其の四十四「1月 その3」 | カイロプラクティックジャーナル

  其の四十四「1月 その3」

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斎藤信次残日録 其の四十四「1月 その3」2019.07.07

オフィスの多目的利用

15日は北海道千歳の吉田雅信君(吉田治療室)が、私のオフィスを利用するためにやってきた。浪越とシオカワ(シオカワスクール オブ カイロプラクティック)の出身で東京で開業していたこともあり、北海道に帰った今でも月に一度、治療しに上京している。これまで患者さんの自宅などで治療していたのを、オフィスの内装をちょっと変えたことをキッカケに、今月から治療場所として貸すことにした。今後は少人数のセミナー、勉強会以外に、学会の事務局も含め、どんな形でもオフィスを有効に使えたらと思い、これがその新たなキッカケになればと考えている。昨年末からセミナーなどの記録動画の条件付き閲覧も始めた。やはり私は暇が嫌いなんだな、何かしらしていたいんだなとつくづく思う。

新刊打ち合わせ、始発で大阪、局在神経学、滞在2時間

19日は夕刻から中川さん、ワンバイワンの内田(浩二)さんと新刊の打ち合わせを行った。20日、東京では中川さんの新刊の写真撮影、中川さんが東京にいるにもかかわらず不在のMPSGベーシック、大阪では丸山の局在神経学講座の第1回がセットされている。

大阪滞在2時間弱の強行スケジュールの始まりぃ、始まりぃー! 4;30、起床。5:15、自宅を出る。ここで甚だ場違いであることは重々承知の上で1曲、(昔懐かしい狩人の「あずさ2号」のメロディで)6:00ちょうどのぉー「のぞみ」に乗ぉってぇー♪、さらに品川から、6:07にぃー丸山が乗ってきてぇー♪(字余り、失礼!)、隣の席で話しているうちに、あっという間に新大阪に着いた。

それから会場へ。大阪は東京と違って会場を借りなければならない。なので、搬入・搬出がもれなく付いてくる。大阪の仕切りをお願いしているラルゴの古賀さん、そして片山が鍵を受け取れる時間8:45に現れ、これで大阪初回を迎えるスタッフが揃い、初めての大阪での局在神経学講座、準備開始である。

9:45、講義が始まる前に私から、丸山がどうしてここに立っているのか? 話は20年前にスタートし、数年間開催された(企画者が私なので、敢えて)伝説の「増田ゼミ」に遡る。そこにカイロプラクターになる資質に疑念を抱いていた丸山が、友人(本ブログに既に登場済みの若林)の紹介で参加した。これが運命の出会いになった。赤い糸ではあるまいが、二人を結びつける何かがあったのだろう。それが何であったかは言わずもがな、とにかく増田さんを師と仰ぎ、愚直に神経学の勉強をし続けた。これしかなかったのである。そんな丸山の大阪での講座がスタートした。

尻に帆かけてUターン、新刊の写真撮影、締めは

朝の出番で私のミッションは終了と、このあと中川新刊の写真撮影に合流すべく、すぐさま新大阪に戻り、10:20にぃー「のぞみ」に乗ぉってぇー♪(まだやるか、アホ! 東京ではバカですよね! どうでもいいことを失礼しました)、13:30過ぎには勝どきのスタジオに入った。ちょうど遅めの昼休みの時間中で、入って驚いたのは関係者の多さ。10人では利かない人たちが狭いスタジオに所狭しとしていた。午後の部が始まり、この日のうちに終わるかどうか、かなり心配されたが、写真の枚数より同じカットでイケる写真など、中川さんの用意周到、緻密な計算により、ほぼ予定通り18:00に終了。大勢のスタッフの皆さん、お疲れ様でした。ありがとうございました。打ち上げはなく、皆それぞれ帰ったので、締めは浩二さんとの一杯だった。

滅多にない9時出勤、来客あれど書くほどのことなし

21日は滅多にない9時出勤、理由は中川さんとのミーティング。11時には愛媛・松山の尾崎さんがセミナーの記録動画閲覧のために来社。その間も何人か来客があり、それぞれ違う用件だったので、話す内容も違い、なかなかバリエーションに富んだ日であった。その後、この週は書くほどのネタはなかった。翌週も29日には櫻井や印刷会社の営業さんが来たり、30日には夕刻から制度化推進(準備)会議の事務局長、山田さんが来社、その後、座長の伊佐君と合流し夕食がてらの意見交換と、それなりに来客はあったが、特段書くことはなし。こうして1月が終わった。ピークは20日くらいのもので、1月は12月と違い休みも多かったし、ホントに穏やかに過ぎたような気がする。

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