2007 12月カイロプラクティックジャーナル

  2007  12月

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<特別編>安藤喜夫さんを偲ぶ

投稿日:2007年12月20日

カイロジャーナル第24号(1996年2月8日発行)より

カイロ界は有能な人材を失う

安ちゃん、安らかに・・・
果たせぬ約束を残して

カイロジャーナル編集長 斎藤信次

1995年9月カイロ100年祭にて

安藤喜夫氏が亡くなってから、早いもので3ヶ月が過ぎた。しかしいまだに、彼が亡くなったとは信じたくない思いでいっぱいである。

彼の死を知らされた時、どうしてもそれを信じることができなかった。前日も電話で話をしたばかりだったのに、何がどうしてこうなったか見当がつかなかった。にわかに信じろと言われても、なかなかできることではなかった。しかし、それは事実であった。

私と彼は、東京と大阪に離れてはいたが、けっこう頻繁に連絡を取り合っていた。それがもう、話することもできなくなってしまったのかと思うと、私はこれまで味わったことのない、言いようのない寂しさを感じた。自分よりも年下の、しかもあまりにも突然の死に、ただただ「早すぎるよ。これからだったのに」と言うしかなかった。

彼はこよなくカイロプラクティックを愛していた。私はそんな彼が好きだったし、何かやってくれるんじゃないかと期待していた。だから彼から自分の研究会をやりたいと相談があった時も、一も二もなく賛成したのである。しかし、その研究会もたった1回行っただけで、劇的な終わり方をしてしまった。

彼は大阪で研究会を行い、それから、そのメンバーを中心としたネットワークを作ることにかけていた。だから、研究会に何人参加してくれるか非常に気にしていた。結果は予想をはるかに上回る60人以上の参加者が集まり、彼もこの結果に非常に気をよくしていた。

組織に頼らず、限られた地域を対象に、自分のビジョンを説明会で話し、その上で集まった人数としては十分評価できるものだと思う。

9月に一緒にツアーでアメリカに行った時も、「研究会の人たちにお土産買わな」と言って土産を探し回ったり、「研究会の人たちに見せるんや」と言ってビデオを撮ったりしていた。ツアーの団長で疲れていたと思うが、研究会に集まってくれた人たちのことをいつも考えていたようだ。

カイロ100年祭ロイドテーブル本社にて

10月15日の第1回研究会を明日に控えた日、大阪入りしていた私のところに、翌日がセミナーであるにもかかわらず夜遅くやって来て、「どや、読んでみい」と言いながら、セミナーノートを持ってきたのである。よほど自信があったのであろう。手に取って中を見ると、手作りの素晴らしいセミナーノートであった。「これだったらバッチリじゃない」と言うと。「当然や」と言わんばかりの顔をして、「これなら1年分まとまったら1冊の本になるやろ。そしたら出してくれる?」と言うのである。私が前々から、「訳本もいいけど、安藤喜夫編とか著の本を出さなきゃね」と言っていたことに対して、研究会でそれを実行しようとしてくれたのである。「もちろん」と答えると、「ようし」と言っていた。しかし、今となっては、果たすことのできない約束となってしまった。私は彼の本を、本当に出版したかった。

翌日の第1回研究会は案の定、素晴らしいものであった。彼のカイロプラクティックに対する考え方をすべてさらけ出し、実技なしで5時間話し続けた。そして、それから11日後、彼はこの世を去ってしまったのである。

彼はそれまでも日本のカイロ界に、少なからず貢献してきたといえるが、これからも必ずや、なお一層の貢献をするであろう有能な人材だったと思う。かえすがえすも残念である。

この原稿を書き始めたら、またいろんなことが脳裏をよぎる。しかし、今はただ、「安ちゃん、安らかに。会えて本当によかったよ。ずっと忘れないよ。ありがとう。さようなら」とだけ言いたい。

カイロジャーナル第23号(1995年12月6日発行)より
九州カイロプラクティック同友会会長 馬場信年

いとも静かに夕日影
消えゆく見れば亡き友の
面影のこる胸のうち
わが身に迫る夜のとばり
空に輝く数多の星に
友のみたまのいずれぞと
忍ぶもみくにの道標
仰ぎて友の幸いのる

1995年10月26日、安藤喜夫先生が急逝されました。

1984年、当時JCAの会員であった私は、解剖実習団の一人として、ナショナル・カイロプラクティック大学(NCC)を訪れました。そのとき、当時NCCの学生だった安藤先生に初めてお会いしました。滞在中に何度か言葉をかわす機会があり、「まだ学生ですから、先生はいいですよ。安藤って呼んで下さい」と、何となく照れ臭そうに言われたことを、昨日の事のように思い出します。

1987年にNCCを卒業され、帰国してJCAに参加、教育委員として、また国際セミナーの通訳として活躍されました。1990年、私にとって2度目のNCC訪問では、解剖実習団の引率者の一人として、その重責を果たされ、実習はもとより、送迎に、昼食の買い出しにと、実にこまめに、親身になってお世話いただき、その親しみやすい人柄に改めて魅了されたものでした。

話は前後しますが、1989年に安藤セミナーを九州にて実施しました。これが先生とのかかわりが深める第2のご縁で、以来毎年テーマを設け、安藤セミナーを開催することになりました。おしゃれでニコニコして、土曜の夜は中州で一杯飲みながら、またホテルの一室で真剣にあの独特の関西弁で、ときにはきつくてちょっと冗談ぽく、セミナーのこと、カイロのことなどたくさん話し合い、大いに啓発されました。

第20回カイロプラクティック・セミナー

「治療の醍醐味はアジャスト、スペシフィックなアジャストができなけれはカイロではない」、先生のカイロ治療の根幹はアジャストにありました。そのための工夫に自己の研鑽を費やされていたように思います。

屈託のない先生にも、悩みがありました。自分には政治力も組織力もない。でも自分が思うような教育だけは、自分をかけてやってみたい。その一環としてセミナーもやりたい、自分で大丈夫だろうか。また教育は本来多様で組織の枠組みにとらわれず、もっと自由にありたいという願いでした。

今夏、今日までの数多くのセミナーの実績を踏まえ、単発のセミナーから本来の教育へ移行する試みとして、安藤研究会の開設を決意されました。自分の教育理念に基づいて仲間も集まり、今後に向けてその熱い思いをお聞きし、多いに期待するとともに本会の教育に来年度から取り入れる相談もしていました。今日の九州カイロプラクティック同友会の連帯と発展は、安藤セミナーとともにありました。

私たちは、この会の礎を築いていただいた安藤先生のことを記憶に留めておきたいと思います。そして一人一人の治療のなかに、血となり肉となり永遠に生き続けています。しかし、胸襟を開いてカイロのこと、業界のことなど話し合える仲間を失ってしまったことに淋しさを禁じ得ません。このように振り返ってみますと、約10年のお付き合いでしたが、ずっと昔からの仲の良い友達であったような思いがします。いまはただ心静かに安藤喜夫先生のご冥福をお祈りします。

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1989年 安藤クリニックにて

<特別編>江崎健三社長、安藤喜夫D.C.「カイロプラクティック」を語る

投稿日:2007年12月20日

今回の「この人に会いたい」は、特別編ということで、会いたくても今生では会うことのできない2人、江崎健三さんと安藤喜夫さん(安ちゃん)にご登場いただくことにした。

  • 安藤喜夫、1995年10月26日没、享年37歳。
  • 江崎健三、2008年4月4日没、享年58歳。

亡くなった年齢が示すように、江崎さんとは20年以上のお付き合いであったが、安ちゃんとは10年にも満たないお付き合いであった。しかし、どちらとも非常に浅からぬお付き合いをさせていただいた。

安ちゃんを紹介してくれたのが江崎さんで、ワシと同じ京都生まれでこんな男がおんねん、と自分のことのように自慢げに話していたのを、昨日のことのように思い出す。よっぽど好感を抱いていたのであろう。

江崎さんが亡くなって、あっという間にひと月が経つ。その突然の知らせに無類のショックを受けたと同時に、13年近くも経つ安ちゃんのときのことが鮮やかに蘇ってきた。亡くなった原因、年齢、場所と、同じことなど何ひとつないのに、その亡くなりかたまで一緒に感じられてならない。前日まで元気だった人が、ある日急に目の前から消え、会うことはもとより電話で話すこともできなくなってしまうのである。

しかし、悲しんでばかりもいられない。残っている私だけでも前向きに生きていかなけばならない。この2人が日本のカイロ界に残したものを、私が引き継いでいかなければならない。私の思い出の中にある2人ではなく、2人が言わんとしていたことを伝えなければ、と過去の資料を遡って探し始めたら、簡単に見つかった。それも、とっておきの一級品の資料である。

今から20年近く前に、創刊して間もない「カイロ・ジャーナル」第2号で対談していたのである。江崎さんが、どうしても対談でやらせてくれ、と実現したものであるが、今回再び読み返してみても、決して色あせるものではなく、十二分に読み応えのあるものである。

今回はこれを掲載する。こんな2人がいたことを、ぜひ記憶のどこかにとどめておいていただきたい。

「安藤喜夫さんを偲ぶ」 カイロジャーナルより

カイロプラクティック ジャーナル第2号(1989年11月24日発行)より

米国ロイド社の日本総代理店である江崎器機(株)・江崎健三社長が、A&Iカイロプラクティックセンターの安藤喜夫DCにカイロプラクティックの現状と今後について聞いてみた。

日米制度の違いに驚き

江崎:先生はアメリカで勉強されてきたわけですが、日本に帰って来て、カイロプラクティックの現状がどう違うと思いますか。
安藤:まず、知ってはいたものの制度の違いに驚きました。アメリカではカイロプラクティックにも保険制度があります。レントゲンや臨床検査をして診断することも可能です。さらに社会的認知のされ方も日本ではまだ骨を“バキボキ”させるのがカイロというような認知をされていますが、そのへんも違いますね。
保険制度そして診断権がないため、アメリカのカイロプラクティックをそのまま日本に持ち込めないという点で、初めはとまどいました。しかし、治療のテクニック自体は日本の方が進んでいる面もありますし、日本は高齢化社会になってきて、今の医療体制に問題があることは社会全体に関わってきていますから、そのような状況の中でアメリカのカイロプラクティックを活かせたら、もっと日本のカイロプラクティックも伸びると思います。今でさえ追い越せる、素晴らしい治療家がいっぱいいるのですから。 
その方法は色々と考えられるでしょうが、少数のDCだけが、これが本当のカイロプラクティックだと日本のものを否定するのではなく、派閥を抜きにして、日本のカイロプラクターに教育してゆくことだと思うのですが。
江崎:日本では臨床検査やレントゲンなどの規制がありますので、アメリカの教育を受けた立場として、やりにくい面もあると思います。そのへんはモーション・パルペーションを確実に行うなど、テクニックの面からカバーできるのでしょうか。
安藤:できると思います。日本ではすべて自分で診断できない状況なので、疑わしいものは専門医とコンタクトを密着に行い、話し合いをしてゆけばいいのですから。しかし、レントゲンや臨床検査ができないということはハンディを背負う反面カイロプラクティック的手技を使った検査技術は身に付くと思います。アメリカでは、その必要がないものまでレントゲンや臨床検査を過剰に行っている傾向も無きにしもあらずですから。その意味ではアメリカのカイロプラクティックも過渡期に来ていると思います。本来のカイロプラクティックとは何かという点に戻ると、日本のほうが勉強できますね。
江崎健三社長と安藤喜夫D.C.

高さ調節など全自動

江崎:先生はアメリカでコックス・テクニックを使っておられたそうですが、約半年前にご購入頂いたロイド社のギャラクシー・マクマニス・エレベーションと900HS(19インチ仕様)の二台の使用上の感想はいかがでしょうか。
安藤:ナショナル大学では卒業する一〜二年前からほとんどロイドテーブルに変えましたが、今使っているような高度な機種は初めてでした。私たちはテーブルに対して、アジャストする時のクッションの使いやすさなどを特に気にしますが、ロイド社のテーブルはクッションのウレタンなどの基礎的な部分がよくできていると思います。
また、カイロプラクターは患者の治療のために、自分の腰を痛めたりと身体を悪くしている人が多いものですが、高さ調節などすべて全自動でできるので、自分の身体を守る面でも役立つと思います。
江崎:ロイド社のマクマニス・テーブルは、昇降機能や屈曲運動の幅についても設定範囲が広いのですが、それについては…。
安藤:それらが全部自動でできるため、手動のものより患者に合わせて確実な角度でセットでき、治療の誤差が少なくなりますね。患者に合わせたスピードで屈曲させたり伸展させたりが自動的にできるのでもカイロプラクター自身も疲れないでいいですよ。
江崎:今まで手動で、勘に頼っていましたからね。
安藤:屈曲のスピード、伸展のスピード、そして牽引の強さ、必要な角度が設定されると、一回一回の屈曲運動が均等に与えられることがメリットですね。
江崎:そうすると価格的にも納得いただけるものでしょうか。
安藤:できますね。
江崎:マクマニスはいろいろな機能が付いていますが、例えばドロップ機能や胸部のブレーカーウェイなど。それらのもっと詳しい使用方法をいろいろと質問されるのですが、先生はどうお感じですか。
安藤:牽引というと従来からの単に引っぱるだけのイメージを受けやすいのですが、牽引というのは高度なテクニックです。牽引させて屈曲させて、それを間欠的に行ってゆくのは大変効果があるのですが、その反面危険なこともあります。ですから正しい使い方を知らないとマクマニスは使いこなせないと思います。
椎間板ヘルニアの治療にとっては、ドロップ機能やブレーカーウェイを利用して、いくらでもテクニックを工夫することができるでしょう。むやみに使うと危険ですが、教育面でも充実させながら普及させてゆけば、椎間板を治す醍醐味を味わえる機能を備えていますね。

江崎健三

販売と教育を並行

江崎:教育という点では、使い方がよくわからないから、マクマニスを使ってセミナーを開いてくださいと、よく言われるのですが、そのようなセミナーは私たちの範疇ではないように思うのです。ただ、今後の日本のカイロプラクティックを志す人に対して、系統的かつ持続性のある教育は必要でしょう。日本の現状では、大学などカイロプラクティックの学校がないので、各人が自覚を持って勉強しなければいけないですね。それについて何かアドバイスなりお考えを聞かせてください。

安藤喜夫D.C.

安藤:私は年間二十回ほどセミナーを持っているのですが、生徒の反応によって、こちらもいろいろ考えさせられます。というのは、難しいテクニックに入ってゆけばゆくほど、生徒それぞれが、椎間板、脊髄、靭帯などの基礎知識を持っているかいないかでそのテクニックを把握できるか否かが違ってくるのです。
牽引はとてもシンプルなものですが、いかに基礎を知っているかで、テクニックを使い分けることができるものでもあります。華々しいテクニックではなく、原点に戻って教わるためには、どこかで基礎を学ぶ場が必要ですね。教える側としても教えやすいですから。
でも今のところ悲しいかな基礎を教わりたくても、そういった機会や場が少ないのが現状だと思います。私もこれからはセミナーを行うにあたって、もう一度医学の基礎に戻ったものを作っていきたいと思うし、時期的にもそういった時に来ていると感じます。高度なテクニックに走るのばかりじゃなくて、基礎を見直すことで日本のカイロの底辺のアップ、カイロ全体のレベルアップが期待できるのではないかと思うのですが。もっと基礎が見直されればマクマニスの機能を使ったテクニックは伸びると思います。
江崎:私もただ売れればいいというような商売はしたくないと思っています。
安藤:いい機械を持ったからといって、いい治療ができるわけではないですからね。販売と教育が並行して進む必要があります。世間の人々や治療家に対して日本のカイロプラクティックの浸透の仕方は、いい部分と悪い部分とがありますし。
江崎:カイロプラクティックと病院が同じような立場になれば、患者のためにもなると思いますね。
安藤:患者はカイロプラクティックであれ、整形、按摩、指圧と何であれ治りたい一心で来ます。人間を全体としてとらえるカイロプラクティックを各分野の治療家が理解して、採り入れて欲しいですね。日本では職業間のコミュニケーションが不足していますが、だれのための治療なのかを考えてみれば、それは必要なことだと思います。

体制を作り上げて
基礎医学勉強の機会を

江崎:患者の立場に立った場合、料金面では一回につき何千円かかります。保険制度に慣れている日本人に、それは抵抗感があると思いますが、保険は毎月個人が一万何千円か負担し、会社も同額負担しています。年間で四十万円近くの保険料を払っているわけです。カイロプラクティックの治療で年間四十万円いくことはなかなかないです。ふつうの会社員は、会社を抜けて病院に行っても給料をもらえますが、自営業だと休んだ分は確実にその分の収入はなくなります。保険に入っていても、長く待たされる病院には行きにくいと思います。
安藤:病院で二時間ほど待たされて、三分診察、薬ばかり多量にもらって、病状の説明やアドバイスもない。貴重な時間を割いて通院して、治ったかというと治ってない。それから考えると、私たちカイロプラクター三分間診療よりずっと有益なことをしていると思います。三〜四千円でも私たちは、誠意を持って治療費に見合ったことをやっています。ですから、そのような治療を求めている人は「安いですね」とおっしゃってくれます。トータルで考えると満足してくださる患者さんは多いですね。

広くコックス技術を

江崎:ところで、来年十月か十一月頃に愛知県犬山市で日本で初めてコックス・テクニックのセミナーがJCAの主催で開催されますが、コックス・テクニックの日本における位置付けはどうお思いですか。
安藤:コックス・テクニックはオステオパシーの世界から入ってきた牽引方法ですが、日本のカイロプラクティックの中で、かなり重要な部分を占めてくると思います。コックス・テクニックが入ってくると、日本のカイロプラクターの基礎知識がとても問題になるでしょうね。そうなると日本のカイロプラクティックの現状も変わってくるかもしれません。私もセミナーで、Dr.コックスの技術を広めたいです。
江崎:そのセミナーについてですが、JCAが主体になって開催されることが多いのです、現在のところ。しかし、組織には入りたくないが勉強はしたいという人が多いのです。組織の壁を取り払って、そのような人たちを拾い上げるセミナーは開催できないものかなと思うのですが。
安藤:カイロプラクターそれぞれのレベルに合わせたセミナーは多く開くべきだと思います。それを抑制する状況だと、カイロプラクティックは発展しないでしょう。今はそのあたりを模索している段階かもしれません。
江崎:体制が出来上がっていないことが一番の原因かもしれませんね。そのせいか、勉強したいという人でも、基礎医学への認識は弱いような気がします。
安藤:カイロプラクティックはイコール、カイロテクニックというイメージが日本では強いと思います。しかしテクニックのみを考えている人は伸びないと思います。基礎医学を学ばないで、テクニックに走っているカイロプラクターは制度化されたされた時、自然淘汰されるでしょう。除かれてゆく人が少しでも減るように、もっと基礎を勉強できる機会を与えるべきですね。
江崎:そのあたりは現在不十分ですね。
安藤:基礎医学を知って初めていろいろなバリエーションテクニックを使い分ける能力が身に付きますから、カイロプラクターとして、それを知るのは義務だと思います。
江崎:それには宣伝が大切ですね。技術というピラミッドの底辺をしっかりしておかないと、高く積み上がらないことを、もっと認識してもらうようにしなくてはいけないですね。
安藤:その認識はされ始めているように思いますが、認識していない人は制度が出来たら、多分大変なことになるでしょうね。
江崎:そうですね。今日はありがとうございました。
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