2007 9月カイロプラクティックジャーナル

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<第1回>この人に会いたい 中川 貴雄D.C.

投稿日:2007年09月09日

先週の土曜夜は、年末に行われるフィロソフィー・ナイトの決起集会に顔を出した。今日はそこから書き始めると、記憶も定かでよどみなくスラスラと書けそうだが、そうするとせっかく今月仕込んできたネタを、いつ紹介していいのやらタイミングがわからなくなってしまうので、予定通り4日の中川先生のところから始めさせていただくことにする。

もう皆さん、かなりの部分をご存じだと思うので、これまで紹介されているような形ではなく、私の知る中川先生のいう形で紹介させていただく。先生は幼いときから、療術家であったおばあちゃんや父親の影響を受けて育ち、高校卒業後、柔整、鍼灸、放射線技師の資格を次々に取得した後、大阪・池田で開業した。治療費をズボンのポケットにせっせと入れていったら、ポケットがいっぱいになったこともあったという。相当、患者さんがきていたのだと窺われる。その頃から、治療のセンスは抜群だったのであろう。そのまま日本から離れなかったとしても、それなりの存在感を発揮していたことだろうと思う。

先生夫婦から余計なことまで書くな、とお叱りを受けそうだが、いま流行の「そんなの関係ねぇー」ということで一つ。先生はどこに行くにも一緒、愛妻家として知られているが、放射線技師の資格を取るために阪大の医療短期大学部にいた頃に、夫人のひろ子さんと知り合い結婚されたそうである。それ以降、他の女性に目移りしたことはない、と私が断言したところで何の役にも立たないが、これほど仲の良い夫婦はそうそう見たことがない。

順調に日本でそんな治療家活動をしている折、当時帰国したDCや留学中に里帰りした人たちから触発され、アメリカのカイロ大学(LACC=ロサンゼルス・カイロ大学、現SCUHS=南カリフォルニア健康科学大学)に留学。在学中から教壇に立つ機会に恵まれ、その後も授業を持ち続け、最終的には助教授として本場のカイロ大学の教育に直に携わった。

中川 貴雄D.C.

その頃、授業で使用していたモーション・パルペーション(MP、もちろん英語)のテキストを、アメリカで出版しようと出版社と掛け合ったが、意志の疎通がなかなか上手くいかず断念。その後、日本語でまとめ直し日本で出版しようと、ある出版社に話を持ちかけたが、これも当時この出版社はカイロにあまり興味を持っておらず、縁がなかったということになった。そんなこんなでやっと我が社が出てくることになるのだが、出会いというか、縁というのは本当に不思議なものである。その後、先生夫婦とこれほど親しくさせていただくことになろうとは思いもよらなかった。

当時、我が社は良質なカイロ関係のネタを探している真っ最中だった。そんなところにひらひらと舞い降りてきた話で、お断りする理由が全くなかった。ようこそいらっしゃいました、こちらこそよろしくお願いします、といった感じでトントン拍子に話が進んだ。そうして、昭和60年(1985年)4月にめでたく出版と相なったわけだが、この本が初めからすぐに売れ筋商品になったわけではなかった。MPという聞き慣れない用語が馴染むまで多少の時間が必要だった。

しかし、焦りは全くなかった。アメリカ在住とは言え、先生の人となりに触れていたので、これからこの路線で行こう、みたいな決意のようなものがもう既に芽生えていた。この本が売れなかったら、それはそれで仕方ないという、いい意味での開き直りのようなものがあった。やはり心配は無用であった。先生のことが徐々に日本で知れわたるようになり、その後いくつかの学校の教科書として採用され、発行後20年を経過した現在でも非常に安定した売り上げを誇る超ロングセラーとなっている。

その後も数え上げたらキリがないほど、中川先生とともに作業をさせていただいた。出版物はもとより、ビデオ制作(脊柱MPの本が3,000部売れたら、と約束をしたもの。現在のDVD)、アメリカ・ツアー、来日セミナーおよび現在の勉強会、カイロジャーナルへの寄稿、本当に、本当にお世話になりっぱなしである。その一つひとつに何物にも代えられない思い出が残っている。その上、私の社長就任に際してはプレゼントまで(先生が直々に選び購入されたという。またオフィスのスタッフの方々からも)いただいた。先生のお陰で我が社のカイロ事業が大きな飛躍を遂げたことは言うまでもない。

中川夫妻

先生夫婦とは、現在でも年に10回以上はお会いしているが、会話が途切れたことがない。特にひろ子さんとは、お互いどれだけしゃべってもしゃべり足りないという感じである。ひょんなことから、私がブログを始めることになり、これまでのエピソードや日々の出来事を語ることになった。そうなれば、やはりこの人からしかない。大阪のセミナー終了後、久しぶりにデジカメとICレコーダーを持ってインタビューを試みた。

結論から言うと大失敗であった。録音を聞き始めてガッカリした。はっきり聞こえるのは私の声だけ。いかに使い慣れていない録音機材とはいえ、先生の声がかすかに聞こえるだけである。これでは原稿を起こしているだけで時間が過ぎ、ブログどころか仕事にまで影響する。ということで、非常にあいまいな私の記憶を元に、先生が言われたことをほんの少しだけ紹介させていただくことにする。

思い出話に花が咲き、何かの話の流れで「最近どうも日本のカイロが元気を失っているような感じを受けるんですが」と言葉を向けると、「私も最近そんな感じを受けてました」と即座に返事が返ってきた。「ああ、やはり」と思いながら話していると、「みんなカイロでものを考えなくなっていますね。私はカイロの基本的な考えを元に施術を行えば、多少施術の仕方が違っていてもそれはカイロなんだと思っているんですよ。その辺のところの理解が多少違っているんでしょうかねぇー」ということであった。

私は治療の専門家ではないので、先生の言わんとしていることが100%理解できるわけではないが、先生の鳴らす警鐘がわかるような気がする。私も中川先生の勉強会に限らず、さまざまな講習会場に顔を出している。そんなとき、その会場の雰囲気がこの20年でかなり変わった感じがしている。情報をはじめ、不足しているものが多かった昔のほうが、なんとなく張りつめた雰囲気の中で行われていたような気がする。欠けているものをなんとか補おうとして、さまざまな努力や工夫をしている様子が窺えたのである。最近はわからなければ聞けばいい、すべて与えてもらえると思っているような気がしてならない。

私がこれまで見てきたカイロというか、医療というのは、そんな生半可なものじゃないと思っている。神業に近いものから、経験を積んだ人たちの凄みのある施術を数多く見てきた。その人たちが簡単にその域まで辿り着いたとはとても思えない。その人たちのその姿を見ていると、その人たちの人となりが出てくる。彼らは決して奢らず、いつも謙虚に患者さんと接している。それは何もやさしいというだけではない。ときには患者さんを叱り飛ばすこともある。でもそれは、なんとか治して上げたい、という気持ちの表れと感じられた。

まだまだ私のカイロ界に対する恩返しは終わっていない。ライフワークという言葉はあまり好きじゃないので使わないが、私のミッションとして折を見ながらこのブログで、私が見てきたものや感じてきたことを紹介していこうと思う。気長にお付き合い願えれば幸いである。


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