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斎藤信次残日録 其の五〇

斎藤信次残日録 其の五〇

新生DC連絡協議会に向かって

 1988年2月、東京駅八重洲北口にあったホテルに30人からのDCが一堂に会した。これは当時、東海地区のDC5人が東海カイロ医協という会を結成し活動を始め、その一環として自らが発起人となり、約10年ぶりのDC会が催されたからである。今と違い50人足らずの所在のわかるDCに案内を出し、7割近い参加者を集めたことは画期的なことだったと記憶している。それだけDC間の関心が高かったということだったのであろう。

 その席に、DC以外で医道の日本の戸部雄一郎氏、エンタプライズの牧原弘幸氏、そして私、斎藤の3人がお誘いを受け出席していた。もう30年以上も前のことなので、DCの中にも幾人かお隠れになった方がいらっしゃるが、戸部氏、牧原氏ももうこの世にいない。二人とも天寿を全うしたとは、とても言えない年齢での早世であった。

 「憎まれっ子、世に憚る」ではないが、私はこの件だけでなく幾人もの方々との別れを経験してきた。なんとなく私だけ生き延びている感じすらするが、皆早く逝き過ぎだ。私も古希に向かってひた走っているが、まだまだ暇を持て余すことなく仕事(いや、作業と言った方が的を射ている)は常にあるし、まだやってみたいと思っていることもある。行けるところまで、このまま行こうと思っている。

 話が逸れてしまったが、さて久しぶりのDC会、東海カイロ医協の幹事役であった鈴木喜博氏の尽力に負うところが大きかった。鈴木氏はこの後も精力的に活動し、DC連絡協議会(DCLC)の初代会長として設立の立役者となった。そのDCLCも、もうかれこれ30年を越す歴史を有しているが、最近は高齢化も進みすっかり影が薄くなっていた。

 そこでこの数年、若手DCの入会、さらにそのための執行部の若返りが懸案事項となっていた。そんな中、3月20日に大阪・なんばで役員会が開かれ、その席で急きょ臨時総会も併せてということになり、懸案事項について活発な討議が行われた。出席者は会長の幾世登氏、副会長の中垣光市氏、会計の冨金原伸伍氏、そこになぜか、また私、そしてカイロプラクティック制度化推進会議(推進会議)の事務局長、山田雄次氏がオブザーバーとして同席していた。

 役員会および臨時総会では、現状認識の共有が主な討議の内容となった。その結果、山田氏が事務局長を務める推進会議の、座長を務める伊佐和敏氏を新会長に推す声が上がり、その線で新生DCLCとして生まれ変わることを全会一致で決議した。

 その後、現役員間の調整があり、伊佐氏に急に重責を担わせることを避けるため、暫定的に現副会長の中垣氏が会長となり、伊佐氏が副会長として経験を積むことになった。いずれにしても、歴史あるわが国唯一のDCの会(CCJは若干趣が違うので)として、今後その存在感を内外に示していかなければならない。しばらく途絶えていたDCだけで語り合える機会を、とにかく可及的速やかに作ることが急務であろう。



斎藤 信次
(さいとう しんじ)

2016年6月、科学新聞社の代表取締役社長を勇退、顧問に就任今後はこれまでの経験を活かし、同社の出版事業をサポートするかたわら、広く手技療法界全体の活性化を目指し、独自の活動を展開していく予定幅広い人脈を持ち、また人情味にも厚く、業界の良き相談相手であったことから、今後ますますの出番が予想される力強い助っ人


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