其の二十八 『ご無沙汰しております』 | カイロプラクティックジャーナル

  其の二十八 『ご無沙汰しております』

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斎藤信次残日録 其の二十八 『ご無沙汰しております』2019.01.11

あけましておめでとうございます、いや、もう寒中お見舞い申し上げますかな! あっという間に新しい年になって10日が過ぎてしまいました。とにもかくにも、本年もよろしくお願い申し上げます。

相変わらずの赤海からの穏やかな催促

だいぶ前から管理人の赤海から、書いてください、書いてください、と再三言われていたが、なかなかまとまった時間も取れなかったし、「よし、書くぞ」という気にもなれなかった。年が明け、やっと時間が取れたので久しぶりに書くことにしたが、われながら「そんなのんきなこと言ってられるときじゃねぇだろ」と言いたくなる。何をしてたんだろう? 年を取って年月が早く感じられるようになったのか、ホントに忙しくてただただ時が過ぎてしまったのか、当人としては後者だと思いたいが、果たしてどっちなんだろう?

ミスター忘年会

なんとなく書けなかった言い訳っぽいが、この数カ月(実際は4カ月)を回顧してみることにした。まずは途切れた9月からとなるところだが、その前にちょいと12月の夜の様子をひとくさり! 私こと「ミスター忘年会」(誰も言っていない。自分で名乗っているだけ)の年末の宴会の数はハンパない。それも、東京だけじゃなく地方もほぼ同数あって、よく方々で毎日こんだけ飲み続けられるもんだなと呆れるが、人が好きで話すのが好き、酔うのを忘れて飲んで話して、それでも、つぶれたこともなければ二日酔いを味わったこともない。常々、天職に就いたと思っているが、ホントはこちらの部分こそが天職だったのかもしれない。

新しいPCが上手く使えない

しかし、こんなことではジャーナル・ドットコムを覗いてくれる人がいなくなる、さらに赤海が夢にまで出てきてはシャレにならない、とばかりに、年末年始にまとめ書きをしようとPCを自宅に持ち帰った。だが、いざやろうとWordを立ち上げても、普段使っているデスクトップとは勝手が違って、なかなか思うようにならない。そのうちに「家でやろうとしたのが間違い。明日できることは今日するなということだな! つまり会社でできることは家でするなということか!」と簡単に諦めてしまった。ホームページの責任者とも思えぬ、責任感のないふざけた男である。

巨人が好き、長嶋が好き

そろそろ回顧を始めよう! まず9/17はプライベートで 野球観戦という、私らしからぬ行動から。また横道に逸れてしまうが、まっいいかぁー その昔、巨人が好きで長嶋茂雄氏がミスタープロ野球として現役でバリバリ活躍していた頃は、むさぼるようにテレビにかじりついていた。それもそのはず、父親が川上哲治氏の現役時代からの大の巨人ファンで、民放局の少ない、球団のない東北地方では、チャンネル権を持つ父親の意のまま、だからパリーグのことはほとんど知らず、セリーグも巨人対その他の球団という構図だった。とにかく巨人ありきなのである。

時代のヒーロー

長嶋氏はとにかく魅力的だった。野球が男子共通の遊びだった時代、ほとんどが巨人の帽子を被り、背番号3を付け、サードを守りたがった。長嶋氏のプレースタイル(走攻守)を真似る者も少なくなかった。正に時代のヒーローだった。東京に出てきたあとも、長嶋氏は選手としてはもう晩年だったが、機会を見つけては後楽園に観戦に行った。引退試合にも足を運んだ。

どうでもいい話

蛇足だが、後楽園には場外馬券場があった。ギャンブル好きの私にとっては、それも足を運んだ理由の一つだったのかもしれない。今は全くギャンブルをしていないが、またやり始めたらのめり込みそうで、当時より遣えるお金があるだけに怖い!

脱線ついでに、私とギャンブルの話。私がギャンブルにのめり込んだのは麻雀から。大概の人はここからせいぜい競馬で止まるのだろうが、私はその先に、カード、競馬、競輪、競艇、オートとすべてやった。特にオートは、仲間も多く全国6カ所のオート場(伊勢崎、船橋、川口、浜松、山陽、飯塚)を制覇しようと試みたほどである。

高校を卒業し、東京・西早稲田のアパート(当時、戸塚町。4畳半、風呂なし、トイレ・水道共同、家賃1万2千円?)で単身生活を開始して2、3カ月が過ぎ、東京の生活にも慣れ始めた頃だった。福岡の修猷館高校の出身で大学7年生、当時チューリップや甲斐バンドのマネージャーをしていた人が親しい後輩だったり、雀荘の支配人のバイトをしていた人が入居してきた。

住人同士の交流が割と上手くいっているところで、先に彼の後輩が入居していて、その人が面倒見も良く既に懇意になっていたので、彼ともすぐに親しくなった。因みに、私にとってその人がアパートからほど近い「源兵衛」という店でバイトしていたことが、とてもラッキーだった。 

早稲田「源兵衛」

この「源兵衛」がその後、私とは切り離せない場所となった。テレビや雑誌でもよく紹介される店である。昨年、11月に先代のオヤジが天国に召されてしまった。告別式で遺影を見たとき、体調を崩し入院されていたのでしばらくお会いしていなかったが、この人にもう会えないのかと思うと寂しさがこみ上げてきた。ここぞというときの、ひと言、ひと言が結構響いて、この人からいろんなことを学んだ。「お前の結婚式には仲人はダメだぞ、主賓で呼べ」と本気とも冗談ともつかぬ言葉をかけられていたが、ついぞ果たせずじまいだった。

どうでもいい話の続き

話を戻す。戻したところでまだ横道だが! 彼が雀荘の店番のときについて行き、雀荘というところに初めて入った。彼の後ろで見ているうちに、すぐにルールを覚えることができた。それからは授業どころではない、4人で行かなくても卓が囲めるのである。どっぷりのめり込んだ。悪魔からの囁きのように、いらっしゃい、いらっしゃいと聞こえるようだった。

パチンコもやったことはやった。なんせアパートの隣がパチンコ屋だったのだから!  時間つぶしでやることはあっても、この40年近くやる気でやったことがない。今のパチンコは知らないが、当時は勝っても額がしれていた。毎日勝てればいいが、そんなことは考えられない。ならばと、麻雀、競馬、オートと額の張る方にエスカレートしていった。入社してからも、この3つはやっていた。

入社しても、なお

入社してからも先輩諸氏が麻雀と競馬はやっていたので、麻雀はいつの間にか不動のメンバーになっていた。月締めで負けの上限が決まっていたので、みんな参加しやすかったと思うが、上限を超えれば翌月マイナスからのスタートなるので、負けが込む人は大変だったと思う。私はと言えば、早稲田の雀荘で揉まれていたので負けることはなかった。それどころか、安給料のかなりの助けになっていた。金のやりとりをしていたと、こんなところで書いたら拙いかもしれないが、もう時効だから、いいっしょ!

これからはホントに本題

今度こそホントに話を戻す。久しぶりの野球観戦だった。今回は強い西武を観ておこうと誘いに乗ったが、予想通り西武はソフトバンクを力でねじ伏せた。しかし日本一になったのは、そのソフトバンクであった。皮肉な話だ!

チーム・フルタニ「軸トレ塾」

9/23はチーム・フルタニの「軸トレ塾」、第8クールのスタート。年2回、このクールが終わると丸4年が経過したことになる。参加者も定着し非常にいいムードで行われている。前クールの終了後にスポットで臨床編を行ったが、ほぼ塾の参加者がそのまま参加し、チーム総帥の古谷氏も大満足の番外編となった。この臨床編も各クールの終了時に塾参加者を対象に毎回行うことになった。

台風直撃の「小野塾」、2日目は午前7時から

9/29,30は「小野塾」。折からの台風の襲来で、まともに予定通り行うと、終了時間直後に交通機関のマヒが予想されたので、2日目は前倒しして参加者が集まれる時間、朝7時から行うことになった。にもかかわらず、前日の夜は恒例の懇親会、さらに有志と二次会。翌日、目を覚ましたら6時を回っていた。鍵を開けなければいけないのに、とても間に合わない。小野君に電話をしても出ない。とにかく向かったが、車内で電話が鳴っても出れない。結果、15分ほどの遅れで到着したら、ビルの入口付近で数人が今か、今かと待っていた。誰からもお叱りの言葉はなく、その優しさに涙ちょちょぎれ、感謝感激雨霰だった。しかし、よりによってこの歳になって、こんなことをしでかすとは思わなかった。前日の過ごし方を考えないといけないと、つくづく思い知らされた。

やっと10月! 学会からスタート

10月に入って6、7日は、日本カイロプラクティック徒手医学会(JSCC)の第20回となる学術大会。大井町駅前の「きゅりあん」の6階ワンフロアを借り切っての開催だったが、この会場を知り尽くしている若林、丸山ら実行委員の段取りによって、会場と参加者のバランスの取れた、非常にいい大会であった。

マッチョ榊原の「スポーツカイロ」

7日、会社では榊原君の「スポーツカイロ」のセミナーが行われた。私は学会に張り付いていたので様子がわからなかったが、11月、1月と講義が休みなので、榊原ファンにとっては外せないところであったろう。

土佐のいごっそう、山﨑の「ケリー・メソッド」

学会翌日の8日(月・祝)には、高知・山﨑の「ケリー・メソッドへの誘い」が行われた。8月からスターとした勉強会だが、初回から圧倒的に女性の多い勉強会となった。8月に「リンパ・バランシング」を行ったが、山﨑も初講義だったせいもあり、内容を詰め込みすぎて消化不良の感が否めなかった。この日は前回の反省も踏まえ、洗い直した内容で参加者の理解も上々であった。

終了後の談話会

翌週の丸山もそうだが、山﨑も「増田ゼミ」で増田さんの薫陶を受けた一人である。増田ゼミでは終了後にその場で、買い出ししてきた飲食物で飲み会をするのが常だった。また、そこで話される内容は多岐に及び、含蓄に富んでいた。ただ、若林が発する下ネタに丸山が絡んで止めどなくなると、増田さんが「君らはそんな話しかできないのか」と叱っていた。下ネタなしのそんな飲み会を復活させようと、8月もこの日も談話の宴が行われた。若林と丸山がいなければ下ネタは出てこないと思うが、出たら誰が注意するんだろう?

地味だが絶対必要な知識、辻本の「土曜基礎講座」

13日の午後からは辻本の「土曜基礎講座」。なぜ土曜日にしたかというと、翌日に京都で当人が主宰する勉強会があり、東京から京都を回る周遊コースを考えたからだ。午後からとなっているが、辻本は遅くても11時には会場に入ってくるので、今考えれば14時まで個人指導もありだったなと!

この日は、いつも10月の第1日曜日が開催日となる「中川貴雄の臨床応用」が、学会とかち合ってしまったため第2日曜日の開催となり、いつも前日入りする中川さんが夕刻来社されたので、勉強会終了後、中川さんを交え、辻本、参加者たちと夕食をということになった。

日赤では「中川貴雄の臨床応用」、当社では丸山「神経局在診断」

14日、この日は中川さんの「中川貴雄の臨床応用」と丸山「局在神経学講座」の同時開催となった。中川さんについてはもう何も言うことがないと思うが、カイロプラクティックと私というテーマで話すとなると、カイロを知って早い時期に中川さんに出会えたことが大きく影響したと思う。その頃、もう既に竹谷内兄弟、須藤、加瀬、塩川さんをはじめ、かなりのDCの方々に会っていたが、当時LACCの助教授としてアメリカで学生に教えているというのが、何よりもインパクトがあった。中川さんとのことを書き始めると、またしばらく戻って来れなくなるので、これ以上書かないが、「脊柱モーション・パルペーション」の発行が1985年なので、その前にはお会いしていることになる。優に35年経っていることになる。それは、書き始めたらキリがなくなるはずだ!

丸山の勉強会も第Ⅱ期の終了を翌月に控え、2年半にわたってよくやってきたものだと感慨深いものがある。丸山にやらせたいと思って始めたことだが、よくここまで参加者をつかんで離さなかったと思う。12月からは第Ⅲ期が始まる。講座名も「局在神経学講座」とし、自らの望むところを講義する。また1月からは大阪でも、東京でⅠ期、Ⅱ期と続けた「神経局在診断を読む」が始まる。大阪も主催は科学新聞社だが、ラルゴさんに仕切ってもらう。どちらも楽しみだ!

ここで、脱線、脱線で1カ月分、次の1カ月分は早々に書くことをお約束して、今日のところは終了させていただきます。

 

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