2010 2月カイロプラクティックジャーナル

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<第10回>松久正D.C.「背骨を流れる生命力を解放できるのは、カイロプラクターだけ」

投稿日:2010年02月26日

松久正D.C.

今回の「この人に会いたい」は、昨年10月に米・アリゾナから帰国し、日本で理想のカイロプラクティックを具現化するための第一歩として、4月20日に神奈川県鎌倉市に「鎌倉ドクタードルフィン診療所」をオープンしたドクターホープこと、松久正M.D.,D.C.にインタビューしました。
インタビューを行ったのは鎌倉にドッと観光客が訪れるGW中の穏やかな日ざしの一日。「癒しの空間をそのまま診療所としてカタチにしました」という言葉通り、一歩足を踏み入れた瞬間から心地よいフィーリングが伝わってきました。ご本人の希望に満ち溢れたお話とともに、日本のカイロプラクティック界にとっても大いなる指針となるであろう氏の話から何を読み取るか。じっくりとお読みください。

斎藤:素晴らしいオフィスですね!

松久:ありがとうございます。少し説明させてください。受付、待合室のスペース、それにスタッフ・ルームを入れて全部で5つあります。それぞれが違ったイメージになっています。例えば、受付スペースは自然の木を基調にしています。問診室は森の緑のような山のイメージです。診療室は海のイメージです。壁が水色で床が砂浜をイメージしました。

斎藤:ここからは八幡宮が一望ですね!

松久:桜が満開のときは凄かったですよ! ここからの景色は最高でしたね!

斎藤:こちらが診療室ですね。

松久:診療室と診療室につながる3つの個室を設けました。アリゾナでガンステッドをずっとやっていたんですけど、ガンステッドは1人5分ぐらいで治療ができますから、この個室で着替えをしていただき、終わったらこの窓からカルテを出していただきます。このドアは診療室側からしか開かないようになっています。私がカルテを受け取ってドアを開けて導きます。診療中に次の患者さんが入ってくることができないようになっています。部屋順に診療が終わったら、次の方に入っていただく、全く無駄がありません。

斎藤:このモニターは?

松久:レントゲンの画像です。こちらに来てください。ここがレントゲン室です。フルスパインを立位で撮ることができます。撮った画像を瞬時に処理して、診療室のモニターに送ることができます。フィルムを一切使わないデジタル・システムです。アメリカではレントゲンを撮り、現像して線引きをし、それからコンピューターに入れる。1日10数人もこの作業をすると、もう嫌になりました。このシステムだと1分ぐらいで画像になります。初診の患者さんは問診をしてからレントゲンを撮ります。その画像がこのモニターに送られます。ちょっとデモをお見せしましょう。こういう感じで瞬間的に出ます。正面像と側面像。これが心臓の左方。ひっくり返したものもほら。これで操作をしながら、ポインターで患者さんに説明ができるんです。患者さんは納得して治療を受けていただけます。画像もきれいでしょう! 何と言ってもやはりデジタルですからね!

斎藤:これらを全部、お一人で?
松久:その方が効率がいいんですよ。もう慣れちゃってますから。
斎藤:このゼニス・テーブルはオレンジ色ですね。これもこだわられたんですか?
松久:診療所のロゴを見ていただくと、おわかりいただけると思うんですけど、水色とオレンジが基調色なんです。水色は海、オレンジは山、もしくは太陽のイメージです。そういうイメージで全部揃えてあります。
斎藤:診療所のご紹介ありがとうございました。すべてが患者のためにデザイン、レイアウト、そして設備されていることがよくわかりました。それでは、本題のインタビューに入らせていただきます。先生は整形外科医として長く医療に従事されていたわけですが、どうしてまたカイロプラクティックの世界へ?

松久:1992年に慶応大学医学部を卒業し、整形外科の世界に入りました。初めのうちは研修などの忙しさの中で、何が整形外科かわからない状態でやっていました。段々と年数が経ち臨床経験も増えてきましたら、自分のしている医療がどう人に関わって、どう貢献できるか、という姿が見えてきたんですね!

現代の西洋医学と言えば、投薬、注射が主流で、そこに手術が入って、後は放射線。これが代表的な3大医療になるわけですが、私も手術、手術と明け暮れる毎日を送りながら、それが上手くいったときは嬉しく思っていたんです。しかし、一時的に良くはなったとしても、また戻って来る患者さんがいかに多いことか。また、手術しても十分な回復が得られないという患者さんがいかに多いことか。もう一つは薬ですよね。これは症状を隠して、誤魔化しているだけじゃないか、という疑問がどんどん自分の中で大きくなっていったんです。

そんな中で、私がいつも思うのが自分たちは“医療人”なんだから、本来は人を元気にすることが最も重要な仕事なんだということです。例えば医学の評価というのは、医者にとっては論文です。患者がいかに良くなったかというのもデータです。痛みのグレードがいくつからいくつになった。もしくは炎症の値が血液検査でどれくらいになった。そればかりです。実際、患者さんが本当に元気になったのか、ハッピーになったのか、というと、これが甚だ疑問だというのが現状だと思います。

そういった中で、現代西洋医学で救われる方が一部にはいる中で、大勢の方は救われていないのではないか、と。本当に満足している人がいかに少ないかということを、現場の医療で9年以上臨床をして思い知ったのです。これ以上、自分の生き甲斐としてこの道を続けることはもうできないな、と。

私が生き甲斐に感じるのは、本当に人が助けられて、救われて、本当に幸せになって、元気になった、という姿を生み出す医療ができて、初めて自分の生き甲斐になるなと感じました。今の医療からはこれは出てこないということで、他のことをやろうと思い始めたのが、整形外科医になって5年を過ぎたあたりでした。2、3年では見えなかったことが、5年間くらい臨床を続けているとようやく見えてきたんだと思います。

斎藤:カイロプラクティックはどの時点でお知りになりましたか?

松久:そこで今の医療体系で救われない人を、どうやって本当に救って元気になってもらうかということを、整形外科の臨床をしながらいろいろ考え、探っていました。私には2つ年下の弟がいまして、面白い経歴の持ち主で私も認める実力のある医療人です。柔道整復師、鍼灸師で、中国の上海中医大学を卒業して中国医師の免許も持っている鍼の専門家です。

彼が冨金原先生のところで働いていたときに、他のお弟子さんからカイロプラクティックの話をよくされていたみたいで、三重の実家に共に帰ったときなど、2人で酒を酌み交わしていると、「お兄ちゃん、カイロプラクティックというのがあるんだよ!」と。そんな話を聞いていると、疑問を持っていたところに何か光が射してきたような気がしました。私の求めるものがそこにあるのかもしれない、と思い始め、それからいろいろと調査し、結果カイロプラクティックに進もう、アメリカへ行こう、と決めたんです。

斎藤:学校はどちらにしたのですか?

松久:初めロサンゼルス・カイロプラクティック大学(LACC、現・南カルフォルニア健康科学大学 SCUHS)に行きました。これは私が医師だったので、エビデンスやサイエンスがベースとして活かせるところのほうが有効かなと思ったんです。ところが、LACCに2年間通ってはみたものの、ほとんどが西洋医学ばっかりで、私にとっては何のためにカイロプラクティックを学びに来たのか、全くわからない状態でした。ただ英語の勉強や、解剖とか生理の復習にはなったので頑張って通っていました。ところが2年経って今度は学生クリニックに入ったときにですね、私が求めていたカイロプラクティックができないことに気づきました。

10年間医者をやって、カイロプラクティックを学ぶためにアメリカへ来たのです。自分が求めるカイロプラクティックを考え、あえて苦渋の選択でパーマー(パーマー・カイロプラクティック大学)に行くことに決めました。問題は単位が大幅に遅れてしまったことです。大学間で認められないものがかなりあるのです。半年は遅れてしまいましたね。

斎藤:LACCとパーマーで全然単位の扱いが違うんですか?

松久:本当に苦労しました。医師だからLACCに入ったときも免除してもらえる単位はあったのでしょうが、結局は全部受けるということで一からやり直しました。解剖も初めから全部やり直した頃に、今度はパーマーに行くことになり、パーマーに申請を出したときには既に6学期間が終わっていました。認められた単位は半分以下でした。また時間とお金がかかってしまう。こういう場合、諦めてしまう人も多いんじゃないでしょうか?

私がアメリカ行きを決めた時、そのことを教授に報告しましたら、「カイロプラクティックをやるために行くのだったら勘当だ!」と教授に怒鳴られました。勘当されたら、もう二度と医師としては食べていけません。しかし、私はカイロプラクティックに確信めいたものを感じていました。これが私のやるべきことだと。勘当覚悟で教授にまた挨拶にいったら、「そこまで決心しているのなら…」と結果勘当もなくアメリカ行きを認めてくれました。

そういう思いまでしてアメリカに来ているんですから、いい加減に終わらせるわけにいかなかったのです。結局4学期からパーマーに入ったんです。7学期から入れるはずのところを4学期から入ったんです。ほぼ1年の遅れです。私にとっては、それでもやる意味があったんです。とにかくパーマーでオリジナルを学びたいと。

斎藤:パーマーはその期待に応えてくれましたか?

松久:私がパーマーに期待したのは教育もそうですが、空気を共有したかったのです。カイロプラクティックがここで発祥して、先代がどういう風にカイロプラクティックと向き合って生きていたか、生き様を空気で感じたかったからです。だからこそダベンポートに意味があったのです。すごく寒いところですけど。でもカイロプラクティックの本質を残しています。

ただ、ご存知のようにパーマーでさえも、どんどん医学化が進んで嘆かわしい状況ではあるんです。私は大学だけにいたらダメになると思いました。カイロプラクティックの本質をわかっている人が教えていない。だからあえて、私は外のセミナーに行きまくりましたね。ガンステッドのセミナーには学生で最も多く通ったのではないでしょうか?

斎藤:LACCにいたときにはガンステッドとは縁がなかったんですか?

松久:LACCの1学期の時点で結構ショックを受けていました。「これじゃあ全く医学教育と同じじゃないか? こんなはずじゃなかった」と。もがいているときに、友人の小野弘志君がガンステッドをやっていて、「こんな面白いものがあるよ」と紹介してくれたんです。2学期に入ったときにすぐに行き始めました。「これだ!」と感じましたね。だからLACCのときからどんどんガンステッドはやっていました。そのときのドクターの影響もあってパーマーにも行ったんです。

斎藤:ガンステッドを確信したのはいつ頃ですか?

松久:ダベンポートではパーマーに通いながら、よくマウントハープに通いました。Dr.コックスの家にも何回も行き、いつの間にか友達のような付き合いになりました。ガンステッドについてかなり深い話をよくディスカッションしましたよ。その頃ですね、私が求めているものがあったと確信できたのは。20回以上はセミナーに行きました。ドクター・ビジットもたくさん行きましたよ。学校で学んだものは1割も満たない。外で9割以上学びました。学校には認識を得るために行かざるを得ない。国際資格を得るために行かざるを得なかったのです。学生の時点で誰にも負けないという自信は持っていました。だから、パーマーのガンステッド・クラブに入って、エグゼクティブというテストを受けました。何人かに分かれてドクターの家に行って、そこでも凄く厳しい試験を受けます。1回目は落ちたんですけど、2回目でパスしました。当時アジア人の学生としては初めてだったと思います。7学期にもなるとエグゼクティブのメンバーということで、昼休みなど学生たちが私のところに教わりにきました。

9学期が終わった時点で、学生単位は全部終わらせようと考えたのですが、これがそう容易なことではないのです。とにかく患者を診なくてはならない。ところがなかなか患者が取れない。日本人というハンデもありますからね。今では笑い話ですけど、カイロプラクティックの看板を持ってショッピングモールに行き、通行人やお客さんに声をかけまくったんです。「すいません。私、松久と言います。日本から来てカイロプラクティックを勉強しています。いま学生クリニックをやっています。きっと力になれると思います。どうですか?」と。ガードマンに何回も捕まりました。アメリカの学生でも患者を見つけるのが大変なんです。日本人が普通に座っていたら患者は来ません。そういうことをやって9学期で学生単位を終わらせ、さあ次はどこに行こうかっていうときに、やっぱりガンステッドのセミナーでオーラを出していたドクターがすぐに頭に浮かびました。

斎藤:それはどなたですか?

松久:Dr.ホゼ・ララです。彼はその当時専任でガンステッド・セミナーのテクニックを教えていました。私は彼がそこにいるだけで、何かもの凄いものを感じていたんです。このドクターこそ本当に人を癒すドクターだと。人間力が違うと。もちろんテクニックとか知識も、もの凄いですが、それ以上に存在しているだけでエネルギーを感じるのです。このドクターに、もっと学びたい、学ぶ必要があると。次にはもう手紙攻撃、Eメール攻撃ですよ。私のことはセミナーで知ってもらっていますから、後は自分をアピールするしかない。実際、すごい競争率でなかなか取ってくれないんです。情熱溢れる凄い文章を書いて、何度も「あなたのところでやりたいんだ!」と。それでやっと10学期にフェニックスに行けて、彼のところでプリセプターをやることができました。

行ったら行ったで、これが本当に厳しい。私はあれだけ厳しい人を他に知りません。自分にも厳しいんですけど、教える人間にも、もの凄く厳しかったです。例えば、朝「グッドモーニング」と声をかけたら、以後一切余分なことを言ってはいけません。彼が「何か言いたいことあるか? 質問あるか?」と言ったときでないと彼とは話せません。朝行くと、彼は早めに来ていて瞑想しています。次にみんなで朝のお祈りをして、そして患者さんと接する。もう、その時点で完全に自分の世界をつくっています。絶対に声などかけられません。彼から学んだことは知識や哲学、テクニックも当然ですけど、ドクターとして、医療人としての人間力を学びました。

ときどき彼は体調を崩し、うずくまっていることを私は知っています。今にも倒れそうなんですが、患者さんといざ接すると、途端に笑顔で明るくなります。それが自然にできるんです。あの人間力というのは、一体どこから出てくるんだろうか? ここでは、まだまだ学ぶことがあると思ったので、プリセプターをやっているときに「働かせてくれないか?」と聞いたんです。何も返事してくれないんです。そういう厳しい人なんです。返事しないから何考えているかわからない。見ていないようでこちらの行動を見ているんです。やっと出てきた言葉が「考えさせてくれ!」、これが怖いんです。ほとんどの人はこの言葉の次に断られます。

待っている間は、こちらから一切聞くことができないんです。向こうから言うタイミング、それをただじっと待つだけです。その中で、本当に我慢というもの、ドクターとして忍耐力というのを学びましたね! 2カ月ほど経ったときに突然、「お前を雇う。いい奴だ!」。次の言葉が「ここは給料が安い。お前なら他にもっといい給料を出してくれるところいっぱいあるぞ」。

本当に給料がすごく安かったです。しかし、アメリカに高い給料を稼ぎにきたわけではないですし、学びに来たわけですから。結局4年間いました。よく4年も続けられたと思います。一つでもミスをしたら、ここでは終わりですから。例え彼が間違っていると思っても、こちらからは何も言えない。でも、彼は私を重要視してくれました。MDなのでMRIを読めましたから、彼も重宝したと思います。

この厳しい条件の中で、しかも初めのうちは私の患者さんはゼロです。普通なら、患者さんを1人か2人ちょっと回してくれたり、自分がいないときに「診ろ」とか言ってくれそうなものですが、彼は自分の患者は自分以外には触れさせない。だから一から患者を取りにいかなくてはなりません。フェニックスというところは日本人が非常に少ない。そんな中でも4年間いて、6〜7割が日本人、後はアメリカ人の患者さんがつくようになりました。去年の10月までは、そのまま残って続ける予定でいました。グリーンカードの申請も下りる一歩手前でしたし。

斎藤:それが、日本に帰られたのは?

松久:父が病気になりました。父は柔道整復師で鍼灸師だったんです。非常に患者を愛する、仕事を愛する男でした。自分が病で身体がぼろぼろになっていても、医者に行かなかったんです。痛みで夜中眠れない。そうしたら腎臓ガンで全身に転移していたのです。それがわかったのが昨年の10月中頃。家族から全身転移で「手の打ちようがない」と聞かされました。

今までずっと家族に迷惑や心配ばかりかけてきた。何一つ貢献していない。とにかく日本に帰って父を自分が診てやろうと。Dr.ララに「親父がもう死にそうだ。明日にも死にそうなんだ。帰りたい」と。彼はわかってくれました。ところが、すぐにでも帰りたかったのですが、それまで診てきた患者さんもいる。こちらでお世話になった人にも挨拶をしなくてはならない。

1週間、時間を取って挨拶を済ませて、「さあ、帰れるぞ」という前日に父は息をひきとりました。私が成田に到着したのが夕方、その日の昼には葬式が終わっていました。間に合いませんでした。これだけは心残りです。ただ、亡くなる少し前に、たまたま意識が戻って電話で話すことができました。父は私に「お前、日本で開業するのか? 大丈夫か?」と、心配しているのです。父は自分のために日本に戻って開業すると思っていたのでしょうね。「もっと準備ができてから戻って来い! 仕事を大切にして、自分が死んでも帰って来るな」。このとき初めて父親の口から死という言葉が出ました。私は精神世界を信じてますから、父に「身体はなくなっても、魂は永遠に生き続けられる。いつも一緒だよ!」と言ったら、「そやな!」と返してくれました。これだけが私の本当に親父に対する唯一の心の救いです。

斎藤:そして、いよいよ日本での開業に向けて準備を進められたんですね?

松久:帰って来たときに、いろいろな方からお誘いを受けました。すぐにでも、いい収入につながる選択もあったのですが、やはり医療人としてピュアな気持ちで医療をしたい。福祉として医療を考えるには、結局は開業しかないと思いました。でも、ことは簡単ではありません。一番の問題は資金面。この不景気の中でアメリカに9年いて日本で働いていない。担保もないから銀行も貸してくれない。親父は死んでしまって、親から借りるわけにもいかない。でも日本で開業するにはいいタイミングかな、と感じてもいました。私は、これからは日本がカイロプラクティックを世界に配信するんだと考えています。これは確信しています。アメリカは精神世界、精神についての考えが日本より弱い。日本にはまだそれが残っています。日本で本物のカイロプラクティックを取り戻して発信する。これは今の私の一貫した考えで、私の使命だと思っています。この考えに賛同してくれて、応援してくれる動きがきっと起こると。そんなときに、アメリカで知り合った医療コンサルタントと再び出会ったんです。今はクリニックの運営管理をやってくれているんですが、資金面も調達してくれました。やっと銀行も動いてくれて、私の将来性を認めてくれて融資の話もまとまりました。まっ、返済は大変ですけど、何とかやっていける自信はあります。

斎藤:ところで、なぜ鎌倉に開業されたのですか?

松久:鎌倉を選んだのにはとても重要な意味があります。お話しした通り、私はアリゾナのフェニックスで長く臨床をしていました。フェニックスというところは、アメリカの中でも精神世界の強いところです。“セドナ”っていう土地があって、ここはアメリカでもダントツの人気がある精神世界のメッカのようなところです。医療人として、医療と向き合ったとき、やはり心の医療も考える必要があると思うのです。癒し、ヒーリングは医療を必要としている人には必要不可欠だと思います。フェニックスにいるときに精神世界も学んでみようとセドナに何回も通いました。インディアンやヒーリングをやっている人に会って勉強しました。

そういう中でやはり人が癒されて、元気になっていくにはロケーションがとても大切だとわかったのです。太陽も射さない、自然の心地よい風も吹かないようなビル街よりは、海があって、山があったほうがどれだけ癒されるか、患者さんもきっと元気になると思います。それで、東京から比較的近く条件にも合うロケーションを考えました。湘南、逗子、葉山、鎌倉。横浜も考えました。でも横浜は東京と同じで人が多い。結局鎌倉に決めました。

次に物件探しですけど、鎌倉って土地の値段が高いんです。東京と大して変わらないと思いますよ。このビルも不動産屋さんから紹介されたとき、「わっ、高い!」と思いましたが、紹介されてここに来たときに閃きがあったんです。鶴岡八幡宮が見えていて鳥居があって狛犬が見えました。アリゾナで感じたのと同じ、導かれている思いがしました。ここなら、患者さんもきっと癒されるだろうと。患者さんとして鎌倉の人はもちろんですが、東京からも全国からも来ていただきたいのです。海外からもできたらと思っています。きっと皆さんに気に入っていただけると思っていますよ。

斎藤:次に松久先生が主宰されている「ガンステッド・セミナー」についてお聞きしたいのですが。Dr.ホゼ・ララのオフィスに務めているときに、既に日本でセミナーをやっていましたよね。休暇は問題なく取れたのですか?

松久:休暇は年2週間まで。その中でやりくりしなくてはなりません。日本に帰るだけで1週間から10日くらいすぐに経ってしまいます。ちょっと早めに帰って、招聘講師を観光に連れて行きながら時差ボケを治してもらい、土・日曜がセミナー本番。彼らは月曜日に帰ります。私は日本整形外科学会専門医の継続単位を取るために、毎回学会に出席しなくてはなりません。水〜日曜と学会に出席する。これで既に10日くらい使ってしまいます。

それで、さらにガンステッド・サムライセミナーを日本でやるようになったときは、「お前、また帰るのか?」って、もの凄く言われました。もう「辞めろ」って言われるかなと。

アメリカ人というのは、はっきりしていますから。嫌われたら一発でクビです。だから日本に行く前はいつもビクビクしていました。私は、ガンステッドの魅力をもっと日本で広めたい、とアメリカで声をあげました。そうしたら、何人かの講師の先生方が快く承諾してくれました。次にはもっとハイレベルの本物のサムライをつくろうと。だからクビ覚悟でもどうしてもやりたかったのです。でもクビにはされずに済みましたけどね!

斎藤:今まではサポート役でしたが、これからは先生ご自身が講師をされるのですよね

松久:そうです。一番問題視しているのは国際レベルの基準を満たしていない人にテクニックを教えるということです。これには私も随分と葛藤をしました。2005年に始めたときに、「とにかく参加させてください」「一生懸命やります」という訴えがありまして、最初はフリーで誰にでもテクニックを教えたかったのです。ただ、日本は誰にでも開業ができてしまう状況で、昨日まで会社勤めしていた人が今日からカイロプラクターになることも可能で、これはちょっとまずいなと。それに自分は医者としての責任もありますから。

例えば、2004年、神戸で中部日本整形外科学会の教育研修講演で、私は「医者がカイロプラクティックを取り入れたいと言っても、そんなに簡単にはできない。整形外科とはコンセプトが違う」と発言しました。彼らの中に、カイロプラクティックを整形外科に取り込もういう動きがあり、私を呼んだのだと思います。あのときは完全に彼らの期待を裏切りましたね。でもあのとき、そうしたことは結果的には悪いことではなかったと思います。

あのままでは、今の韓国のような状況になっていたかもしれません。医者の管理下じゃないとカイロプラクティックができないような方向に進んだ可能性が高いです。医療界からはそっぽを向かれましたけど、結果としてカイロプラクティックは守ったと思います。「医者にも簡単にはできない。教えない」と言っておきながら、週末セミナーで誰にでも教えていたらやはりおかしいですよね。それで基準を設けたんです。

柔道整復師や針灸師で基礎医学を受けてる人をどうしていくかが、これからの課題だと思います。アメリカのカイロプラクティック大学でも2年間は基礎教育です。同じことをやっているんです。それならカイロプラクティック大学じゃなくても基礎教育は認めてあげればいいんじゃないかと思うんです。それを認めた上で、カイロプラクティックの教育をしてあげればいい。2年制だったら2年制で。私はそれで成り立つと思うんですけど。せっかく日本に帰って来たんだから、私はこの部分を考えていこうと思っています。

斎藤:既に、日本に帰って来たD.C.の方々が先生のそういう考えに呼応して、やっていくという雰囲気はありますかね?

松久:今、私に同調してくれている江川D.C.や小野D.C.などはやりたいと言ってくれています。後は、ガンステッド・セミナーに参加されている方々もすごく熱心です。動きは出てきています。先日、D.C.の懇親会で小池先生や冨金原先生とお会いして、いろいろと意見を交わしたのですが、やはり日本に帰って来たD.C.たちは、日本の現状の中で停滞してしまっているのではないかと。今の日本のカイロプラクティック界は混沌としています。

利害、利権が動く中で、いまだ法制化されていない。カイロプラクティックと称してマッサージだけをやっているカイロプラクターもいる中で、自分に妥協してやっている人はたくさんいると思いますよ。わざわざアメリカまで行ってカイロプラクティックを学んで帰って来たわけですから、仕事の意義とかカイロプラクターとしての生き甲斐を持って欲しいです。そのためには、もっと単純に原点に戻るべきだと思います。

私はガンステッドをやっていますが、カイロプラクティックをテクニックとか、理論とかで捉えて論議したらまとまらなくなります。私は患者さんにカイロプラクティックについて説明するとき、「私たち人間は生まれたときから、宇宙から脳に素晴らしい力をもらっています。そのエネルギーが流れるのが背骨です。エネルギーは中心を流れます。中心から流れて上下左右に行くわけです。ですから、そこにある神経には生きるエネルギー、“生命力”が流れます、いわゆる治癒力です。そこに妨害があれば必ず人間は支障が出ます。痛み、痺れ、麻痺、内臓障害すべて、つまり人間が一番人間らしくあるためには、本来の中心的な流れを回復させるべきなんです。背骨レベルで正確に判断できるのが、私たちカイロプラクターなんです」と説明します。

カイロプラクターは、人間のレベルで背骨に流れるエネルギーを解消してあげられる唯一の職業と言えます。背骨を流れる生命力を解放してやるという視点に立てば、テクニックも理論もなんでもいのです。いわゆる原点が大切なのです。ただ注意しないといけないのは、危ない動き、背骨、神経に害を与える動き、それはやっぱり避けないとダメです。それがわかるためには基礎医学が必要になります。害を与えないというのが医療の根本的で最も重要な部分です。後はどういうテクニックであろうが構わないと思います。私はそういう土台の中で、私はガンステッドが最も有効で安全性も高いと思ってやっているわけです。

やっぱりカイロプラクティックが、この日本で本当に素晴らしい医療だと勧めていくには、今の現代医学の考えでは治らないものが治る、という部分がもの凄く大きいと思います。これを徹底しないとカイロプラクティックはマッサージレベルで終わってしまいます。国民がカイロプラクティックを認めていないからです。国を動かすのはやっぱり国民ですよ。国民がカイロプラクティックから健康という利益を受容して、カイロプラクティックの需要が上がれば、国を動かすことができます。医者に行ったけれど治らなかったけど、カイロプラクティックに行ったら治ったという声が国を動かします。私たちは神経の通りを良くするプロフェッショナル。ここの原点をしっかりしていく必要はあると思います。

斎藤:先生のおっしゃる通り、それを徹底しないといけないと思います。しかし、現状は厳しい。例えば、日本の養成する施設でそういうことを理解して教えている人間が何人いるか。この何十年来、遅々として進んでいない気がします。先生がおっしゃられた日本発のカイロプラクティックの可能性は?

松久:今、アメリカのカイロプラクティックも厳しい状況です。保険医療に頼っていて、カイロプラクティックの本質を出せていない。私は医学を10年やってカイロプラクティックの世界に入りました。カイロプラクティックの本当の魅力、カイロプラクティックの必要とされる部分がすごくわかるんです。

それが今のアメリカは、経済の破綻もあってどんどん後退している。このままだとレベルも下がっていってしまいます。日本がその後追いをしてもダメだと思います。日本にはまだ精神世界が強く残っています。そこを土台にして、日本でカイロプラクティックを立て直すのです。日本からアメリカに発信する良い機会が発生する時代だと思います。そうじゃないとおもしろくない。これからおもしろくなると思います。これからは日本のカイロプラクティックの素晴らしさを世界に示す時期が来ます。

日本から新しいカイロプラクティック。本来あるべきカイロプラクティックを示す時代がやってきます。じゃあ、何からやっていくかというと、それはカイロプラクティックの本質をわかる人間を増やすということです。枝は分かれてもいいのです。本質の根っこの部分が共通であれば。カイロプラクティックの本質がわかる人間を増やし、次に教育を作り、養成していく。そういう集まりが増えていけば、患者さんの需要も自然に増えます。

斎藤:学校はどうですか?

松久:神経の除圧ができるのはカイロプラクティックだけです。神経の除圧ができなければ、難しいものは治りません。神経がくたびれたままで、関節が動いて一時的に症状が良くなっても持続しません。良い結果とは言えません。神経の除圧、神経の解放というのを学ぶ必要があります。これは、いまどこの学校でもやっていません。教えている人間の考えが違いますから。こういう学校を1校つくる必要があるかもしれません。ただ、そこでは医学教育をちゃんと認めて、その上でカイロプラクティックを教える学校です。柔整や鍼灸であれば基礎医学のそれを認めてあげればいいと思うんです。

斎藤:鍼灸、柔整で基礎医学やっていたら、基礎医学はわかっているという前提でその人たちにカイロプラクティックを教える?

松久:先日、塩川雅士先生が「先生、やはり4年制教育でなくてはダメじゃないですか?」と聞いてきたのです。私はカイロプラクティック自体に、医学教育がある必要はないのではないかと。別枠でもいいと思います。ただ、それでもなぜやるのかというと、危険な行為は危険と認識しなければいけません。これができないと国民には広がりません。もう一つは医学教育を通してカイロプラクティックの魅力を知るためです。いきなりカイロプラクティックの世界に入ったら、カイロプラクティックが何かわからないかもしれないので。

斎藤:私は、カイロプラクティック至上主義は好きではありません。何かに比較して、こういうところ、こちらのほうが優れている、と言えばいいと思うんです。カイロプラクティックだけで何でも治せるとか、カイロプラクティックのフィロソフィーが一番だ、みたいなものは好きではありません。メディカルや他のものにもフィロソフィーはあるのだし、優劣をつけるのが目的ではないですから。

松久:私は優劣というよりは、現代西洋医学に対する大きな柱の一本だと思っています。今の現代西洋医学の考え方というのは事実を隠すだけになってしまっています。これからの時代は、本来人間が生きている力を解放してやる時代だと思います。それだけでいいんです。別にカイロプラクティックであろうと鍼灸であろうと関係はないのです。でも、カイロプラクティックは正にそれなんですよ。

斎藤:先生のこれからの具体的なビジョンは?

松久:医療機関としてフルスパインのレントゲンも入れましたし、この鎌倉の地に全国から患者を呼びたいです。でも、あえてカイロプラクティック専門にしたのは、カイロプラクティックっていうのはこういうものだとここから発信したいからです。患者さんからもマスコミからも、どんどんカイロプラクティックを紹介、広めていきたいです。カイロプラクティックの本物はこういうものなんだということを、鎌倉から日本へ発信します。レントゲンを撮って、こういう難しい症例もカイロプラクティックをやって元気になってもらっている、ということをみんなに示していきたいと思います。また、他のカイロプラクターたちにも、そのような場所をつくってあげたり、本も書こうと思っています。いろいろな活動もどんどんやっていこうと思います。カイロプラクターとして生きる喜びを生み出してあげたいと思っています。

斎藤:タイミング的には、弱っている時代だからこそ逆にチャンスがあると思います。

松久:同感です。悪い、悪いって言うと全部ダメになるじゃないですか。逆に悪さを逆手に取って、「これでどうだ!」って言うには、やりやすい時期なんじゃないかなと思います。例えば、新しい教育システムづくり、カイロプラクティックってこんなに面白いんだと示せれば、みんなが集まって、自然と学んでいくと思うんですよ。魅力のあるところには、必ず人が集まってきます。オバマ新大統領が「CHANGE」のときだと言っています。カイロプラクティックも変われるときです。今はもの凄いチャンスです。日本のカイロプラクティックはこれからどんどん変わっていく、ワクワクしてますよ!

斎藤:最後に一言、今の日本のカイロプラクターに激励の言葉を。

松久:私は本当に日本を世界のカイロプラクティックのリーダーにしたい、と思い帰ってきました。その主役は皆さんです。人間に大切なのはエネルギーです。宇宙からのエネルギーが脳に入って背骨に流れていく。その流れを最大限に解放できるのはカイロプラクターなんです。人間が元気になれば、日本が元気になる。そして、世界が元気になって、地球が元気になります。皆さんの周りには愛と喜びで溢れた人間ばかりになって、自然と幸せになります。今からもうワクワクします。

ですから、皆さんはそういうポジションにいるということをまず認識してもらいたい。とにかく、ぶれない自分の世界をつくってください。今自分がやっている世界は、最も人間として大事なエネルギー、その中心になるエネルギーを左右する職業であり、その人の人生、その家族、その周囲を全部変えてしまう威力を持っている訳です。ぶれないためには、きちっと自分のやっていることの意味を理解し、魅力を認識する、それだけです。自分のやっていることの魅力、そして自分のやっていることの素晴らしさ、自分ということの偉大さ、これを理解したときに本物のカイロプラクターになる土台ができると思います。私は、皆さんに大いに期待していますし、日本に期待しています。

斎藤:先生、今日はありがとうございました。今後のご活躍を切望しております。

鎌倉ドクタードルフィン診療所
ガンステッドカイロプラクティックオブジャパン

<第15回>ポジティブな流れに乗ろう!

投稿日:2010年02月24日

「出会いの場」参加し学んで成長を
カイロジャーナル67号(2010.2.24発行)より

昨年、科学新聞社の斎藤社長がカイロプラクティック界のために企画した一連のイベントに、微力ながらお手伝いさせていただいた。そこで感じたこと、学んだことは、私に大変大きな活力を与えてくれました。お蔭で100年に一度の大不況の中、開業15年目で過去最高の患者さんを診ることができました。

不思議なことにセミナーやイベントに参加すると、必ずその翌週は魔法のように患者が増えます。私がそこで得たエネルギーが人を呼び込むのかもしれません。ですから、クリニックに今一つ活気がなくなってくると、必ずセミナーやイベントに参加し、そこから新しい技術やアイデア、エネルギーややる気をもらってくるのです。

エネルギーをもらう

そういった意味で、東京での5月と11月のイベントはとても良いタイミングで参加させていただいたようです。これらのイベントに参加された方ならわかると思いますが、どれもとても有意義で魅力的なものでした。参加者は口々に「迷ったけど参加して良かった」「もっとたくさんの人が参加すべきだ」「参加しなかった人は大きなものを見逃しましたね」ということを言うのです。

多くの人がセミナーやイベントのために、オフィスを休むことを嫌います。その気持ちは痛いほどよくわかります。収入も減るし、患者さんも断らなければなりません。本当に辛いです。怖いです。しかし、参加すれば新しい学びや出会いから得る知識、アイデア、やる気で体中が一杯になり、一刻も早く患者さんの治療をしたくてウズウズしてきます。

きっと、その気持ちが患者さんに伝わるのでしょう。オフィスの中に閉じこもっていては、絶対得ることのできないエネルギーです。そのことがわかる人は必ず大きなイベントに参加してきます。いつも同じ顔を見かけます。そのことがわからずオフィスにしがみついている人は、騙されたと思って一度思い切って参加してみるべきだと思います。

いや、ただ参加するだけでなく、そこから一つでも多くのものを吸収してやろう、楽しんでやろう、発見してやろうというポジティブな姿勢が必要です。せっかくの機会ですから積極的に生かして欲しいのです。世の中、出会いからすべてが始まるのです。

先月ラスベガスで行われたパーカーセミナーも大変な賑わいを見せました。どこが不況なのだろうかと思うほどの人出で、ラスベガスの街の活気とともに驚くべきものがありました。我々の仲間も日米総勢30名ほどが集まりました。

セミナーのあとの夕食会や飲み会を通して交友を深め、後輩は先輩から業界の事情やテクニック、臨床、経営などについてたっぷりと聞き、先輩も後輩から刺激を受けて初心を思い出したり、やる気をもらうことができます。気がつけば時間はあっという間に過ぎ、連日朝方近くまで楽しく語り合ってしまうのです。

時には栄養補給を

カイロプラクターとして、こんなに楽しいことはありません。事情があって参加できなかった仲間たちが一緒にいたら、もっと楽しかっただろうと残念な気もしました。参加者たちは来週もまた皆で集まりたいぐらいだね、と別れを惜しみながらそれぞれの帰途についたのです。

こんなにも楽しい一連のイベントを企画してくれた科学新聞社の斎藤社長には、感謝してもしきれないという気持ちです。お陰でたくさんの元気とやる気という大きなエネルギーをもらうことができました。目の前の患者の治療はもちろんとても大切です。しかし、ときおり自分自身の栄養補給もしないと良い治療もできないし、成長もできません。これは私が第一線で20年やってきて切実に感じることです。

カイロプラクティックというのは大変奥深いもので、勉強するべきことがまだまだたくさんあって時間が足りないと感じています。自分の未熟さや反省点も、セミナーやイベントで色々な先生に出会い学ぶことで認識できるのです。オフィスやいつも集まる決まったグループ内では井の中の蛙となってしまいます。

自分ではとても考えつかないような素晴らしいことや、新しい学びが世の中にはこんなにもたくさんあるのに、狭いところに閉じこもっていては、そのことにさえ気づけないのです。どんどん考えも視野も狭くなり、人の治療にとってとても大切な想像力さえ失われていきます。それにどんなに不景気な時代にも、活気に溢れ大活躍している人たちはたくさんいます。私は愚痴を言って嘆いているより、そんな魅力的な人たちと出会って、そのエネルギーを吸収することを考えています。

人の人生など、とても短くてあっという間に終わってしまうものだと思います。年々時が過ぎるのが加速していくように感じられます。その人生をどれだけ楽しく過ごすか、が大切だと私は常々思っています。だから物事をわざわざ難しく考えたりしません。努力や苦労も楽しいことのため、楽しい人生に必要だからできるのです。

自由に前向きに

私は人や組織や思想に縛られたりすることが嫌いです。自由に楽しく生きたいと思っています。そして、良い治療も自由な発想や前向きで明るい生き方から生まれると信じているのです。自分がそのように考えているので、人を縛ることも嫌いです。ましてや、一生勉強を続けていかなければならないカイロプラクティックの世界で、小さな組織内に縛られてどれだけのことが学べるというのでしょう。自由に色々なセミナーやイベントに出かけ、学ばなければもったいないと思うのです。しがらみに縛られたり、人を囲い込んで縛る人の気持ちが理解できないのです。私にはそのような考えが幸せに繋がるとは到底考えられないからです。色々な考えの方がいるのは当然です。でも私は楽しく幸せに生きるためには自由がとても大事なものだと思うのです。

私たちが中心となって数年前から始めたソウルナイトも、単純にカイロプラクティック好きな人たちが、たまには業界内の垣根を越えて難しいこと言わず、自由に一緒に楽しもうよ、新しい仲間に出会おうよ、という趣旨です。しかし、そう素直に見てくれる人ばかりではありません。事実がどんどん歪曲され、あたかも憶測が真実のように話されていくのが本当に怖いです。

考えてみれば、人間は自分のことは棚に上げて神様の悪口さえ言う愚かな生き物ですから、未熟な私たちが色々と言われるのは当然なことなのです。私も純粋な気持ちでやっていることを、人にとやかく言われるのも不愉快なので、ソウルナイトが軌道に乗ったら私の仕事は終了、日本の仲間に任せて自分は手を引こうと考えていました。ですから、現在はすべて日本の仲間たちがソウルナイトを仕切っているのです。

ところがです。今回ラスベガスで色々な人と出会い話をしているうちに、私こそが実にくだらない小さな考えに縛られているのに気づかされたのです。私にとって何の関わりもない人が勝手に言うくだらない憶測なんて、気にする必要なんかどこにもないじゃないか、何をしたって必ず心ないことを言う奴はいるんだから、と思ったのです。

楽しむソウルナイト

私と出会って喜んでくれる人がこんなにたくさんいるのに、ソウルナイトに出なくなっては新しい出会いのチャンスが半減してしまうことになるのです。自分が信じて楽しんでやっていることをやめる必要なんてないのです。ですから今年は頑張ります。滅茶苦茶に楽しいソウルナイトを企画して、日本の仲間と力を合わせて最高の出会いの場をつくりたいと思います。

ですから皆さんも、是非積極的に仲間と誘い合って参加してください。そして、そこでさらにたくさんの仲間と出会ってください。素直にカイロプラクティックの素晴らしさ、仲間の素晴らしさを実感して欲しいと思います。

世の中には常にポジティブな流れがあるものです。それを見つけて、その流れに乗るかどうかは自分自身の選択です。私は一人でも多くのカイロプラクティックの仲間が、ポジティブな流れに気づいてそれに乗ってくれることを願います。そして、やがて自分自身でポジティブな流れをつくれる人に成長して欲しいと思うのです。

ソウルナイトはそんなポジティブなエネルギーが生まれる場です。皆さん、今年はソウルナイトで是非一緒に盛り上がりましょう。

<第10回>「ポリモーダル受容器の活動は変幻自在、神出鬼没する」

投稿日:2010年02月24日

カイロジャーナル67号 (2010.2.24発行)より

さて、もう一つの侵害受容器であるポリモーダル受容器は、その名が示す通り多様な様式(polymodal)を持っている。そもそも感覚受容器とは、身体組織に対する物理的あるは化学的刺激を神経の電気信号に変換する器官である。その上、機械的、化学的、熱刺激に対して特異的に反応する。つまり分化されている。しかも、単なるセンサーとして機能しているわけでもない。受容器が刺激に対して反応するか否かは、それぞれの「閾」によって比較されるのである。

ところが、ポリモーダル受容器は未分化で原始的な受容器である。つまり、機械的、化学的、熱刺激のいずれにも反応する多様性を持っている。分化の程度が低いのである。

更に、分布範囲も皮膚、内臓、筋・筋膜の運動器など全身に及んでいる。また、炎症などの組織の変化による修飾作用を受けて、更に興奮性を増す受容器である。痛みはポリモーダル受容器を抜きにしては語れないし、遠心性には効果器としての役割も見逃せない。

その特徴を要約すると、第一に3つの「wideness」を挙げることができる。

  1. 多様性(wide‐variety)
  2. 広作動域(wide dynamic range)
  3. 広域分布(wide distribution)

の3つである。

第二に、反復刺激に対する再現性が極めて悪いことである。これは他の受容器との大きな違いのひとつでもある。ポリモーダル受容器は、刺激に関する情報を忠実に伝えるということはしないのだ。むしろ、刺激によって生じた組織の変化に強い修飾を受けて、その組織の現状を伝えるために働いているのかもしれない。これは生体内の環境をリアルタイムで伝える重要な情報網そのものとも言えるわけで、特に注目すべき特徴だと思われる。

第三に、神経ペプチドを放出することである。主に、サブスタンスP(P物質)、CGRP(カルシトニン遺伝子関連蛋白)などで、一つのニューロンに共存することが多いとされている。中でも、サブスタンスPは後根神経節(DRG)細胞体で合成産出される。受容器が侵害されて興奮すると、一方は脊髄へ、もう一方は皮膚受容器末端へ、と双方向に運ばれる。その95%は末梢の受容器に下行性に運ばれ、5%が脊髄内に放出されて痛覚情報の伝達として上行性に働く。中枢性には痛覚の伝達物質として、末梢性には効果器として、対極にある作用を双方向性にもたらしている。この比率をみると、末梢側での「感覚器」のみならず、いかに「効果器」としての重要な作用を担っているかを窺い知ることができる。


<第9回>「痛みに特異的な受容器がみつかった」

投稿日:2010年02月24日

カイロジャーナル67号 (2010.02.24発行)より

痛覚の入力部である受容器の存在について考えてみたい。

19世紀末から20世紀にかけて神経組織医学の研究が著しく進み、いろいろな感覚受容器が発見されている。それまでは痛みの概念も時代とともに変遷してきた。

例えば、アリストテレスは「痛みは感覚ではなく不快な情動」であるとして「心臓説」を唱えたし、プラトンは痛みを感覚だとした。感覚を生み出す部位を、ダ・ヴィンチは「脳室説」を主張した。デカルトが痛覚系の本質的な発想を行ったのは、17世紀のことだった。痛みは、足先に飛び散った火の粉のエネルギーが、体内の管を通って頭の中の鐘(松果体)を揺らした結果生じる、というものである。

今日、「痛みを感じるところはどこか?」と問えば、それは痛覚受容器であるとなる。その受容器は、皮膚や他の組織などに枝分かれした神経の終末部にある。

痛み刺激によって終末の受容器に興奮が起こると、その痛点から伝導経路に乗って脳へ伝えられる。そして脳で「痛み」として認知される。侵害を受けた痛覚受容器が痛みの「第一現場」で、痛みを認知する脳が「第二現場」だ、という話である。ここは重要な押さえどころである。

もう一つの争点は、痛みの「特異的な受容器」の存在である。19世紀末からは「非特異説」が形を変えて度々提唱されていく。

受容器の特異性とは無関係に、どんな受容器でも過度の刺激を感知すれば痛み感覚になるとする「強度説」、あらゆる種類の感覚は神経インパルスの時間的・空間的な興奮パターンにより生じる「パターン説」へと展開された。

「非特異説」が覆された背景には、20世紀後半に2種類の受容器の発見があった。一つは「機械的受容器」で、もう一つが「ポリモーダル受容器」である。

例えば、熊澤孝朗教授の論文「痛覚受容器の機能特性について」には、こんな実験報告が述べられている。刺激素子を鈍磨と鋭利な素子に分けて、圧迫による反応で比較すると、「機械受容器」の遅順応性タイプでは優位な差はなかった。一方、高閾値タイプでは、鋭利な刺激素子を用いると微弱な力による刺激でも放電反応がみられた。この実験から、「高閾値機械受容器」は痛覚専任の特異的な受容器であることわかった。

これは一次痛を伝える速い痛みの受容器であるが、痛覚受容器の存在が明らかになったからといって、病態時の痛みが解明されたというわけではないのである。


<第8回>「痛みの部位別分類」

投稿日:2010年02月24日

カイロジャーナル67号 (2010.2.24発行)より

神経因性の痛みと、心因性といわれる痛みを除くと、痛みは痛覚受容器が刺激されたときに表現される。その受容器は身体のすべての部分に存在し、その刺激を受け取っている。

痛みを部位別にわけると、表1にまとめたように「体性痛」と「内臓痛」に分けられ、体性痛は更に表在痛と深部痛に分けられる。これらを器官別に分けて、更に発生学的な対応を確認して置きたい。詳細は成書に学んでほしいが、実際はそれぞれが結合組織によって連結されているのが実体であり、このつながりの中にこそ実は重要な意味があるのかもしれない。

私が初めて人体解剖実習を行ったときに、最初に感じた強烈な印象を鮮明に覚えている。それは人体の膜系の結合組織網システムの見事さだった。神経や血管を巻き込み、筋肉を包み込み、時には重層して筋内膜から周膜、上膜と結んで筋群をまとめて筋膜や腱に結んでいた。この3次元構造は、身体全体を途切れることなく巻き込んでいる。これらの膜は顕微鏡的にはメッシュ構造をなすと聞いたが、臓器や筋・骨格構造を抜き取ると、まるで「へちま」のようだ、と思った。

さて、この膜系のネットワークは痛みとどのようにかかわるのだろうか、興味深いものがある。

表1.痛みの部位別分類と発生学的対応
痛みの部位別分類 対応器官 発生学的対応
1.体性痛 表在痛 皮膚・粘膜 外胚葉
深部痛 骨膜・靭帯・関節嚢・筋・筋膜・腱・血管 中胚
2.内臓痛 各種内臓器官・脳血管・脳静脈洞・胸膜・腹膜 内胚葉


カイロジャーナル67号

投稿日:2010年02月24日

67号(10.2.24発行)
中身と人の和、カイロ事業
アトラス・オステオパシー学院開校
スティル・アカデミー・ジャパン開校

末梢神経マニピュレーション

投稿日:2010年02月22日

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神経をマニピュレーションするため、固有受容器を通して、骨、軟骨、筋腱、皮膚など、自律神経を通して、血管運動、内臓機能など、身体の隅々の組織までに影響する。適応症としては、神経痛、神経炎、神経麻痺、胸郭出口症候群、機械的な原因による神経疾患、むち打ち症、帯状疱疹後の痛み、関節の動きの制限、筋の短縮、血管運動障害などが挙げられる。

前半では、末梢神経の臨床特性について、解剖学・生理学・病理学の面から詳しく解説する。

後半では、各神経叢および末梢神経について、その検査と治療のテクニックを多くの写真とイラストを用いて説明する。

オステオパシーの治療者だけでなく、徒手療法家にとっても幅広い可能性を提供する本である。


<主な目次>
第1章 末梢神経系の解剖と生理
第2章 神経の機械的損傷
第3章 末梢神経系の機能病理
第4章 末相神経マニピュレーションの原則
第5章 頚神経叢とその分枝
第6章 腕神経叢とその分枝
第7章 腰神経叢とその分枝
第8章 仙骨神経叢とその分枝
第9章 付録・要点


著者紹介
ジャン=ピエール・バラル(Jean-Pierre Barral)
ヨーロッパ・オステオパシー・スクール(イギリス・メイドストン)およびパリ・ノール大学医学部(オステオパシー科・手技医学科)修了。オステオパシーD.O.として、臨床および教育の場で豊富な経験を持つ。クロアビエと共同で治療方法を開発。その知識と治療方法において、世界的に高い評価を受ける。
アラン・クロアビエ(Alan Croibier)
フランスのA.T.スティル・オステオパシー・スクール修了。オステオパシーD.O.として治療活動を続けるかたわら、フランス・オステオパシー大学などで講義を行う。また、バラルの片腕として、開発やカリキュラム編成、著作活動に協力。その実績が評価され、世界各地から講演依頼がある。


神経の滑走テスト

神経の滑走テスト

膝窩での脛骨神経のマニピュレーション。写真はバラルD.O.

膝窩での脛骨神経のマニピュレーション。写真はバラルD.O.


<はじめに>
整骨師に「神経の乱れを治してもらった」とか、「神経を元気にしてもらった」などと、年配者が話すのを誰でも一度は聞いたことがあるだろう。確かにこっけいな言い草だが、笑い飛ばしてはいけない。むしろ、この種の療法に頼る人の体調が良くなっていることを素直に認めるべきだろう。
人体組織は、さまざまな手段を使って組織内部や周辺外部とコミュニケーションを取っている。どんな組織も信号を受けたり送ったりできるようにつくられている。脈管、結合組織、筋肉、内臓器官、脂質など、組織内のすべての細胞にこの伝達機能が備わっている。この人体組織のネットワークが緊急事態や危険に立ち向ったり、あるいは単に正常な状態を保ったりするためにすばやく対応できるのは、いったいどんな伝達媒体の働きによるのだろうか。内分泌系の反応は確かにすばやいが、電気信号や化学信号が交錯する神経系の比ではない。
神経系は、時速200キロメートルの速度で何百万、いや何十億という情報を脳に運んでいる。脳には毎秒百億以上の情報が集められると考える生理学者もいる。そしてどの情報も、それぞれの用途に応じて一時的に眠らせるべきか、活動させるべきかが分析される。忘れ去られる情報は1つとしてない。身体はすべてが一体であり、身体のどの部分もないがしろにしてはならないというのが、オステオパシーの基本理念である。
人間にとって、なくてはならない高度な機能を持つ神経があまり研究対象とされていないこと、また、実験的にでも、神経が受け取る多種多様のメッセージを調整する試みがされていないことをかねてから不思議に思っていた。われわれはかなり前から神経マニピュレーションのテクニックを使っており、多くの経験と観察を重ね、その優れた効果を客観的に判断している。
すでに前著『外傷性損傷のオステオパシー的アプローチ(Approche osteopathique du traumatisme)』(1997年)で、神経マニピュレーション、特に脊髄神経根へのマニピュレーション・テクニックをいくつか説明している。本書では、数年かかって開発し、練り上げ、選別してきた末梢神経マニピュレーションのテクニックを紹介する。神経は各組織から送られてくる情報を運搬する。神経にはまた、神経そのものを支配する感覚系やnervi nervorumと呼ばれる神経の神経がある。
神経の神経は固有受容感覚の中枢を乱す場合があり、われわれがマニピュレーションの作用を及ぼそうと試みてきたのは、まさにその中枢である。身体の自己矯正力を引き出せるのは主に固有受容感覚系の働きによるものである、とわれわれは確信している。神経自体が自らの運ぶ情報を乱したり、神経の感覚系を損ねたりして、メカニズムのトラブルの発生源となることもある。常に内因性または外因性の応力を受ける神経に対してわれわれがなすべきことは、神経内または神経外にかかり過ぎている緊張を見つけ、その緊張をほぐすことである。身体にはマニピュレーションによる刺激に敏感に反応する部位があるが、神経にも特別に強く反応する個所がある。
しかしマニピュレーションの効果が現れるのは、非常に明確な範囲、トラブルを抱える特定の地点に限られる。本書では、まず神経の解剖や生理、よく見られるさまざまな症状、いくつかの禁忌について述べ、次に、神経ごとのマニピュレーションについて説明する。医学書はとかく難解なものになりがちだが、本書は簡潔でわかりやすい内容になっている。図や写真を多用して、ムダのない説明をしているほか、重要な個所については、適宜、掘り下げた解説が加えてある。この本に託したメッセージがあなたの指先まできちんと届くことを心から願っている。われわれの技は手によるものであり、患者を苦しみから解放できるのは、この手なのだから。
本書では四肢と頭部の末梢神経のみを対象とし、頭部および胸部の神経は別著で取り上げる。オステオパシーは、開発当初の理念を維持しながら、その知識と治療方法が少しずつ拡大されてきた総合診療科目である。オステオパシーの基本となる骨関節系の治療に加えて、筋膜系、頭蓋仙骨系、内臓系の治療が加わり、そして今、神経の治療が新たに加わった。末梢神経は人体組織の中でもとりわけ複雑な構造をしているため、細心の注意と配慮をもって行う必要がある。末梢神経は人体組織内の重要な情報媒体である。体内の数々の神経走行路をどうか順調に旅してほしい!