2015 11月カイロプラクティックジャーナル

  2015  11月

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手技 キネシオ テーピング法

投稿日:2015年11月27日

kineshiwo2015

はじめに

キネシオ療法をどのように全世界に広げるかを考え続けている。キネシオ療法とはキネシオ療法理念をもとに、キネシオ療法のキネシオテーピング法、手技筋膜、筋肉、関節、リンパマニピュレーション、クライオセラピー、 スラッキング法、マッスルユニットトレーニング(MUT)、オステアローザ法を患者のために施す療法である。キネシオ療法を全世界に広めるには効果的な治療法を紹介しなければならないと思い、この本を書いた。この本はキネシオテーピング法と手技療法を統合させた本である。どちらの療法も患者に効果的であるが、統合することでさらに効果が得られるのである。

すべての始まりはカイロプラクターとして治療を始め、常にどう患者を治療し助けるかを考えたときからである。30数年前に痛みで動かない、または動かしたくない体をどのように動かすか? を考えた。痛いからといって動かさなければ細胞の機能低下が起こる。これが苦悩の始まりであったが、そこから生まれたのがキネシオテーピングである。そして私は、キネシオ療法の手技筋膜、筋肉、関節、リンパマニピュレーション、クライオセラピー、 スラッキング法、MUT、オステアローザ法など次々と考案、実践してきた。

キネシオ療法の一部のキネシオテーピング法は筋肉テーピングとして始まったが、今では末梢神経、自律神経、脳、幹細胞、筋肉、関節など様々な体の細胞に影響を及ぼすことがわかってきただけでなく、精神面にも影響を及ぼしている。キネシオテーピングの可能性は未知で、常に進化している。キネシオ療法も進化している。キネシオテーピング法と手技療法を統合させて相乗効果を図るこの本も、進化である。私は体の未知の謎を解き明かすべく治療家として常に試行錯誤している。

アメリカで当協会の公認指導員を務め、ND(自然医学医)、DC、鍼灸師として活躍している髙倉昌宏先生が、私と一緒にこの本をまとめることになった。

この本がキネシオ療法を全世界に広げる第一歩になればと思う。本の内容が治療家の方々の参考になり、それを患者のために役立ててもらえれば光栄に思う。

キネシオテーピング協会会長
加瀬建造DC

キネシオテーピングを考案、開発した加瀬建造先生は未来の医療を常に見続けている。加瀬先生はカイロプラクターであるが、その領域を超えた治療家として、体が何兆という細胞の集合体であり、その細胞一つ一つに手技療法、自然療法がどのように影響を及ぼすかを考えている。

必ずしもエビデンスがある訳ではない。エビデンスとは人間が考えたものをどのように実験して立証するかということで、常に医療の世界では時間がかかる。治療によって副作用を起こす療法にはエビデンスが必要である。患者の安全が第一だからである。しかし手技療法、自然療法の世界でエビデンスを待っていたら時間がもったいないのである。我々は痛みのある患者、機能障害のある患者のために最善を尽くすべく日夜努力をしている。その第一線を常にリーダーとして努力しているのが加瀬建造先生である。私には一人の治療家として加瀬建造先生の考えに即して未来治療をどこまでも追い、いつか追いつきたいと思っている。手技キネシオテーピング法は未来治療の一部でしかないが、これをまず紹介し、これからの未来治療のスタートとしたい。

前キネシオテーピング国際協会理事
髙倉昌宏 ND, LAc, DC

目 次

はじめに

第1章 キネシオ療法概論 001

キネシオ療法とは? 002
キネシオ療法理論とは? 002
「空・動・冷」の理論とは? 002
軟部組織流体性理論とは? 003
キネシオテーピング法とは? 004
主な筋骨格系の症状の警戒徴候:レッドフラッグ 005

第2章 手技療法と手技キネシオテーピング法 007

手技療法 008
キネシオテーピング法 011
手技キネシオテーピング法 011

第3章 筋骨格系の症状の診たて 017

診たての重要性 018
筋骨格系の診たて 018
視診 019
触診 019
可動域テスト(皮膚、筋膜、筋肉、靱帯、関節) 019
整形外科テスト 021
頸椎部分テスト 021
胸部分テスト 028
腰部分テスト 031
骨盤と股関節部分テスト 034
肩部分テスト 040
肘部分テスト 046
手首部分テスト 050
膝部分テスト 053
足首部分テスト 059
キネシオスクリーニングテスト 063
各キネシオスクリーニングテストの写真と説明 064
リンダーテスト1 064
頸椎伸展テスト 064
血管膨隆 065
ペクトガードルテスト 065
リンダーテスト2 066
腹圧検査 066
ヒップローテーションテスト 067
SLR テスト 067
筋肉テスト 068
手技組織移動テスト(Manual Tissue Direction) 068

第4章 手技キネシオテーピング法(基本編) 071

治療過多とは? 072
手技キネシオテーピング法─脊椎の痛み 073
脊椎以外の部位の痛みの場合 074
キネシオ脊椎テーピング 075
脊椎連動テーピング 075
各脊椎の短筋テーピング 077
各脊椎の長筋テーピング 084
キネシオ筋肉テーピング 090
キネシオ表皮テーピング 092
キネシオ神経テーピング 095
皮膚分節知覚帯のテーピング 096
キネシオ骨・靱帯・関節テーピング 099

第5章 手技キネシオテーピング法(応用編) 111

脊椎関節可動域減少の場合 112
関節マニピュレーションについて 112
関節マニピュレーションの目的 112
副作用を抑える方法 114
関節マニピュレーションのコンタクトハンドとサポートハンド 114
椎骨の可動域減少の呼び方と位置表示 115
椎骨のモデルで見せるリステング 117
頸椎マニピュレーション 118
胸椎マニピュレーション 121
肋横突関節マニピュレーション 126
腰椎マニピュレーション 128
仙腸関節マニピュレーション 130
他の技 133
自主練習 135
肩関節マニピュレーション 136
胸鎖関節マニピュレーション 138
肘関節マニピュレーション 140
手首関節マニピュレーション 142
股関節マニピュレーション 144
膝関節マニピュレーション 145
足首関節マニピュレーション 147
治療例 149
頭蓋骨、頸椎 149
胸椎 150
腰椎 150
骨盤 151

附録 

手技キネシオテーピング法についての論考 153
1.複数臨床に基づくキネシオテープとカイロプラクテック治療の相互作用に関する調査研究 154
2.キックバックが皮膚、軟部組織に及ぼす影響―テープの伸張率との関連― 161
おわりに 163
著者・監修者 略歴 164


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榊原直樹のスポーツ・カイロプラクティック2016「神経のモビリゼーション」 3月

投稿日:2015年11月15日

✽セミナー進行状況によスケジュールに変更がありましたのでご注意ください

榊原直樹D.C.のスポーツ・カイロプラクティック2016「神経のモビリゼーション」 2月

投稿日:2015年11月15日

✽セミナー進行状況によスケジュールに変更がありましたのでご注意ください

『メジャーリーグ 治療法と実技』

投稿日:2015年11月10日

『メジャーリーグ 治療法と実技』チラシ

伝説のトレーナー

激務とチャンスからミスター5000試合へ
ゲーターレード誌 マギー・ラカンブラ

クリーブランドインディアンズのへッドアスレティックトレーナー”ジミー・ウルフィールド”によると、メジャーリーグクラブで長い期間成功する鍵は”良い仕事倫理を持ち言葉をコントロールすること”だと言う。ウルフィールドはこのアドバイスをリック・グリフィンの初期の経歴の頃し、そしてグリフィンは33年近く、5000試合をシアトルマリナーズで実証し、このアドバイスは彼の心をつかんだ。

<いかにスタートしたか>

ユタ州ブリングハムシティ出身のグリフィンはユタ州立大学に通った。スポーツと医学に興味を持っていたが、彼のフレッシュマンの年の春までは、グリフィンはその両方への情熱がアスレテックトレーニングによって実現できるとはわからなかった。アギーの春のフットボールを見た時、レシーバーとディフェンンスの背中が衝突するのを目撃、左のレシーバーが怪我をした。アギーのへッドアスレティックトレーナー”ダール・ミルデンバーガー”とナショナルアスレティックトレーナー協会栄誉殿堂メンバーは走ってフィールドに入り怪我した選手を助けた。このことはグリフィンの気持ちを喚起し、ミルデンバーガーについて、よりプロフェッショナルを学ぶことを決めさせた。すぐ後グリフィンはアスレティックトレーニングルームのレギュラーとなる。注意深くミルデンバーガーの選手に対する仕事を観察、結局アスレティックトレーニング学位を得る。グリフィンは1977年、教育/教えの理学士としてユタ州立大学を卒業、ユージンのオレゴン大学でアスレティックトレーニング教育を続け、1978年解剖学とスポーツ医学の理学士として卒業する。オレゴン大学時代グリフィンはウィンストンチャーチル高校でへッドアスレティックトレーナーとしても、また大学では3つのアスレティックトレーニングのクラスを教えた。グリフィンはアスレティックトレーニングの学生と仕事をすること、彼らのために時間を費やすことを愛した。グリフィンは彼らに言う”失敗をせず、君が望むことを成就させるための良いチャンスをつかめ、チャンスを得ることを恐れるな”

<彼自身のアドバイスを受けること>

グリフィンは彼が学生に与えたアドバイスによって明らかに生きた。事実それはグリフィンを野球経験を得ることへ導き、後にマリナーズでの彼のポジションを確保する中で決定的に証明される。大学のアスレティックトレーニングルームで働いていたある午後、グリフィンは電話に出た。シンシナティーレッドのマイナーリーグファームディレクター”ケース・ベンダー”が電話相手、ロッキーボールチーム、ユージンエメラルドで働くアスレティックトレーナーを探していた。迷うことなくフルスケジュールの大学、高校での仕事のかわりに、その仕事を引き受けるとグリフィンはベンダーに言った。グリフィンはエメラルドで4年間働く。この落ち着いた行動は彼がシアトルのドクター”ケース・ペターソン”のスポーツ医学クリニックで新しいことに挑戦、仕事を得ることを決めた1981年に終了した。しかいすぐにグリフィンは野球経験をいかに失ったか悟りシアトルマリナーズアスレティックトレーナー”グレイ・ニコルソン”に連絡、ボランティアとして彼の時間を申し出、もう一度チャンスを得る。ニコルソンは感謝し、グリフィンがすぐにプロ野球選手のケアをする”秘密”を学ぶ球場に彼を招いた。”もし彼らが君を知らなければ、彼らは自分たちにするすべてのことに対して君を信用しない”この気持ちを持ちグリフィンはシーズン中25ゲームに参加、何もせず、ただ選手の観察、うろつきまわった。幸いにもこの行動によりニコルソンは1982年のシーズンの終わりに引退を通告、グリフィンにマリナーズへっドアスレティっクトレーナーのポジションを申請することをすすめた。グリフィンはニコルソンのポジションをわずか26歳の新人である自分が受けることを笑ったが、もう一度彼自身のアドバイスに心を留め、申請により機会を得た。150人の申請者の内グリフィンはすぐトップにのぼり1983年マリナーズのへッドアスレティックトレーナーに就任、マイナーリーグシステムを通ることなしで、へッドアスレティックトレーナーのポジションについたMLB内でも2,3人の人間となった。

<長期にわたる活躍>

今年はグリフィンのマリナーズのへッドアスレティックトレーナーとしての33年目の年となる。”私には後悔はない、私は最高の仕事を最高のチームとした。私は別のチームに行くことも出来た、しかし私はシアトルにいることを選んだ”グリフィンは言う。若い子供たち、良いマネージメント、良い選手、コーチがグリフィンをシアトルにとどめた。この安定性からグリフィンは彼のサポートシステムを作りあげることが出来、1人のへッドアスレティックトレーナー、1人の療法士から、選手の健康と安全を改良していく4人のアシスタントアスレティックトレーナー、5人の療法士というへッドアスレティックトレーナーチームに発展することが出来た。彼の彼、彼のスタッフに対するルールは”私たちではなく選手だ”この仕事倫理の考え方はグリフィンと彼のスタッフに1999年プロフェッショナルベースボールアスレティックトレーナーズ協会によるアスレティックトレーニングスタッフアワードを獲得させた。マリナーズにおいて、この強固なスタッフを作り上げることに追加してグリフィンは日本からのアスレティックトレーナーの評判の良い春のトレーニングインターンシップをコーディネイトした。彼は、私は日本スポーツ医学インターンが宣言している“彼らの仕事倫理、知識への渇望が印象的だった”に大変いつくしみを持ったと言う。この年は日本のキネシオテープ主催による20周年プログラムの年、グリフィンはアリゾナの春トレーニングの100回目の日本交換留学生のホストとなった。

<トップの座への到達>

162のゲームシーズンの過程の上、チームの健全性と良好性を維持することは困難な仕事にも拘わらず、グリフィンは1つのチームとしてそれを32年間マネージメントした。グリフィンのMLBにおける長年のキャリアの中の大きな成果は2014年6月4日の受賞、ミスター5000試合だ。彼は選手が5000試合達成、700名の選手、1つのチームに100マイルのテープ使用という記念のTシャツを選手たちが着ていることに驚いた。“こういうことはビックリーグのデーブ・プスレー、ゲーン・モノハン、ハーム・シュナイダーという人達の一握りが5000試合に到達するだけのことだと思っていた”リックは語る“私は本当にこの会社にいたことが幸運だった”33年をこえる経歴は、いかに人が自分の仕事をするか、携帯電話が私たちの働きを大きく変えるのにインパクトを持ったように変化としておこるだろうと確信する。彼の仕事統合が増加する一方、優秀な選手からのより良いケアの要求も増え、グリフィンは出来る間は出来るだけMLBの仕事をし、計画し続けることを未だ楽しんでいる。しかしその時が来た時はケアーした人間として、“人々に彼が私を助ける努力をしたと言ってもらえれば”と望む。リック・グリフィン シアトルマリナーズ へッドトレーナー

リック・グリフィン 略歴

リック・グリフィン(57)は1977年ユージン オレのウィンストンチャーチル高等学校でスポーツの教師、アスレチックトレーナーとしてのキャリアをスタートした。1978年グリフィンは出身地ウタ ブリンハムシティにてマイナーリーグ シンシナティレッドのユージンエメラルドのアスレティックトレーナーとなり、プロフェッショナル野球の道に入った。1981年グリフィンはシアトルスポーツメディカルクリニックにフルタイムのアスレティックトレーナーとなり、その後1983年にはシアトルマリナーズのへッドトレーナーとなることになる。2011年5月グリフィンはマリナーズで4500試合を経験することとなる。NATA,ACSM,NWATSのメンバーのグリフィンは1989年―1995年、PBATSアメリカンリーグアスレティックトレーナー代表として活動、また1987年、1995年、2001年、2010年はアメリカメジャーリーグベースボールのオールスター戦に参加する。1996年はメジャーリーグオールスター戦の日本ツアーに参加、1994年、1995年、1998年、2000年、2001年、2002年は日本で講演活動を行う。グリフィンはモンタナプロロデオサーキットに健康管理業務を提供、熱心、貪欲なハンターであり釣人、ワッシュ ボーゼル在住

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