2009 12月カイロプラクティックジャーナル

  2009  12月

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<第8回>Kerry D’Ambrogio「身体をトータルにケアすること」

投稿日:2009年12月30日

昨年11月に来日し、統合的身体バランシング、筋エネルギーテクニックのセミナーを行い、今年も4月と10月にセミナーが決定したケリー・ダンブロジオ氏。フロリダのクリニックでの臨床と世界中を飛び回るセミナー講師という二足のワラジでいつもパワー全開です。徒手療法に目覚めた経緯や、現在のセミナー活動についてお聞きしました。

なお、私はちょっと英語が苦手なので、いつもダンブロジオ先生のセミナーで通訳をお願いしている櫻井京D.C.に今回も通訳をしていただきました。では、ダンブロジオ先生の治療家として教育者としての熱き思い、じっくりお読み下さい。

(2008年11月3日収録)

斎藤:ダンブロジオ先生は、ご自分のクリニックと様々なセミナーの開催で多忙を極めていますが、この世界に入るきっかけはなんだったんですか?

ケリー:私はカナダの生まれで、学生の頃からプロのフットボール選手になるのが夢で、大学に進みました。ところが、練習をしていた時に右膝を痛めてしまい、理学療法を受けたのです。治療の内容は、プールの中での歩行リハビリ、超音波、電気療法、マッサージ、などでした。これらの治療により、良くはなったのですが、また練習を始めると同じ問題が出てくるという状態でした。結局、私はフットボール選手になるのをあきらめ、理学療法士になることに決めたのです。トロント大学(カナダ・オンタリオ州)の理学療法学科に入りました。そこで私にとっての最初のメンター(恩師)であるダグ・フリアード先生に会いました。彼は、筋膜リリース、筋エネルギーテクニック、頭蓋仙骨療法について話してくれました。ただ症状を治療するのではなく、問題の核心に迫る治療法があるということを教えてくれたのです。

理学療法学校の1年目でこのような治療法があることを知り、この治療法を覚え、自分自身を治療し完全に治し、またフットボール選手に戻ろうと考えたのです。そして筋膜リリース、筋エネルギーテクニック、ポジショナル・リリース・セラピー、頭蓋仙骨療法などのセミナーを受講しました。そして覚えた治療を自分に施したことにより、自分の状態を完全によくすることができたのです。でも、フットボールへは復帰しませんでした。私の中では治療ということが、フットボールよりもずっと大きな興味になっていたのです。

斎藤:理学療法以外にはどのようなことを学びましたか?

ケリー:理学療法の学校を卒業し理学療法士になり、次にアスレチック・セラピストになりアスリートの治療も行いました。カナダから米国フロリダ州に移住し、そこで漢方薬と鍼の勉強のために、また4年間大学に行き、東洋医学のドクターを取得しました。なぜ東洋医学を勉強したかというと、徒手的療法には反応しづらい、別の問題を抱えている患者が多くいることを知ったからです。感情やエネルギーの問題、栄養の問題などです。その後、またカナダに戻って、オステオパシーの学校に4年間通い、オステオパシーの学位コースを終了しました。ですから私がバックグラウンドとして持っている資格は、アスレチック・セラピスト、理学療法士、オステオパス、漢方と鍼のドクターということになります。

斎藤:ずいぶんと熱心に勉強されたのですね。

ケリー:さらに、これらの勉強を続けながら、世界のいろいろな療法を150種類以上学びました。頭蓋仙骨治療、筋膜リリース、ポジショナル・リリース・セラピー、リンパ・ドレナージュなど、様々なテクニックです。数週間ごとに異なる資格を持つ治療者、オステオパス、カイロプラクター、理学療法士、ボディーワーカーなどと共に勉強することにより、それらの治療家がどのように療法を理解し使うのかを知りたかったからです。私が初めの理学療法の学校を修了したのが1988年のことです。今年が2009年なので、もう20年間以上勉強を続けて来たことになります。これからもさらに勉強は継続していくつもりです。

ケリーダンブロジオ

ケリーダンブロジオ

斎藤:現在、先生の教育活動はどんな状況なんでしょうか?

ケリー:現在はフロリダ州サラソタに自分の会社を持っており、国際的に教育活動の場を拡げています。カナダ、アメリカ、中南米、中国、日本、フィリピン、オーストラリア、ヨーロッパの国々、南アフリカなどで教えてきました。また、いくつかの協会でも教えていて、アプレジャー・インスティテュート、ダイアログ&コンテンポラリー・インスティテュート、インターナショナル・ボディートーク・アソシエーションなどから講師依頼を受けて行っています。

将来的には、バラル・インスティテュート(ジャン・ピエール・バラルD.O.による米国のオステオパシー学校)でオステオパシーを教える予定です。ここでは3年間かけて、オステオパシーの評価(診断)、治療を総合的に教え、修了試験により認定するプログラムを開発します。ここでもトータル・ボディ・バランシング(TBB)を教える予定です。TBBは全身の評価をし、同時に治療を行う方法で、治療には決まったテンプレートを使います。テンプレートに関節の治療が必要なら、筋エネルギーテクニック。筋スパズムを治療するならポジショナル・リリース・テクニック。膜や瘢痕組織の問題を治療するなら、筋膜リリース。内臓を包む膜を治療するなら内臓マニピュレーション。頭蓋、脊髄の膜を治療するなら頭蓋仙骨療法。浮腫を治療するならリンパ・パンピングとドレナージュ・テクニック。このように必要に応じてテンプレートに組み込むことができます。

また現在、徒手療法と併用して使うエクササイズ・テクニック。身体の問題に関連する感情の問題に対処するためのマインド・ボディー・セラピーも教えています。これらを適切に使っていくことにより、様々な問題を抱える患者に対し、的確に効果を上げることができると考えています。

ケリーダンブロジオ

ケリーダンブロジオ

斎藤:日本の受講者の印象はどうですか?

ケリー:私は日本で教えることをすごく楽しんでいますし、いつも楽しみにしています。昨年の11月で5度目の来日になりますが、受講者の皆さんはどなたもプロフェッショナルで、知識を持っていることがよく分かりますし、日本の受講者は尊敬を持って私に接してくれます。私は世界中を回っていて、そういう印象を特に日本で強く持ちます。私が講義しているときは、熱心にノートを取っていますし、私の話にも非常に注意深く、何が話されているのかを聞いてくれます。他の国では、私がまだ話している最中に手を挙げ、話をさえぎりながら質問してくることがあります。日本の方は、最後まで話を聞いて、実技の時も順番通りに行ってみて、それでも分からない場合に、私に質問してきます。質問はワークショップの最中もあれば、休み時間の時もあります。本当に真剣に取り組んでいるのが感じられます。学びたい気持ちが強く伝わって来ますし、多くのよい質問もしてもらえます。また、実技も一生懸命取り組んで、上手に身体をコントロールして行っていると思います。私が英語で話し、通訳を通して教えているということを考えても、非常によくセミナーが進められたといつも感じています。

斎藤:ダンブロジオ先生は多くのセミナープログラムを開発されていますが、6回目になる今年は、どのようなセミナーを日本の受講者に提供していただけますか?

ケリー:最も大切なのは統合的身体バランシング(TBB)の考え方と実践の方法の習得だということを最近特に感じます。このテクニックには全身の治療が含まれていますが、最も重要な要素はテンプレートに含まれていますので、重要な治療を見落とすことなく行えます。TBBをしっかりと理解し使えるようになれば、どのように評価し、どのように治療するかということが理解できるはずです。他のテクニックをTBBの中に取り込んでいくことがとても簡単にできるようになります。

日本ではポジショナル・リリース・セラピー(PRT)を数回教え、筋エネルギーテクニック(MET)は部位ごとに教えてきました。昨年の11月にTBBのレベル1を行いました。今年は、前回の参加者に、さらにTBBレベル2を行って、TBBを終了したいと考えています。また次の機会にTBB レベル1・2を行って、さらに多くの方にTBBを受講していただければと思っています。

METに関しては、今まで4時間で1部位として、骨盤、仙骨、胸椎をやってきました。3日間を通して、上半身、下半身に分けて行ったら、もっと習得し易いかとも計画しています。カイロプラクターにとって、筋エネルギーテクニックはとても大切なテクニックのひとつになると思います。METには関節の可動域減少、関節のバイオメカニカルな問題の評価方法も含まれていますから。また、骨粗鬆症や骨減少を起こしていてマニピュレーションを使えない患者には、METにより脊椎やその他の関節を治療することができます。また、マニピュレーションの準備としてMETを用いれば、靱帯や筋肉を柔らかくすることができ、患者に優しい治療になります。

斎藤:先生のセミナーで重要となるポイントは?

ケリー:私はいつも評価する方法を学ぶことが最も大切だと思っています。ですから、筋スパズムを扱うPRTでも、関節を扱うMETでも評価方法を重視したセミナー構成になっています。また、評価の要素として非常に大切なこととして膜があげられます。これは内臓の膜と、脳、脊髄の硬膜、筋膜が含まれます。今年の10月、11月のセミナーでは、第1回となる膜リリースを予定しています。

斎藤:他に大切なことは?

ケリー:例えば、浮腫があるのかないのか。それをどのように排出させるのかを評価できることも重要です。肩に急性の外傷があり、腫脹があるのなら、リンパ・ドレナージュ、パンピングを使って排出させます。頸部、腰部でも必要なテクニックですし、頭部に使用するケースも多くあります。

また、徒手療法を補強するために、ホームエクササイズの必要性を選択することも治療効果を上げます。もし、問題が筋肉の弱化が原因ならば、それを治すことが効果的な治療です。腹筋が弱く正しい姿勢を保てないのなら、徒手療法とともに、腹筋を強くする運動をする必要があります。筋肉を鍛えること、柔軟性をつけることなどでコンディショニングをよくしていくことができます。

治療には、いくつものアプローチがあって、一つ一つが大切な要素です。何が原因かを見極めてそれに対するアプローチをすること、身体全体を念頭に置いて診断治療をするということを、全部のプログラムを通して強調しています。

斎藤:最後に、日本でのプライベートな時間は何をされているのですか?

ケリー:セミナー以外のプライベートな時間はほとんどありません。セミナーが夜の7時半頃に終わってから、夕食をとって10時か11時には寝てしまいます。日本にセミナーで来ている時は大体このような毎日です。でもカナダの友達が英語教師として東京にいるので、時間ができたら連絡をとって東京を案内してもらっています。昨年の11月には、セミナー終了後に一日、お台場に連れて行ってもらいました。モノレール(ゆりかもめ)からの夜景がとてもきれいでした。東京で食べたハワイアン・ハンバーグもすごくおいしかったです。以前には、富士山や京都観光もしました。日本の伝統的なものが好きです。今度4月に行った時には、まだ行ったことのない日本的な街やものを見たり体験したりしたいと思っています。どなたか、お勧めのスポットがありましたら教えてください。

斎藤:今年は、ダンブロジオ先生には、4月に3日間と10月、11月に4日間の2回のセミナー(終了)をお願いしてあります。それぞれのセミナーともに、充実した内容となっています。なかなか自由な時間は取れないと思いますが、日本がもっとも美しくなる季節、ぜひ満喫してください。今日は長い時間ありがとうございました。また、4月にお会いいたしましょう。

<第7回>榊原直樹D.C.「スポーツカイロプラクティックの道をひた走る」

投稿日:2009年12月28日

今回の「この人に会いたい」は、新春からスタートしました「スポーツ・カイロ」の著者、榊原直樹D.C.です。
アメリカではしっかりと定着しているスポーツとカイロプラクティックの関係ですが、日本ではまだまだ発展途上の感もあります。その中で榊原先生は、スポーツ・カイロプラクティックの学位の中でも、難関中の難関であるDACBSPという学位をアメリカで取得されました。もちろん、日本人ではただ一人です。それでは、榊原先生のカイロプラクティックとの出会いからスポーツ・カイロに至るまで、カイロプラクティックとスポーツ・カイロへの思い、興味深いお話の数々をご覧ください。

斎藤:榊原先生が2度目の留学から日本に帰って来られて何年になりますか?
榊原:1年半ぐらいになります。
斎藤:カイロプラクティックの大学(クリーブランド・カイロプラクティック大学ロサンゼルス校)を卒業されて、日本に帰って来られたのは何年でした?
榊原:大学は1997年に卒業しましたが、そのまま2001年までロサンゼルスにいました。
斎藤:それは臨床でいたのですか?
榊原:そうですね。卒業して3年ぐらいロサンゼルスで働いていました。
斎藤:そのままアメリカにいようとは思わなかったのですか?
榊原:日本に帰って来た理由は、実はカイロプラクティックとはあまり関係が有りませんでした。当時、インドに行こうと思い立ち、ロサンゼルスとインドの往復チケットを買って3カ月ほどインドで瞑想修行をしていました。帰りの便がたまたま関西国際空港経由だったので、そのまま関空で出てしまったんです。アメリカに帰りたくなくなったんですね。
斎藤:アメリカを発つときから、そのような予感があったのですか?
榊原:インドへ行こうと決めたときからある程度ありました。アメリカでの生活に迷いを感じ始めていたんです。アメリカという国は、いわゆる物質社会の究極のカタチです。それと全く正反対の場所として、自分にとってのインドがあったのです。インドでは精神的な部分がすごく強調される。アメリカで物質社会に慣れれば慣れるほど、精神性の部分がどんどん廃れていく。そういう社会にどっぷり浸かっていると、自分の精神も荒廃していくのではないかと。アメリカに帰ったらまたどっぷり浸かってしまい、そのまま知らず知らずのうちにそういうところで過ごしてしまうのではないかという危機感を感じ関空から出てしまいました。
斎藤:アメリカに残した荷物などは全然考えずに?
榊原:日本に戻ったのが3月で、どういう訳か日本ですぐに仕事が見つかり、結局8月にアメリカに行き荷物を整理して事なきを得ました。
斎藤:日本での仕事は臨床ですか? 教育の方ですか?
榊原:教育です。名古屋にあるカイロプラクティックの学校です。
榊原直樹, DC

<榊原直樹, DC>

斎藤:その学校は以前から知っていたのですか?
榊原:いいえ。3月に日本に戻り、日本のカイロプラクティックがどうなっているのか、とりあえずインターネットで調べてみたのです。そうしたらカイロプラクティックの学校がいっぱいヒットしました。そのうちの10校ぐらいに履歴書を送ってみたら、7校から返事がありました。実家が神奈川なんで、できれば東京がいいかなと思っていたのですが、その学校の方がとにかく非常に熱心に誘っていただき、結果的に名古屋に来ることになりました。
斎藤:3月に帰国されて履歴書を出し、名古屋で教鞭をとり、そして8月にはまたアメリカに荷物を取りにいく。目まぐるしい年でしたね。日本で教えてみてどうでしたか?
榊原:正直かなりのギャップを感じました。そのとき私は日本のカイロプラクティックがどういうものか、よく理解していませんでした。また、教えるだけでなく、実際の患者さんを診ることができる環境も必要だと考えていました。その時のある先生の意見がとても印象的でした。「もし、日本でカイロプラクティックの治療をされるなら、マッサージをしないと患者さんは来ませんよ。先生はマッサージができますか?」と聞かれたんです。もちろん、私はマッサージを習っていませんから「できません。カイロプラクティックだけではダメなのですか?」と聞き返しました。「マッサージも出来ないとたぶん日本では無理ですね」と言われたのです。日本のカイロプラクティックの現状も知りませんでしたし、日本ではそういうものなのかなとそのときは思っていました。その先生は日本でずっとカイロプラクティックをやられている実績がありますし。
ですから、学校での授業でもカイロプラクティックのテクニックよりも、もみ、ほぐしといったマッサージに重点が置かれていました。
斎藤:もみ、ほぐしをしないと日本ではダメということではありませんよ。実際、塩川先生や中川先生ももみ、ほぐしなどせずに成り立っています。
榊原:その当時、自分の中では日本のカイロプラクティックを知るソースが自分の周りしかなかった訳です。マッサージがメインで、いわゆるリラクゼーションを中心にやるのと、カイロプラクティックを中心にやるのとでは全く違ってきます。リラクゼーションなら、生理学や解剖学の細かいことまでは知る必要がありません。患者さんの痛みを解消させるのではなく、リラクゼーションを提供すればいいのですから。
それであれば、生徒の必要とする知識のレベルもそんなに高い必要はありません。そういう状況で、私の教えていた解剖学などは、やっぱり興味がある人だけしかやらない。興味がある人は勉強し、そうでない人はテストで及第点を取ればいい、そう考えていました。そういう意味では自分の中で葛藤はなかったです。割り切れていましたね。
斎藤:そうは言っても、教えていれば慕ってくる生徒もいる。なんとかしてあげたい、という気持ちになりませんでしたか?
榊原:もちろん、ありました。しかし、あまりにも環境が悪過ぎます。彼らにとっては悲劇ですよね。本当のカイロプラクティックが学べない訳ですから。彼らが学びたいと思っていることと、学校が提供するものの間にかなりギャップを感じました。中にはリラクゼーションを覚えたいという生徒もいますから、全部が全部というわけではありませんが、今の状況だと、真面目にカイロプラクティックを学ぼうとする人ほど絶望してしまいます。「こんなものか」と思ってしまいますよね。
斎藤:日本のカイロプラクティック教育が、今後よくなると思いますか?
榊原:私自身、現時点では非常に悲観的です。まず、教育に携わっている人たちの悪循環が続いている。カイロプラクティック教育に携わっている人たちのレベルが低いため、悪循環になってしまっています。アメリカでカイロプラクターと言えば、もちろん資格を有しているということです。ある水準はクリアしているわけです。日本では昨日カイロプラクティックを始めた人間でも、カイロプラクターと言えてしまう。そういうところに問題があるんじゃないかと思います。
斎藤:結局、日本にいた間は、臨床はやられていなかったのですか?
榊原:やっていました。最初はリラクゼーションを取り入れないことに半信半疑でした。しかし、やはり自分は本当のカイロプラクティックのみを患者さんに提供しようという結論に至って、やってみたところ、結構患者さんが来るのです。「いろいろなところに行って、いろいろなことをしてみたけど良くならない」そういう方が結構いらっしゃるんです。そういう中できちっと結果を出せば、カイロプラクティックだけでもビジネスとしてやっていけると実感しました。
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<p><榊原直樹, DC></p>
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<dl >
<dt>斎藤:それでは、本題の「スポーツ・カイロ」についてお聞きします。2005年にもう一度再渡米されたのは、スポーツ・カイロをやろうと思っていたからですか?</dt>
<dd>榊原:そうです。私の場合はカイロプラクティックの前にスポーツ医学がありました。スポーツ・カイロプラクティックを自分の中でどう発展させていけるのか、チャンスをずっと探していたのです。<wbr />ただ、卒業した後は金銭的な余裕も無かったので、なかなかそういう勉強を始められなかったのです。卒業してから6年位経ってやっと金銭的にも時間的にも余裕ができたので、もう一度アメリカに行って勉強しようと思いました。</dd>
</dl>
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斎藤:アメリカでの2年間は経済的にはどうでしたか?
榊原:全然問題なかったですね。あと3、4年はいられたかもしれません。でも2年で区切りをつけて帰って来ました。先ほども言いましたが、私はアメリカ的ではない、日本で活かされると思っていましたから。アメリカでできることと、日本でできることとでは、かなりの差があります。
斎藤:そして、再渡米して勉強された結果が今回の「DACBSP(Diplomate American Chiropractic Board of Sports Physician/スポーツ・カイロプラクティック・ドクター学位)」の取得になるわけですね?
榊原:はい、やっとそれにつながりました。
私が考えていたのは、単純にいろいろなスポーツ・イベントにカイロプラクーとして参加したかったという事です。スポーツ・カイロプラクターというのはそういういろいろなスポーツ・イベントでカイロプラクティックを提供できることが生き甲斐なのです。だからそういう物はすべてボランティアになります。日本でD.C.といっても何の公的資格にもなりませんから、プロのスポーツ・チーム等からはなかなか相手にしてもらえません。アメリカでD.C.を持っていれば、スポーツ・イベントで活躍できるチャンスが有るんじゃないかと思ってアメリカに行ったのです。そこで、私の場合は、たまたまトリノ・オリンピックというチャンスをもらえました。これも滞在中の生活費は頂きましたが、それ以外の渡航費等は自腹でカイロプラクターとして参加しました。そのときに思ったのですが、しっかりとした資格と実績を持っていれば、アメリカにいなくても、チャンスはいくらでもあるのではないかと。ウェブサイトを調べて、いろいろな人とコンタクトをとっていれば、日本に住んでようが、アメリカに住んでいようが関係ないということです。日本にいても情報に敏感であればチャンスを逃すことはないんじゃないかと思います。
斎藤:DACBSPを取られて、何か変わりましたか?
榊原:私の患者さんに、東京医科歯科大学卒業の歯科医さんがいるのです。その方がすごく勉強熱心で自分でもいろいろと研究されていて、現在母校でPhDの論文審査をしてもらっているそうなのです。「いずれは大学で教えられるのですか?」とお聞きしたら、「いえいえ。道楽の延長みたいなものですよ」と言われるのです。自分で実験しているのですごくお金が掛かるそうで、研究機材にも1,000万円以上かけられているそうです。私にはそのお話が、すごくわかる気がするのです。私の色々な学位も同じですよ。DACBSPの学位を持っていたからといって、日本ではもちろん、アメリカでも知っている人はそんなに多くない、カイロプラクターでもスポーツに携わっている人じゃないと、たぶん知らないような学位だと思いますよ。
斎藤:国際的なスポーツ大会に参加したいということですが、例えば今後日本でオリンピックが開催されるとしても、たぶん榊原先生のキャリアを持ってしてもカイロプラクターとして参加することは難しいと思います。日本というところは、日本の資格以外は認めないというところがあります。そうすると海外のチームで参加するしかないと思うんですが?
榊原:日本のルートには全く期待していません。参加するとすれば、逆輸入状態ですね。
斎藤:色々あるスポーツの中で特にこれを、というのはあるのですか? ご自身もパワー・リフティングをやられていましたよね。例えば、重量挙げのようなパワー系とバスケットボールやバレーボールのような球技の選手とでは、筋肉の使い方などが全く違うと思うのです。その辺はどうなのですか?
榊原:基本的には全部やります。自分もスポーツをやるから理解できるのですが、アスリートには共通の心理があります。選手はケガをして休むということに、恐怖感を抱きます。ケガしている状態でも、何か他の運動ができるのであれば運動をしたいのです。整形に行って「あなたは足首を捻挫したから3カ月間、運動はダメです」なんて言われる中学生や高校生の患者さんがいますけど、彼らにとってはそれは非常につらいことだと思うのです。私自身もそうでした。だから、ケガをしていても運動できるような状況を私が提供しなくてはいけません。特にこの種目というものはありませんし、運動する人はすべてウェルカムです。
斎藤:現在、日本での臨床もスポーツ系の人が多いのですか?
榊原:私のホームページを見て来る方が多いので、ほとんどがスポーツ障害ですね。プロやセミプロみたいな人ばかりではなく、レクリエーションの運動でケガをされて、この2、3カ月膝が痛くてというような方も多いですよ。
斎藤:少し気にかかったのですが、榊原先生はスポーツしょうがいの「しょう」の字は「傷」という字ではなく、「障」という字を使われていますよね。
榊原:「傷」という字は、組織の損傷を意味しています。スポーツ障害の「障害」は、英語で「dysfunction」です。組織に損傷がなくても競技に影響して、遠くにボールを投げられなかったり、早く走れなかったりという、いわゆる機能に問題があるという状態を指します。それは関節にdysfunctionがある場合があります。だから私は「障」という字を使ってます。
斎藤:今年から私どものカイロジャーナルとchiro-journal.comに「スポーツ・カイロ」を連載させていただいています。なかなかの評判ですが、今後のご予定は?
榊原:連載は今後ともお願いいたします。また、今年中にスポーツ・フィットネス関係の本を出す予定です。
斎藤:長い間ありがとうございました。今後のご活躍、期待しております。

<第6回>守屋徹氏・馬場信年氏「30年以上追い求める、カイロプラクティックの真の姿」

投稿日:2009年12月26日

今回ご登場いただいたのは私が尊敬してやまない、山形は酒田市在住の守屋徹氏と、鹿児島生まれで福岡在住の馬場信年氏のお二人。

その盟友関係たるや、私が最初にお二人をお見かけした30年前と少しも変わらない、いまだに見ていて惚れ惚れする関係です。当時のお二人は、日本カイロプラクティック総連盟(JCA)という団体に所属し、Dr.ジェンシーの『CHIROPRACTIC PRINCIPLES and TECHNIC』【昭和44年(来年40周年)に科学新聞社から翻訳出版された『カイロプラクティックの理論(フィロソフィー)・応用(サイエンス)・実技(アート)』】の教えに基づき、カイロプラクティックを貪っていた。

そのJCAが毎年秋に、成田空港の近く、成田ビューホテルで盛大にセミナーを開催していた。私は入社して間もない頃で、全く訳もわからないまま、このセミナーに駆り出され休日出勤を余儀なくされた。考えてみると、今と少しも変わらない生活の始まりがここにあったのかもしれない。

そこで初めて、守屋さん、馬場さんとお会いした。それがお二人とのお付き合いの始まりである。お二人に限らず、そのときにお会いした人には、今もお付き合いが続いている人がたくさんいる。私が今あるのは、偶然入社した会社の事業に偶然カイロがあったということと、早い時期にこれらの人たちに出会えたことだと断言できる。

今回、このお二人にインタビューさせていただくことにしたのは、30年にわたってカイロプラクティックを貪り続けているお二人に、この30年を振り返ってもらい、後輩に何かメッセージがもらえたらと思い立ったからだ。幸い、先月行われた日本カイロプラクティック徒手医学会(JSCC)第10回記念学術大会に、なぜかお二人は揃ってワークショップの講師として参加された。この機を逃す手はない。お忙しい中、会場の片隅でお話を伺うことができた。

カイロプラクティックと出会い、その素晴らしさに感動し、自分の一生をかけて学び続け、さらに研鑽を重ねてきたお二人の姿勢は、カイロプラクティックの真の姿を理解できずに迷い続ける人たちに、欠けているものを浮き彫りにしてくれるであろう! ただし、この話を参考にするか、しないかは読者次第であるが。

斎藤:お二人とは、かれこれ30年近くのお付き合いになろうかと思いますが、いつかきちんとお二人の言わんとしていることを伝えなければと思いながら、なかなかその機会をつくれず、結局はこんな形になってしまい申し訳ございません。今日はお二人とも学術大会ワークショップの講師として、お互いがお互いの座長となり、それぞれのテーマでの講義を受け持たれたわけですが、今年の大会のテーマが「ケアの本質-徒手医学からのアプローチ」。その中でナラティブ(narrative-物語)という言葉がキーワードになっていました。お二方が30年以上、カイロプラクティックの世界で頑張ってこられたそのものが、ナラティブな対処の方法だと思います。

では最初に、カイロプラクティックを学び始めたときのお話をお伺いしたいのですが、今とはずいぶん違っていたんでしょうね!

守屋:そうですね、僕らがカイロプラクティックを学んだ時代っていうのは1980年代初めぐらいだったでしょうか。情報がない部分、本当にカイロプラクティックの知識に飢えていましたね。学びたくとも、学ぶものがないといったところです。あったとしても「カイロプラクティックのバイブル」のような本。あとは国際セミナーとかいう名前で、アメリカから来たD.C.がやるセミナーぐらいです。とにかくカイロプラクティックのあらゆる情報に飢えていて、何が何でも学ぼうとしていた。そのときの目標ははっきりしていて、私の場合はディバーシファイド・テクニックだったのです。ところがその後、カイロプラクティックの情報がどんどん日本に入ってくるようになり、今は情報が混乱しています。今の人たちはただ情報を受け取って、自分で考えることを放棄してしまっているような気がします。いろいろな情報がたくさんあるということは、全く反対の意見もあるわけです。それをどんどん取り入れてしまうと、最後には「何がどうなの?」「何がカイロなのか?」という混乱が起こるのではないかと思うのです。今はそういう状況がずるずると続いているような感じです。

初学の人に何かアドバイスをするとしたら、あまりいろいろと脇目をふらずに、まず一つのことを徹底してやることが大切だと言えますね。基本がしっかりできれば自然と応用もできます。まず核となる一つのものを徹底してやる。結局、我々がやってきたのは、そういうことだったのです。

守屋徹氏・馬場信年氏
斎藤:おっしゃる通りですね。今は、カイロプラクティックを学んで、自分が効果を出せないと思うと次のものにいく。また駄目ならまた次のものに行く。その繰り返しのような気がするのですが、馬場先生はどう思われますか?

馬場:まさしくそうだと思いますよ。守屋先生のおっしゃる通りです。自分がカイロプラクティックを学び始めたときは、誰でもそうですが、何も知らないから、まず知ることから始めるわけです。教えられたことに対する批判力など当然ありません。それよりも、その教わったことをどこまで自分のものにするかが重要です。セミナーを受ければ、その度にノートをつくりました。そのノートに用語一つとっても、わからないことがたくさんあるわけで、帰って解剖学や生理学の本を引っぱり出して自分で調べる。学生ですから当然です。学生の勉強ってそうじゃないですか。そうやって学んできたわけですよね。20年間は自分でも褒めてあげたいぐらい、一生懸命勉強しました。しかし考えてみたら、金銭効率、時間効率も悪い。それに内容の効率たるや散々なものです。守屋先生が先ほどおっしゃった通り、なるべくそうならないように気をつけていたのですが、私もやっぱりツマミ食いをしてしまって、それをまとめるのにまた苦労をしたわけです。この苦労はこれからの人たちにはあまりして欲しくないですね。どうせ学ぶのなら、効率よくしっかりと学んでほしいです。

ただ日本の場合は、ご承知の通りきちっとした教育の制度が確立されていない。国が認めてないから、教え方もバラバラです。だからこそ余計に、学ぶ工夫が個人に課せられてくるわけですよ。もう少し、システムとして教育が機能すれば、学ぶ側の苦労ももう少しはよくなるはずですが。これは教える側の自分自身の反省も込めてですよ。

斎藤:馬場先生がおっしゃる通り、次の世代の人たちにはもっと効率よく学んでいただいて、例えば、これまで10年もかけて学んできたことを、5年とか3年とかに短縮してあげたいな、と思います。私どもが出版やカイロジャーナル、またウェブを通して質の良いカイロプラクティックの情報を提供するのも役目の一つだと思っています。

守屋:ただし、先ほど馬場先生がおっしゃったツマミ食いをやってきたにしても、今の人と決定的に違うのは、ツマミ食いしてもそこから考える、学ぶわけです。学ぶ基本の姿勢を持っているわけですから。だからツマミ食いしながらでもいろいろなこと、疑問を持ったことを自分の中で構築していくわけです。今は、これは自分に必要ない、活用できない、などとその先を考えない。自分のものをつくろうという気持ちが欠けているような気がします。

馬場:情報化社会と言われて久しいですよね。今はインターネットからの情報もあります。情報がお手軽になっています。キーワード検索で知りたい情報が簡単に入ってくる。それをそのまま表面だけで理解したつもりになっています。人のコメントを読んで、それをそのままに「そんなもんか」としてしまう。まず理念を持って、その中で自分のものにしていくという作業が大切なわけです。

馬場信年氏・守屋徹氏

斎藤:自社のPRをするわけではないですが、もっと本を読まなければいけない。私自身もそうですけれど、気に入った本や気になる本は何回も読み返します。何回も読むためには、何回も触れるためにはいつも自分の身近に置いておく。これは学ぶという意味では非常に重要だと思います。もっと本を読みなさい。そこからもっと考えましょう、と。

先生方お二人に監修していただいた本(『カイロプラクティック動態学 上・下巻』)がありますよね。買っていただいた方に「どうでしたか?」と聞くと。「難しい」という答えが返ってくるときがあります。先生方は「あれが難しいってどういうこと?」と思われるでしょうが、学生からは難しいと言われるのです。そもそも1回読んで理解できるわけがありませんよね。1回でわからないと難しいと思うのでしょうかね。彼らにとっては、写真とテクニックの説明が書いてあって、見ればある程度理解できるというほうがいいのでしょう。『カイロプラクティック動態学』のように「何を言っているのだろう?」と考えるよりは、写真と説明でわかった気になるのでしょう。

馬場:それは明らかな質の低下ですよ。
斎藤:あとは、中川先生が訳された『カイロプラクティック・セラピー』。お二方からは良著、いい本だとおっしゃっていただけるのですが。
馬場:『カイロプラクティック動態学』も『カイロプラクティック・セラピー』も共通しているのは、カイロプラクティックを包括したカイロ学の基礎モデルだと思うのです。だからじっくりと読み解いて欲しい。そうすると次にいける、次のステップが必ずあるんですよ。そういう意味で両方とも私は非常に良い本だと思います。
斎藤:私は、『カイロプラクティック動態学』はただの訳本ではないと思います。先生方がこれまで歩んでこられた、カイロプラクティックの知識があの上・下巻には投影されていると思います。
馬場:『カイロプラクティック動態学』は教科書にいいと思って訳したのですがね。向こう(アメリカ)でも教科書として使われていましたから。でも、今の日本のカイロプラクティックの学校では使いきれないのでしょうね。教える人もたぶん、これをやったって学生には受けないという判断なのでしょう。本当に残念ですね。
守屋:初学の人にこそ、これを読んで学んで欲しいですね。
斎藤:ウチとしては『カイロプラクティック動態学』を読んで、次に中川先生の『脊柱モーション・パルペーション』、そして『カイロプラクティック・ノート 1』と勉強していけば、かなり痒いところに手が届き、理解しやすくなると思うのです。段取りを経てやっていけば、かなりレベルアップすると作る側は思っているのですが、なかなかそうなりません。
馬場:では、最近どういう本が若い人に興味があるのですか?
斎藤:やはり活字離れが進んでいますね。本というよりDVDとか、見てすぐに入ってくるものが人気ですね。先日、中川先生の新刊『カイロプラクティック テクニック -上巻-』を上梓したのですが、中川先生ご自身も見てすぐにわかったような気がするものは避けたいということで、一つのテクニックを6ページで解説しているのです。これまでのテクニック本と同じなのは初めの2ページ、後の4ページはそれに対する説明や注意点が書かれていて、読み合わせていく仕組みになっています。私は「至れり尽くせりの本」は、思考することを止めてしまう、しなくなると思うのです。自分で考えなくてはわからない部分が、本にはなくてならないと思っています。

馬場:これは重大な問題かもしれません。これから学ぼうという人はもちろん本から入るのですが、例えば3年間ぐらい学んだ学生、開業して間がない人が、もしあまり本に触れたがらない、必要としないとなったら、これはもしかしたら教える側の責任かもしれませんね。

要は問題追求形、というきちんとしたステップを持ってカイロプラクティックを教えていない。単に検査と治療技術の切り売り的な教育になっているのかもしれませんね。これはこの業界にとって非常によろしくないことですね。

斎藤:今すごく危機感があって、このままだったら日本のカイロプラクティックがなくなるか、色褪せてしまうのではないか、と。そこを先生方のような方々からアドバイスしていただき、正しい方向に導いて欲しいのです。今後、柔整師たちがカイロプラクティックを取り入れる可能性が大いにあると思います。そのとき、カイロプラクティックがちゃんとしたシステムを作って提供できなければいけないと思うのです。

ところで、守屋さんは山形県酒田市、馬場さんは福岡市でカイロプラクティックをやられているわけですが、東京との違いというのはありますか?

馬場:それを意識したことは全くありません。私は東京では、まずセミナーをやりません。もっぱら地元、福岡で行っています。地元に何かお手伝いができれば、地元の活性化に繋がれば嬉しいですね。(馬場信年氏は、20年ほど前から「九州カイロプラクティック同友会」を組織し、セミナー、勉強会などの活動を行っています。)
守屋:私は、地元ではセミナーなどはしません。地域性ですかね、学ぼうという意識、学ぶことにお金を出そうとする意識が低いように感じます。
斎藤:昔、馬場さんが「福岡から何人も東京に行くんだったら、いっそ講師を呼んでしまえ」ということで安藤喜夫D.C.を招いたことがありましたよね。
馬場:それは地域性の違いです。昔からよく言われているでしょう。「後先考えずに、かけ声で真っ直ぐに突っ込んでいくのが九州で、総崩れになったときに防波堤を築くのが東北の人たち」と。
斎藤:最後に先生方のこれからの10年についてお聞かせください。
守屋:僕は早く引退したいのですが、この地域で飯食わせてもらったわけですから、できるだけこの地域の人と良い関係を持った治療家と患者でいられたら、と思っています。若いときは、とかく数とかにこだわっていましたが、これからは楽しく治療をしていければいいな、と思いますね。東京の人は、「お礼です」といろいろな物を持ってきてくれますけど、こちらじゃ、「うちで取れた大根です。野菜です」とか言って持ってきてくれます。これが最近ではすごく嬉しくなってきましたし、こういう関係がいいなと思うようになってきました。
斎藤:馬場さんは?
馬場:いやいや、同じですよ。一つは福岡にいるわけですから、この地で、こういう医療に携わる人たちに、少しでもお役に立てればいいなと思います。もう一つは自分の人生として楽しく過ごしたい。患者さん自身も治療を目的で来られる方もあれば、メンテナンスを目的で来られる方もいらっしゃる。そういう方々と和気あいあいというのがいいですね。私もオフィスを持って長いですから。お母さんのお腹の中にいた赤ちゃんが、22、23歳になって、柔整師になって偉そうにしているから「オイ、100年、いや1000年早いぞ!」って言ってあげるんです。でも楽しくやっているわけで、そういう人間関係が私の職務である治療と同時につながっていくのです。そういうのがないと寂しいなと思います。
斎藤:最初にお二人にお会いしたのが日本カイロプラクティック総連盟(JCA)の集まりで、確か成田ビューホテルでした。私も科学新聞社に入社したての頃で、先生方もまだ30歳代前半だと記憶しています。あの頃のお二人にお会いできたことで、私もその後30年近くカイロプラクティックと付き合うことができたと思っています。
守屋:そうですね。その頃の日本のカイロプラクティック界には前触れがありました。これが成功したら次のステップへ、そして法制化にいくのだという期待がありました。他の国も世界大会をやった後、法制化への道が開けているので、なんとか成功させなければいけないという、その一念ですよね。今これを成功させればその先が待っていると思ってやっていたわけです。でも結局、それが皆なくなってしまって。あのときは本当になんだったんでしょうね。
斎藤:お二方が盟友と認め合って、いろいろとやられているのを見ると羨ましくてしょうがないです。お互いのそういう盟友関係の中で、何か日本のカイロプラクティック界、そして若い人たちに提供していただけることがあれば、また、私の方からご依頼することもあるかと思います。その節はよろしくお願いいたします。

今日はお忙しい中、本当にありがとうございました。

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