第33回 僕が学んだこと | カイロプラクティックジャーナル

  第33回 僕が学んだこと

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スポーツ・カイロプラクティック 第33回 僕が学んだこと2018.06.11

まさかのどんでん返し
異変は1回で終わらず
競技力向上のため治療は患者の感覚にゆだねる
カイロジャーナル91号(2018.2.26発行)より

『スポーツ・カイロ』最終回は、今までのような学術的内容ではなく、今までぼくが帯同ドクターとしてアスリートを診てきた経験から学んだことについて綴ってみたいと思う。

世界パワーリフティング選手権大会@台湾

2009年のワールドゲームズが開催されたのは台湾南端の地方都市、高雄であった。そこで初めて日本代表チーム団長のM氏と会った。当時のM氏は日本人パワーリフターの重量級において、世界大会で何度も優勝しさらに世界記録を持っているほどの実力者であった。日本人として初めて世界の重量級で闘えるパワーリフターであったのだ。

M氏の体調を伺うと「右肘と右肩、そして左膝に痛みがある」とのことだった。彼の右肘は何十年にも及ぶ高強度のトレーニングによって変性が進行した状態であり、過去に2回ほど骨棘除去の手術を受けている。しかし、手術の甲斐もなく新たに骨棘が形成され肘関節の完全伸展を困難にしている様子だった。ベンチプレスの試技において、フィニッシュで肘関節が完全伸展位となっていることが白判定には必須事項となっており、これ以上の肘関節の可動域制限は試技そのものが不可能になる恐れがあった。

早速、M氏の右肩から診ていくことにする。著しく外旋が制限されている。これは肩関節の前部関節包が硬縮していることの証左である。また、それに伴い右上腕骨頭の前方変位も認められた。前部関節包の硬縮があるのだから、上腕骨頭が前方にずれるのは当たり前のことである。次に右肘関節であるが、伸展時にはハードエンドフィールとなっており、構造的な問題(骨棘)が制限要素となっていることが示唆された。最後に左膝だが、こちらは単純に膝蓋骨の運動障害が問題であった。触診により膝蓋骨軟骨の圧痛があったが、基本的には機能的障害である。

右肘の痛みと伸展制限は、構造的要因の影響が強いと判断。試技の直前ということもあり、治療は右肩と左膝を優先させることにした。改善の指標は無痛可動域である。もし、動作痛の原因に機能的要因の占める割合が大きい場合、痛みを取ることはそれほど難しいことではない。いつも治療院でやっているように行うだけでよいのだ。自重での動作痛が生じないことを確認したところでタイムアップとなった。

場所を観客席に移し、M氏の試技を観戦することにした。スポーツ・カイロプラクターの醍醐味は、このように自分がやったことをその場で検証することができることである。パワーリフティングはベンチプレス、デッドリフト、スクワットの3種類のトータル挙上重量で競われる。それぞれのリフティングに対して3回の試技が行われる。1種目目はベンチプレスである。通常、1回目の試技は確実に挙上できる重量をエントリーする。M氏は第1試技で320kgを申請していた。同じ階級の選手で第1試技に300kg超の申請をしている人は一人もいなかった。とてつもない高重量であるが、彼にとってはアップの感覚に近い重量のはずである。しかし、ここでどんでん返しが起こってしまった。何と第1試技を失敗してしまったのだ。そして、その後の第2、第3試技も同重量で挙上できず、結局失格となってしまった。まさかの事態である。例年、M氏は世界大会で連覇をしていた。当然、ワールドゲームズでも優勝候補筆頭であった。しかし、デッドリフトとスクワットを待たずに失格となってしまったのであった。

世界ベンチプレス選手権大会@オーストリア

11年5月。ぼくはオーストリアのゼルデンという街にいた。ゼルデンは南オーストリアの山中に位置する人口4000人余りの小さな街である。世界ベンチプレス選手権大会の日本選手団帯同ドクターとしてこの地にやってきていたのだ。この大会において今でも忘れられないケースがある。

F氏はこの大会の常連選手であった。体重は80kg台前半であるが、ベンチプレスの公式最高記録は300kgであった。当時この階級で300kg以上を挙上できる選手は、世界で彼が唯一人であった。当然ながら優勝候補筆頭である。

しかし、F氏はその独特のフォームから、普段から腰痛に悩まされていた。試技前のウォームアップの時、どうも腰を痛めてしまったようだった。

ベンチプレスは背中全体を弓なりに反らせた状態で行われることが多い。背中を反った方がバーの可動範囲が狭くなるため、より重たい重量を挙上することができるのだ。F氏の場合、身体が柔らかいため、極度に背中を反らせた状態を作ることができるのだが、その代わり脊柱への負担はより大きくなってしまう。

早速、彼の腰を診てみることにした。案の定、腰を大きく後ろに反った時、下部腰椎に鋭い痛みが現れた。このようなケースでは下部腰椎の過伸展が起こっていることが多い。そして、F氏の場合、下部腰椎の過伸展は胸腰椎部の伸展制限が引き起こしているようだった。完全に痛みをゼロにすることはできなかったが、治療後は2/10程度まで痛みは軽減していた。

F氏が第1試技で申請している重量は280kgであった。この階級の第1試技では最高重量だが、F氏にとってはベストの90%程度の重量であり確実に挙上できる重量設定である。

いよいよ、F氏の試技が始まった。ラック後、ゆっくりとバーを大胸筋下部まで降ろしていく。バーが胸に触れて一呼吸あった後、主審の合図とともに一気にバーを押し上げていく。ここで異変が起こった。バーがF氏の胸の上でびくともしないのだ。主審の指示ですぐに補助が入り、第1試技は敢え無く失敗となった。しかし、異変はこれで終わらなかった。続く第2、第3試技も同様に失敗してしまったのだ。優勝候補が一転。失格となってしまった。

「痛みはなかったけど力が入らなかった・・・」

試技の直後、M氏とF氏の両者から全く同じフィードバックがあった。それは「痛みはなかったけど筋肉に力が入らなかった」。この言葉は、僕にとって大きな衝撃であった。

さて、この経験から僕が学んだことは以下の二点に集約される。

  1. 「痛みを取る治療」は必ずしも競技パフォーマンスを上げるとは限らない
  2. 人間の身体が持つ非対称性を無視することはできない

治療効果の目安の一つに動作痛の改善具合がある。当然ながら、治療後に動作痛の改善が認められることが目標となり、患者もそれを望んでいるはずだ。

しかし、上記で示した2つのケースからも明らかのように、動作痛の改善が運動パフォーマンスの向上に直接的に結びつくとは限らないのである。さらに、彼らが望んでいるものは「動作痛の改善」ではなく「運動パフォーマンスの向上」である。彼らにとって痛みの改善は二の次。痛みは改善されても、運動パフォーマンスは落ちてしまったら、アスリートにとっては本末転倒なのだ。したがって「動作痛の改善」を目安にした場合、彼らの本来の目的が叶わない可能性が出てくる。

この時点ですでにオリンピックなど世界大会にも帯同経験があったのだが、この経験を経て初めてスポーツ・カイロプラクターとしてのスタート地点に立ったような気がしている。そして、この後から「競技パフォーマンス向上に特化した治療法」についての模索が始まる。

最初に注目したのが、「神経系」であった。もちろん、カイロプラクティックのアジャスメントでは神経生理学的機能の改善を目指しているわけだが、アジャスメント以外の神経系のアプローチ法について検証を行った。

そして、次に注目したのが人間の身体の持つ非対称性であった。言葉を変えれば、人間が持っている「代償性パターン」に着目したのだ。パワーリフティングの試技は、全て左右対称な動きであるが、人間本来の身体が左右対称には作られていない。そもそも、殆どの選手は「整っていない」状態でピーキングを行ってきている。その状態で最高のパフォーマンスになるように仕上げてきているのだ。しかし、試技直前にアジャスメントを加えてしまうことで「感覚の違い」が生じてしまうのだろう。その感覚の違いが運動パフォーマンスの低下につながっているというのが、僕の見解である。

神経系のアプローチも代償性パターンのアプローチも、アスリートの「感覚」を治療の方向性の目安とした。つまり、自分の主観は極力排除し、患者側の主観的感覚に治療の方向性を委ねることにしたのだ。幸い、我が院には少なからず専業の(プロや社会人の)アスリートが来られる。彼らの治療を通して試行錯誤を繰り返すことで、ようやく「運動パフォーマンスのためのアプローチ法」について自分なりの方向性が見え始めている。


提言

あたかも「東京オリンピックに帯同参加できる」かのような触れ込みで資格セミナーのようなものを開催する協会も数年前にあった。主催する協会もどうかしていると思うが、そんな胡散臭いものに参加する方も五十歩百歩である。

このようなセミナーの是非はとりあえず置いておこう。しかし、たかだか机上で学んだ程度でオリンピックのような世界大会に即席参加することにどれほどの意義があるというのだろうか。例えるなら、車の運転の仕方を本で勉強した後、ぶっつけ本番でカーレースに出場するようなものである。事故を起こすのは火を見るよりも明らかだ。

しかし自爆するならまだよしとしよう。状況次第では、アスリートの競技パフォーマンスに多大な悪影響を及ぼす可能性すらあるのだ。にわか仕込みのスポーツ・カイロプラクターが、そのような重大な責務を全うできるなど到底考えられない。

万が一、カイロプラクターとしてオリンピック帯同を目指すというのなら、まずは全精力をそのために投入するくらいの気概が必要である。学術的にも臨床的にもスポーツ医学を徹底的に追及する姿勢が大切だ。しかも、そういうのは努力してやることではない。それ自体が面白いと感じ自然と積み重ねていった先の結果としての帯同である。僕が言いたいのは、オリンピック帯同はあくまでも結果に過ぎず、決して目的ではないということだ。

しかし、その前に日々の診療に充実感と楽しみを見出せているかどうか自分自身に問うてみると良いだろう。何と言っても日々の診療が楽しいと感じられていることが大切である。スポーツイベント帯同はその次の段階にあることだからだ。日々の診療では満足できず刺激を求めて、というのであれば本末転倒である。

さて話を自分自身に戻そう。たまに患者さんから「東京オリンピックには帯同するんですか?」と聞かれることがある。そういう時は「オリンピック委員会から「是非とも来てください」と直々に懇願されたら、考慮するつもりです」と冗談半分で答えている。

冗談半分と書いたが、かなり本音に近い。つまり、僕の中ではオリンピックなどもうどうでも良いことになっているからだ。そんなことよりもカイロプラクターとして残りの人生をかけてやりたいと思っていることが一つある。

その詳細については公言するつもりはない(現段階では)。しかし活動は現在進行形で進んでいる。ブログでその片鱗が伺えるかもしれないので興味のある方はそちらを参照していただければ幸いである。

謝意

約15年前、科学新聞社の斎藤社長(敢えて社長と呼ばせていただく)に初めてお会いしたのが、この『スポーツ・カイロ』の連載記事を書くきっかけになった。年4回ではあったが、毎回全身全霊を込めて書いてきたつもりである。1本の記事を書くために最低でも50本の論文を読み、エビデンスを付け加えることでより客観的なものに仕上がるように留意した。

正直なところ「面倒くさい」と感じることもあったのだが、それ以上に記事を書くことによって自分がスポーツ・カイロプラクターとして進化しているのを実感することができていた。僕自身が記事を書くことによって得られるベネフィットを実感していたからこそ、10年以上の長きに渡り一切の手抜きをすることなく書き続けることができたのだと思う。

今回、カイロジャーナルが終了ということで残念な気持ちではあるが、世の中は常に変化するもの。この世の物事はすべて生成消滅を繰り返しながら流れていくものだ。その流れに逆らうことはできない。

どこの馬の骨ともわからない駆け出しのカイロプラクターであった僕に、このような素晴らしい機会をご提供いただいた斎藤社長を始め関係者の方々には、心の底から御礼申し上げます。本当に長きに渡りありがとうございました。

それでは、みなさま、ごきげんよう!

榊原 直樹, DC, DACBSP®, ICSSD, CSCS
東北大学卒業(動物遺伝子学)
Cleveland Chiropractic College卒業。
カイロプラクティック・ドクター免許取得(#DC25271)
公認スポーツ障害専門カイロプラクター(CCSP)
公認ストレングス&コンディショニングスペシャリスト(CSCS)
トリノオリンピック・メディカルチームメンバー
スポーツ・カイロプラクティック学位(DACBSP)
岐阜大学大学院医学系研究科非常勤講師
スポーツ医学&カイロプラクティック研究所
blog スポーツドクターSのざっくばらん






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