其の三十五「盛り沢山だった11月」 | カイロプラクティックジャーナル

  其の三十五「盛り沢山だった11月」

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斎藤信次残日録 其の三十五「盛り沢山だった11月」2019.03.25

間を空けずに書く! いや、最近ずっと空耳かもしれないが、赤海の「書けぇー」という声が耳から離れない。「書けばいいんでしょ、書けば!」。こうなったら手伝ってくれる安原を褒めちぎってやる! 「安原、ラルゴのHPも私のブログも、君のお陰でめっぽう楽させてもらってるからねぇー ありがとねぇー」

やっと11月のこと! 懐かしいメンバーとの慰労の宴 

さて書くか! だいぶ前に昨年11月5日のゴルフコンペまで書いた。やっとこさ、その続きである。11月7日、得意の夕刻以降の話である。ここ1、2年、何かと世間を騒がせた文部科学省(文科)、そのときの事務方のトップと№2の2人が相次いでリタイアした。この2人とは30年以上前に、旧・科学技術庁(科技)でそれぞれ一緒に仕事をした仲で、その後もよく飲みに行っていた。政治家さんや○○工業会のパーティー会場などで顔を合わせると、そっと抜け出し飲みに行ったこともある。仕事上のというより飲み仲間としての関わりが強かった。

しかしトップ近くまで登りつめると、特にこの頃はマスコミに追われることも多く、仕事上のことで部屋に挨拶に行くことはあっても、そうそう「飲みに行きましょう」と、気軽に誘い出すのは憚られるような気がして遠慮していた。その2人がリタイアしたと聞いて、すぐさま慰労してあげたかったが、ほとぼりを冷ましてからということでタイミングを見計らっていた。

もうそろそろいいかなと思い、ここはやっぱり配慮して個室ということで、久しぶりに旧交を温める宴を催した。メンバーは2人と同時期に科技に在籍した2人と合わせて5人。1軒目は個室にした甲斐もあって、上品に飲んでいたが、そのうち興が乗ってきたら周りに誰がいようとどうでもいいと、2軒目はかなりオープンな場所に移動して、誰憚ることなく大声でまくしたてていた。昔に戻ったようなホントに楽しいひとときだった。

旧・科学技術庁からの受託事業

彼らとの交流は平成になる数年前に始まった。入社して数年が経ち社業もある程度把握し、本業の広告営業も、副業というわけではないが自発的にのめり込んでいたカイロ関連事業も、余計なことは何も考えずにしゃにむに没頭していた。そんな折、先代の池田社長が科技から随意契約(随契)で受託事業を引っ張り出してきた。

「科学技術振興調整費の成果のとりまとめ」という題目の調査研究で、金額は11,657千円。本来、私が担当するはずのない仕事だったが、結果10年以上に渡って役所通いをすることになったのである。その間の金額の推移は未だに明確に覚えている。2年目は1年目の評価が悪いなんてものではなくて、継続してもらえたのが七不思議のような話だったが、役所の方々の、科学新聞社というより私に対する温情で数百万のペナルティを科されただけで収まって10,525千円。

その後は継続できるかどうかの心配もなくなり11,625千円と戻り、まずは安定状態に入った。それからは3千万、5千万、8千万と三段跳びのように伸び、ピーク時には1億近くにまでなっていたが、政権が当時の民主党に移った途端、その目玉政策のようになってしまった事業仕分けで、完膚無きまでに予算が削られ大幅に落ち込んでしまった。担当を卒業していたが、役所の方々から常々「同じ仕事が20年続くことはないからね」と言われていたことをこんな形で味わうことになってしまった。

池田社長の豪腕と振り逃げ、そのお陰で

当時、受託した仕事の内容など全く知らずに「国の予算を取ってくるなんて、ウチの社長ってすごいなぁー」と感心していたが、販売、広告営業、自発的に取り組んでいたカイロ関連事業をやっていた私には、どこをどう考えても関わり合いを持つはずのない仕事だった。ところが、いざ事業がスタートすると、それまでそんな固い仕事をした経験のない当社には何のノウハウも持ち合わせていない。契約にあたっても社長の池田が直接せっせと通っていたほどだった。しかしその池田が、先方の事務官から言われていることがわからず、急に私にお鉢が回ってきた。

それまで電電公社(現NTT)などと購読料の契約の経験はあったが、仕事内容もわからず、急に役所との契約をしてこいと言われても、何をどうしたらいいのか全くわからなかった。「どうして私なんですか?」と思いながらも、役所の人たちと相談しながら一緒に仕事をするということに、何とも言えない好奇心を感じ、とにかく行ってみた。

そしたら「お宅は契約の仕方もわからずに受託したんですか?」と、さすがに民間会社と違って怒鳴られはしなかったが、明らかに腹を立てていることは痛いほど感じ取れた。そこからである。まずは契約社会の権化、役所との契約というものに対する考え方を知り、次に必要な積算資料(見積書や料金表など)を集め、人件費、諸謝金、租税公課、旅費交通費、会場費、発送費、印刷製本費、一般管理費などを積み上げて、そのときは11,657千円にして提出した。そこから、やっと交渉というかやりとりが始まった。

今では考えられない、ワープロが当たり前じゃない時代

今となっては信じられないことだが、まだワープロがそれほど普及しておらず、その上、役所に提出する書類の文字のドット数があるレベル(当時は24ドット)に達していないと通らないので、当社にあった唯一のワープロの文字では×だった。それでワープロで打った者とやりとりし、提出書類は鉛筆で手書きしコピーして提出、そこからでも平気で直しが入り、それを書き直して提出という作業を繰り返した。

いくら感謝しても感謝しきれない

このときの経験がその後の仕事にどれだけ役立ったかわからない。ホントにいい勉強をさせてもらったし、いい経験をさせてもらったと、その頃に関わった人たちに心から感謝している。お陰で前述のトップに登りつめた人たちばかりでなく、ノーベル受賞者をはじめ日本の名だたる研究者の方々と出会うことができた。私にとっては、テレビに出てくるタレントなどより数段心躍る出会いを味合わせてもらった。いくら感謝しても本当に感謝しきれない。

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