プラユキ師、伊佐氏、榊原氏 鼎談 | カイロプラクティックジャーナル

  プラユキ師、伊佐氏、榊原氏 鼎談

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プラユキ師、伊佐氏、榊原氏 鼎談

カイロを通じてボランティア
カイロジャーナル91号(2018.2.26発行)より

自分の治療院で日々患者さんに向き合うのが治療家の本分――しかしそこに留まらず、全く新しい世界で可能性にチャレンジする治療家もいます。基本は手弁当、ボランティアで飛び込む世界の魅力とは?

アスリートのパフォーマンスを上げ、怪我の予防や早期復帰に対応するスポーツカイロ、医療福祉制度が十分ではない国や地域での健康ケア、災害時における通常医療とは違った角度からの健康サポートなど、手技療法家だからこそできることがあります。カイロプラクターはこの分野で先駆的役割を果たしてきており、日本人カイロプラクターたちも実績を積んでいます。
自分の仕事でもあり特技でもある手技で、新たな可能性に挑戦することで、どんな経験ができるのでしょうか。ボランティア経験豊かなお二人のカイロプラクターと、仏門に入る前からボランティア活動家だったご僧侶に語っていただきました。ポイントを押さえれば、気軽な一歩が踏み出せるかもしれません!

伊佐和敏D.C.、プラユキ・ナラテボー師、榊原 直樹D.C.
右から、伊佐和敏D.C.、プラユキ・ナラテボー師、榊原 直樹D.C.

色々な意味でカイロに感謝 伊佐氏

――本日はお忙しい中お集まりいだだき、ありがとうございます。早速お一人ずつ、ボランティアのご経験についてお話しいただきたいと思います。

伊佐さんの活動は本紙の連載や記事で何度も紹介しているので、読者の皆さまにはスポーツカイロプラクターとしてお馴染みかもしれません。この道に入ったきっかけからお話しいただけますか。

伊佐 僕は今スポーツカイロプラクターとして活動していますが、小さい頃からやっていた水泳で、オリンピックに行きたいという夢がありました。オリンピックはもちろんごく一部の人しか行けないもので、それは果たせなかった。ここで普通だったら絶たれてしまう道を、留学してカイロ、アスレチックトレーナーなどを学んだことで、もしかしたらまた日本のチームに入れるのではないか、それで夢が叶えられるのでは、と思ってやってきました。

普通にクリニックで施術して「痛みがなくなりました」と喜んでもらえるのも幸せで、カイロプラクターでよかったなと思うんです。スポーツの現場だと、選手が一喜一憂している姿がもろに見えます。そして「おかげでいい成績が出た」とか「成績はよくなかったけど、痛み無くできた」とか、いろいろな形で感謝をしてもらえる、それがすごいいいなと思っています。そういう機会をもらえる手段がカイロ。カイロに出会ってよかった、カイロに感謝!と思っています。

ワールドゲームズで選手をケアする伊佐氏

――災害ボランティアのご経験もありますよね?

子供のときに、テレビのニュースで見た震災ボランティアの活動がすごく印象に残っていました。美容師が被災地に行って、髪を切ってあげ、それを受けた人がすごく喜んでいるのを見て「なるほどなあ、自分の得意なことをやって人を喜ばせられるんだ」という思いがずっとありました。

カイロの学校卒業した当時、友達に「お金に不自由なく暮らせるなら何をしたい?」と聞かれ「お金のことを考えなくていいなら、スポーツ関連のことをしたい、被災地などで施術をしてあげたい」と言っていました。東日本大震災があったとき、これは今だな、今しかないと思いました。

瓦礫撤去などのボランティア募集は大々的にやっていましたけど、施術の受け入れは見つからず、勝手に行っていい訳もなく、しばらく探していたら、宮城県山元町なら受け入れていることを7月頃知り、テーブルを持って行って避難所の人たちを施術しました。仮設は狭く、集団行動もあったりして、ゆっくり休めない。いろいろな不幸も抱えている状態で、身体のあっちもこっちも痛いという感じでした。3日しかいられなかったのですが、すごく喜ばれました。

普段はお金をもらって「ありがとう」と言われていますけど、それとは違う感謝のされ方があり、それを経験できてよかったなと思いました。それから仮設がなくなるまで5年ぐらい通いました。仕事や引越しで、人はどんどん減っていきましたけど、行けば、おじいちゃん、おばあちゃんが周りに住んでいる人を呼んできてくれたりしました。カイロ・ボランティアならではの体験をして、やっぱりカイロに感謝という気持ちでした。

――貢献できたことに対する感謝でしょうか?

貢献する手段であるカイロに感謝、相手が喜んでくれたことに感謝、です。奥さんに会ったのもカイロがきっかけですから、カイロに感謝!

――そこ大事なところですね(笑)。
ところでスポーツカイロは被災地のボランティアとはまた全然違うのでしょうね。

被災地は、ただ純粋に「来てくれてありがとう」という感じです。スポーツでは喜怒哀楽がいろいろ出てきます。長く関われば、どれだけ努力しているかも知っているので「勝ってほしい、最高の施術を提供してあげたい」と思いますが、相手がいることだから負けてしまったりする。そういう強い喜怒哀楽のある関わりが好きでやっているのかもしれません。もしくは自分の目標のオリンピック参加をまだ達成してないからかもしれませんが。

――リオはパラリンピックでしたね。

リオ後の残る目標は、オリンピックと日本代表チームと思ってやってきて、最近、車椅子ラグビーの日本代表チームと契約しました。パラリンピック、オリンピックの日本代表チーム、オリンピックの3つを達成したいです。だからあとは、東京オリンピックへの道さえ見つければ、満足するのかなと思っています。

孤児院の子供たちのために 榊原氏

――榊原さんのボランティア経験をお話しいただけますか。

榊原 自分は、トリノ・オリンピック、パワーリフティング日本代表の世界大会などに帯同していますが、そちらの方の興味はもうそれほどなく、日々の患者さんとの接触に、今すごく楽しみを感じています。そういう日々の中で、いろいろな経緯からミャンマーに知り合いができました。その方に孤児院の運営者をご紹介いただき、3年ぐらい前から関わっています。あまり大したことはしていないのですが、カイロプラクターとして何かできることはないかと思い活動しています。カイロプラクターとしてできるお布施、自分の能力を使ったお布施ということを考えています。

ここ3年ほどは毎年訪問しています。昨年は11月上旬に行き、5日間滞在しました。今回初めて、子供たちの姿勢検査を実施しました。今までは1対多数の関係しかなかったのですが、今回1対1で関わりたいという自分のニーズもあり、姿勢検査を実施することに決めました。

今はミャンマー人の価値観、孤児院の子供たちが必要としていることを探っている段階です。今回の滞在中、現地の人たちの価値観を知りたいと思い、街で会ったミャンマー人を喫茶店に誘って話を聞くなど、積極的にいろいろな人の話を聞いてみました。

プラユキ師が『自由に生きる』の著書の中で書かれていましたが、物質的な面でのサポートと同時に心を養えるものが必要だと思っています。ですから、物心両面のサポートができる何かを現在模索中です。

――姿勢検査はどんな結果でしたか?

栄養状態が余り良くない2~15歳ぐらいの子たちということもあり、側弯症の子供が多いのではないかと予想していました。しかし、結果はほとんど見当たりませんでした。。。おそらく、日本の子供たちよりも、体を動かしているからではいないでしょうか。

――孤児院の運営はどのように行われているんですか?

お坊さんが運営しています。政府からの公的援助はほとんどなく、お布施とボランティアで成り立っています。ミャンマーの物価も年々上がってきており、財政的には厳しいようです。お布施があるときだけ栄養のあるものが食べられるという状況です。

基本的に男の子は全員出家させます。お坊さんですと、戒律上1日1食で済むので食費が浮くというのが理由のようです。食事は白飯にほとんど具の入っていないスープをかけたものを1日2回、出家している男の子は1回食べているだけです。

初めてこの孤児院を訪問したときから、食事が貧弱過ぎると感じていたので、今回は日本のカレーライスを作ることにしていました。食事の世話をしている人たちは近所のボランティアの方たちです。彼らと事前に打ち合わせを行い、鶏肉、にんじん、じゃがいも、玉ねぎなどを買っておいてもらいました。お代わりを見越して700食分の材料を用意してもらいました。朝の6時頃から準備してくれていたようです。自分は7時ぐらいに行き、やったことは日本から持ってきたカレールーを入れたことぐらいでしたが(笑)。

カレーを食べる孤児院の子供たち

日本のカレーライスを食べる子供たち。
顔に塗っている白いものは“タナカの木”から作られる日焼け止め。

――喜んでもらえました?

お代わりはたくさんしてくれましたね(笑)。

大事なのは心の開発 プラユキ師

――これまでのボランティア経験について話していただけますか。

プラユキ 3つぐらいの期間に分けられるのですが、まず初期は高校生のとき、宮沢賢治の「世界全体が幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない」というフレーズが、フッと腑に落ちちゃって。自分自身が幸せになりたいのであれば、社会に貢献できることが大事だと思いました。大学では、難民、核問題などの国際的な社会問題に関心を持ち、その他にも募金活動、障害を持っている人の介助、街の清掃など、手当たり次第という感じでボランティア活動をやり、充実も感じていました。特に海外の貧困問題とそれを支援するNGO活動に関心があり、タイやネパールへのスタディーツアーや植林活動などにも参加しました。

現地に行ってみると、貧困だけれども、苦しんでいるだけでなく、農民、スラムの人にも生き生きとした生活がありました。自分は豊かな日本で幸せに暮らしているかなと振り返ってみると、そうでもないという思いがありました。当時は経済も安定していましたが、自殺や心の病は増えつつありました。自分自身も、良かれと思ってやっているボランティアで心身ともに疲れ果てていました。自分ができるちっぽけなことに意味があるのか、という思いや、人間関係の悩みもありました。自分自身の人生の刷新を図りたい、アジアの人からも学びたい、という気持ちから、大学卒業後、タイに留学しました。

プラユキナラテボー師
プラユキナ・ラテボー師

そこで出会ったのが開発僧です。村の人といっしょに活動して問題解決に取り組むことと、心の面でも幸せに暮らせることをセットにした活動に非常に興味を持ちました。今まで自分は使命感を持ってやってきたのに、やればやるほど疲弊してしまうような感じがあったのです。しかし、タイの僧侶たちは非常に大らかで、やればやるほど元気になっていくようです。そこで3カ月ぐらいのフィールドワークとして出家し、開発僧について学ぶことにしました。

ここからが第2期になるのですが、瞑想を中心とした僧侶としての生活をしてみると、活動する上で心の開発がすごく大切だとわかってきました。今まで闇雲にいろいろな活動をしていましたが、そこに出てくる問題、課題に対して、自分自身が心を整えておかないと、やればやるほど混乱したり、人間関係でギクシャクしたり、憤ったり、悲しんだりして、結局自分自身が苦しんでしまうことになっていたんだな、と修行してみてわかったのです。ブッダの教えと技法としての瞑想修行には、そういったところをケアできる技術と知恵が満載であるということが、実際に修行して初めてわかってきました。それで3カ月の予定をそのまま続けることにして今日に至っているというのが実際のところです。

日本では1995年にオウムの事件がありましたが、その頃から悩みを抱えた人や、投薬などの精神医療でよい結果が出ないという心の問題を抱えた日本人がお寺に来るようになりました。瞑想を教え、対話していると非常によい結果が出て、口コミでどんどん新しい人がやってくるというような流れができてきました。

また、日本からもお招きを受けるようになりました。最初は在日タイ人支援ということで各地を回り、タイ料理レストランにみんなが集まってきて相談を受けていました。そのうちに日本の人からも瞑想会や相談会をしてほしい、などの話をいただくようになり、それでだんだん日本での活動が増えてくることになりました。それが現在で、第3期ということになります。

――日本に拠点はあるんですか?

瞑想会や個人面談会の予定を知らせるホームページをつくってくださった方がいて、主にそこで告知をして公民館などでやっています。主要な活動は、ブッダの教えと心のケアの技法を伝えることですが、仏教の言葉をそのまま語ってもわかりにくいから、悩みを聞いた中で、その人にふさわしいアドバイスや心の開発のヒントを伝えるという感じで、できるだけのことをさせていただいています。

お金じゃない幸せ

伊佐 今のお話で、貧しい人たちでも幸せで、仕事、家族、家、車などがあって、一見豊かでも、心がイマイチ満たされない人がいるというのは、僕も感じていました。僕は高校までの日本での生活ではそんなことは考えもしませんでしたけど、留学していたときのことです。朝7時からの授業の日に「眠いなあ、いやだなあ」とグズグズしていたら、外から笑い声が聞こえたんですよ。窓から外を見ると、捨ててあったソファに座って2、3人のホームレスがバーベキューをしていました。そのとき「自分負けてるじゃん」と思いました。彼らは今を楽しんでいるんですね。

コロンビアやブラジルでスポーツ大会のボランティアをしたときも、人々は貧しいけれども、音楽が流れれば踊って楽しんでいる。お金じゃないんだなと思いました。

――経済的に貧しくても、幸せ、元気でいられるのはどうしてなんでしょうか?

プラユキ 私、出家して初めて、超貧しい生活というものを体験することができました。お坊さんの生活は、服はこれ(法衣)だけ、食は、森林寺では1日1回。住はほったて小屋です。そんな生活だけど、心満たされる感じがしました。少欲知足なんて言葉があるけど、あれが欲しいこれが欲しいと心が捕らわれていると、心が満たされない。ところが今ここを新鮮に味わえると、今あるものに感謝できる。小さな幸せというか、今あるもので満足できるという感じでしょうか。

農村開発に携わったときも、お互いにシェアしてやっていく人たちは、少なくても満足して幸せに生きていると感じました。秩序ある生活をしたり、布施の精神があったりすればするほど、だれでもが豊かになれる可能性があります。みんなで分け与え合い、それに満足できたら、すごく幸せに生きられるんじゃないかな。どういう心持ちで生きていくか、そこに尽きるのではないでしょうか。

布施と随喜の精神

――布施の精神はボランティア精神と言っていいでしょうか?

プラユキ 布施は、まさにボランティア。見返りを求めるのではなく、与えることを喜べることです。与えることは損することではなく、心の面では与えると徳がもらえます。布施には、心の世界が視野に入ってくるためのイニシエーション的な意味合いがあります。相手が喜んだ姿を見て自分も幸せになれる、という心の世界に参入できるのです。

伊佐 僕は、徳なんてとこまでは行かないですけど、与えることに感謝を感じるというのはなんとなく思っていました。ただ好きでやっているだけではありますけど。
プラユキ さきほどおっしゃっていた、震災ボランティアに行ってよかったなという思いは、感謝とともに生じる深く満たされた幸せ感、というものではないかと感じますよ。

榊原 僕は自我もあるし、自分自身の欲望もある。それらを受け入れた上で、やらないよりやった方がいいだろうという思いで今はやっています。以前は慈善活動によって、自我は増強するのではないかと思っていましたが、過去にプラユキ師から「心配いりません」と言われたので、アクションを起こす決意をしました(笑)。

プラユキ師が30年ぐらいやってきて、地域の人々と活動される際に念頭においていることがあれば教えていただけますか。

代替テキスト
プラユキ師、伊佐氏、榊原氏による鼎談。
カイロを通じたボランティアの在り方を探った。

プラユキ 仏教には「随喜」と言って、ともに幸せになることに価値をおきます。自分が「こうなりたい、やりたい」と思ってやったことで相手も喜んでくれると、境がなくなって、ともに幸せになる。その方がより無理のない自然体のやり方という感じがします。「自分は疲れても人のために」というのではなく、自分が楽しみ、自分も相手から学び、相手の喜ぶ姿から恩恵を受けられる。自分が本当に求めているものをやると、相手も自然に幸せになってくれちゃう、そういう可能性があります。どちらか一方ではなく、自分も相手もお互いさまに幸せになれるのがやはり一番だと思います。

これから志すひとへ

――ボランティアをこれからしたいという人に対して、何かメッセージをお願いします。やりたい気持ちは持っていても、やっていない人は結構いると思うのですが、カイロ的にまだ力量が…とか、経済的に不十分などの理由で踏み出せていない人たちへの助言があったらお願いします。

伊佐 ボランティアって、すごいことしなきゃいけないんじゃないかと思ってしまうかもしれませんが、例えば道に迷っている人を助けることだったら、力量も経済力も関係ありません。気持ちがあるならそういうところから始めればいいと思います。自分も方向音痴だけれども、外国人に道を教えたりしますよ。

カイロの力量が十分かどうかについては、自分も十分だなんて思っていません。それを職業としていて生活が成り立っているなら、不十分ではないと思います。迷う気持ちもわかりますが、それは意外にやればなんとかなりますよ。やってみてダメだったらまたがんばればいいじゃないですか。そんなに深く考えなくていいじゃないですか、というのがあんまり考えてない僕の意見です。

榊原 まず自分が満たされる必要があると思います。提供する側が自己犠牲を感じているようでは、それを受ける側にとって望ましくありません。自分の場合、日々楽しく生きていることを実感するようになり、このような活動をしたいという気持ちが自然に湧いてきました。自分自身がある程度満たされた後に出てくるのは、ボランティアをやりたいという気持ちかも知れませんし、何か別な形かもしれません。ただ、自分が満たされれば、自然と気持ちは他者に向かっていくのではないでしょうか。

また自分が注意しているのは、結果を求めないこと。今ここに集中してマイベストを尽くしていれば、どのような結果であれ、受け入れていくことができると思います。

プラユキ ボランティアをやりたいなら、席を譲る、重いものを持ってあげるなど、身近でできることからまずやってみることです。実際に一歩踏み出すことによって、貢献しながら幸せも味わっていくようになると、自然に発展していける可能性が出てきます。

ボランティアをしていくと、「見返りが帰って来ない」「ありがとうを言ってもらえない」などの気持ちが出てくることもあるかと思いますが、やれたことで恩恵を受けているんだから、そこまで求めなくてOKなんです。感謝されるのはおまけぐらいの気持ちで、やれたことに満足する、そうした体験を積み重ねていくのがポイントかと思います。

治療業のポテンシャル

プラユキ 今日は、カイロで実績がある先生方に会ってお話を伺いましたが、ブッダの知恵と慈悲を具現化するすごく優位な立場におられるのではないかと思いました。知恵とは、こうなっているんだと法則性を理解すること、慈悲は、相手に何かを与えるボランティア精神と関係しています。カイロの人が、体をしっかりと観るのが知恵につながり、関係性で何か与えてあげようというのが慈悲につながるように思います。

ブッダもまず体を観ることから始めて、だんだん心を観ることにつなげていくことを教えています。榊原さんのお話にもありましたが、まず自分を大事に、楽にしてあげて、そこから自然発生的に周囲の人たちへの貢献に広げようというのも共通することです。

カイロの人は、体を観るという訓練を積んでいますので、心を観る方へもスムーズにシフトしやすいと感じます。自分自身も満たされ、相手にも貢献していく、幸せを与えていく、そういったことが存分にできるポテンシャルがあるご職業ではないかと思います。

――確かに、世界の様々なカイロプラクターや関連団体がボランティア活動を展開しているのは、そのようなポテンシャルがあってのことかもしれません。カイロによる社会貢献はカイロのあり方の一つの理想とも言えるので、お2人のような日本人カイロプラクターが世界に引けを取らない活動をしてくださっているのは頼もしい限りです。今後も情報発信などの面から応援させていただけたら思います。

今日は、豊富なボランティア経験のある3人の方に、ユニークな体験とそれに裏打ちされたアドバイスや極意を語っていただきました。読者の皆様の今後の活動に1つでも2つでも役に立つことがあれば幸いです。ありがとうございました。


プロフィール

プラユキ・ナラテボー師
タイ・スカトー寺副住職。
大学時代よりボランティアやNGO活動に関わり、タイのチュラロンコン大学大学院に留学し、農村開発におけるタイ僧侶の役割を研究した。1988年に出家後は地域に根ざす開発僧として活動し、日本でも瞑想指導や講演を行っている。

榊原直樹D.C.
17年前に渡印し瞑想三昧の日々を送る。
3年前よりミャンマーの孤児院にてボランティア活動を開始。毎年渡緬し、孤児らの姿勢検査、炊き出しなどを行っている。
将来の夢は孤児院の子供らの独立支援をサポートすること。
モットーは「自分が楽しめること」を選んで生きる。日本スポーツ徒手医学協会(http://jamsm.org/)会長。

伊佐和敏D.C.
イサ・スポーツ・カイロプラクティック(千葉県)院長。
国際スポーツカイロプラクティック連盟(FICS)役員。
スポーツカイロプラクターとしてオリンピック、ワールドゲームズ、その他の国際スポーツ・イベントに参加。国内大会や国内のスポーツチームのケアにも積極的に取り組む。

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