッセンシャル カイロプラクティック哲学を読む」であった。詳しくは山﨑氏から寄せられた紹介文を読んでいただくとして、エッセンシャル講座の初回にふさわしい題材だと思う。

 さあ今回、さらに今後、1回限りのユニークな本講座に乞うご期待!!

講 師 山﨑徹(はやま接骨院院長)
20211029日(金)PM7309001時間30分)
参加費 2,750円(税別2,500円)

詳細とお申し込みは
https://sci-news-shop.co.jp/essentialchiro-2/

講師(コーディネーター)より

 「エッセンシャル カイロプラクティック哲学」(以下EC哲学)は、当時実質の発行人だった斎藤氏に聞いたところ、2,000部の印刷だったそうである。現在では絶版になっているが、この手の本ではそこそこの数である。二千冊も市場に出ているのであれば、中古市場でも安価な取引をしていると思っていたが、どうやら違うようだ。アマゾンなどではかなりの高値で取引されている。希少本になってしまったので致し方ないのかもしれないが、米国のカイロ学校では教科書として採用されている哲学の本なので、もう少し安価に取引されないものかなと個人的には思う。

 さて、このEC哲学は増田裕DCの翻訳したものである。増田氏はカイロジャーナル神経学セミナーでもおなじみの丸山氏に大きな影響を与え、かくいう私も影響を受けた一人である。翻訳には、翻訳者の個性がでる。増田氏は翻訳者であり、カイロプラクターであり、また業界紙での新聞記者としての経験があった。その卓越した日本語の運用能力には目を見張るものがある。ただ訳しただけの本はたくさんあるが、増田氏がストラングDCの哲学と科学のバランスの重要性を評価し、世に問うた一冊である。

 今回は、単発ではあるが「エッセンシャル カイロプラクティック哲学を読む」ということでウェビナーをすることになった。哲学と聞くと何やら、仰々しい感じがする御仁もいるかもしれないが、物の考え方を考えるという本質に迫っていく手法である。治療術や明日からすぐに使える○○法というものではない。しかしながら、物事の本質を追求していくことも楽しいものである。まぁーこれは私の主観が大いに入っているので、賛同してくださる方もいるだろうし、興味がない方もいるだろう。

 どちらにせよ、受けてみて面白くなかったという感想であれば、自分にとって必要ないという判断をしたことになり、無駄な時間をセミナーに割いたことになろう。これを哲学風に言えば、無用の用を体現したことになり、あなたにとって哲学が意味ないものである、ということが理解できたことになる。こうした積み重ねがあなたという人間を作っていくのである。この無用の用の出典は老子である。彼も哲学者の一人である。役に立たなさそうに見えるものが、実は大事。無駄なものにも意味があるということである。

山﨑 徹

Return Top