2010 年 9 月 23 日
また、いつの間にか新しい週に入り、比較的平穏な2日間を過ごしたと思ったら、神庭組長のセミナーが入っている秋分の日を迎えた。平穏な2日間の間にも三鷹で上部頚椎研究室を営む井上裕之君の訪問を受けた。アポもあったし、おおよその相談内容を事前に聞いていたので、非常にスムーズな話し合いができた。
井上君とは、彼が帰国してからこれまでも幾度となく会ってきたが、今回「私、斎藤さんは覚えていないと思うんですけど、実は20年ほど前に、アメリカに渡る前に一度ここに斎藤さんを訪ねたことがあるんですよ! そのとき、斎藤さんからいろいろな話を伺い、その言葉が留学時代の糧になったんですよ!」と言われ、急に背中に寒いものを感じた。
20年前ということは、私はまだ30代の後半、彼の言う通り訪問を受けたことを覚えていない。これまで、カイロを志すいろいろな人たちの訪問を受けたことが、走馬燈のように頭を巡り、「私、そのとき何言いました? とんでもないこと言ってませんよね!」とすぐさま聞いてみたが、井上君は「今とそんなに変わったこと言ってませんでしたよ!」と言ってくれたが、そんなに、というところに含みがあるような気がして、果たして本当のところはどうだったのか? これからは、ちゃんと覚えておくようにしようっと!
しかし今回、訪問を受けて本当に良かった。相談内容の確かさや言葉の端々に、揺るぎのない自信と素晴らしく成長している姿を見せてもらうことができた。それに引き替え、当時、私は彼に本当に何を言ったのだろう? 覚えていないということは、この上なく心細いものである。
会議室ではまだ神庭組長のセミナーが始まったばかり、今日も参加者を見ると、終了後に何事もなく終わるはずがない。明日(24日)の夕方からは、岡井さんと「ほかけ」から始まって、新橋の「一鶏」と続き、翌日(25日)の土曜は、岡井さんのマイ・プラクティス2、ソウルナイト、二次会、三次会(この辺が潮時のはずだが!)と続く、プロレス技のオンパレードじゃないが「殺人フルコース」である。
翌々日(26日)の日曜も栗原ゼミで出社するが、この日はたぶん死んだ目をしていて、とてもPCのディスプレイは見続けられないだろう! 次のブログは一体いつになるのか、乞うご期待である(誰も期待なんかしてねぇーから、黙って早くやれ、ってか? その通りだわな!)。
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2010 年 9 月 22 日
2カ月ぶりの伊藤ゼミが終わった後、2カ月前と同様、翌日が祝日にあたっていたが、今回はカラオケではなく、いつもながらの居酒屋での飲み会となった。メンバーは伊藤さん、若林親子、丸山、小田桐、加藤君、私である。PAACも35周年の飲み会を池袋で行っていたが、途中から参加するのは憚られたので、スタートから参加できるこちらの飲み会にさせていただいた。
と、なんやかや言ったところで、今月は夕刻以降きっちり飲み会に参加している。今月は本当に飲む機会に事欠かなかった。自分から呼びかけなくても、次から次にその機会がやってきた。体を考えれば気をつけなければいけないが、どれも結果から言って悪いものはない。ストレスを溜めないように受け止めるのが一番と言うことかな!
後かたづけをしてから少し遅れて参加したせいもあって、私があまり好きではない飲み放題セットが注文されていた。案の定、少々ペースを乱して飲んだせいか、帰りは同じ方向の小田桐と一緒だったが、途中とてつもない睡魔が襲ってきて、道すがら話したことの記憶がない。小田桐が一生懸命話していたことだけは覚えているのに、ごめん!
20日、PAACの2日目は昨年に続いて榊原直樹君だったので、もう紹介しなくても面識があり、朝一番から行く必要がなかった。少しのんびりさせてもらってから、10時半過ぎに会場入りさせてもらった。
行くと、米山さんがセミナー会場の外にいたので、1年ぶりに近況を話し合っているうちに、それにしてもこの元気のない日本のカイロ界に何らかの起爆剤はないものか、という話になった。しかし、以前から日本をこうした戦犯は彼だよね、という共通認識があったため、どうしてもそこに話がいってしまった。
この日の昼食も講師の榊原君を囲んでPAACお歴々と、となったが、午後の部の講師も榊原君だったので、早めに切り上げて会場に戻った。午後の部が始まると、猛烈な睡魔が襲ってきて、外のソファーでガッツリ寝てしまった。起きたときには、思いっ切り寝たという自覚とともに、物の見事に疲れが飛びスッキリしていた。これで夕刻以降の準備はOKである。
セミナーも終わり、榊原君の喉の渇きをいやしましょう、とほとんどアイコンタクトで生ビールが決定し、40年近く前に私がバイトしていた、池袋からほど近い早稲田の源兵衛に急行した。まだ4時台だったが店は開いていて、それからゆっくり飲みながら源兵衛(宮田家)の家族と会話しつつ、適量を飲んだところでお開きとし、名古屋に帰る榊原君を東京駅まで送り、この日も無事終えた。バンザーイ!
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2010 年 9 月 21 日
18日からの3日間は、会社にいる時間があまりにも少なかったので、ブログを書くことができなかった。にもかかわらず、夜は飲む機会に事欠かなかったので、黙々とお付き合いに相努め、寝不足状態が続き昼過ぎになると猛烈な睡魔が訪れ、至るところで居眠りをかましながら、またその夜に備えるという、これ以上ない日々を送った。
18日は、よほど大阪のJSC・KOセミナーに顔を出そうかと思ったが、来月23、24日には同じJSCによる毎年恒例の日本カイロ・セミナーも同地で行われる。そちらに出させていただくことにし、今回はラルゴコーポレーションの古賀さんに出展をお願いした。
したがって、この日はオフ。このひと月ほど体のケアをしていなかったのを思い出し、午前中は家のことをし、昼過ぎに入念なケアを受け、それから会社に出て残務をこなし、夜は久しぶりに合う友人と旧交を温めた。しかし、せっかく健康的な昼を過ごしたのに、夜は寝る間を惜しんで語り合ってしまい、結局は深夜のタクシー帰宅になってしまった。
19日は2カ月ぶりの伊藤さんの臨床機能神経学セミナー。前日までに送ってもらう約束になっていたセミナー資料を準備するため7時に出社、伊藤さんのことだから間違いなしとメールをチェック、やはりちゃんと届いていた。それから1時間ほどかけて資料を準備、ちょうど出来上がったところに丸山がやってきた。会議室の鍵を開け、後のことを委ね、9時半に池袋のPAACインターナショナル セミナーが行われている会場に到着するよう会社を出た。
9時半ちょうどに会場に到着した。なぜ、こんな時間から行かなければいけないか、というと、この数年PAACインターナショナル セミナーの講師選び、依頼などのお手伝いをしていて、今年は免疫で有名な新潟大学の安保徹先生に特別講演をお願いしていた。先生とPAACの方々とはほとんど面識がないので、事前に行って紹介等を済ませようと思ったためだ。
しかし、そんな心配は無用であった。先生は余裕を持って9時には会場に姿を見せ、準備万端整えていた。後で「先生、お早いですね」とお聞きすると、トレードマークのあの人なつっこい津軽弁で「講師がなかなか現れないと、皆やきもきするでしょ! 要らぬ心配かけないようにしないとね!」と、さすがにストレスが病気の原因、と言うだけあって先生の気づかいに感心した。
講義はいつも通りの安保節で、免疫の話を堅苦しくならないように、身近な例えを示しながら淡々と話されていたが、予定よりかなり早めに終わってしまった。アレッ、と思って様子を見ていると、質疑が次々に出て、終わってみるとちょうど良い時間になっていた。スタート前から見計らっていたような進み具合である。もしこれを読んでいたとしたら、恐るべき手練れである。
このあとPAACのお歴々と昼食となったが、ここでも午後の部のスタートが1時だと知ると、それまでに食事を済ませようと、人知れず急いで食べ終えていた。本当に細かなことに気を配りながら、私は何もしてないよ、と平然としていられる方であることを、今回知ることができた。これだから、こういう仕事はやめられない!
昼食後、1時20分からジャーナルのインタビューをお願いしていたが、20分ほど空いてしまった。それまでの間、ホテルのロビーでいろいろなことを伺った。この時間もありがたい限りであったが、これまでのPAACの方々のことを考え1時20分にした私、しかし今回の場合はせいぜい1時5分にしておかなければいけなかったのだろう。
時間通りに櫻井さんがやって来たので、バトンタッチして私はセミナー会場に戻った。しばらくして櫻井さんからインタビュー終了の連絡が入った。無事終えたようである。それから、一緒に会社に戻り伊藤さんのゼミが終わるまで、次号のジャーナルの打ち合わせをした。悩ましいネタがあり、すぐに結論というわけにはいかなかったが、ネタぶりをしたのは当方なので、より良い着地点を模索して結論を出すしかない。
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2010 年 9 月 17 日
セミナーも好評のうちに無事終え、9月を迎える新しい週に入った。30日、この日は新潟に帰る美和を8時にホテルに迎えに行き、そのためにアメリカから持ってきた大きなバッグをタクシーに積み込み、新幹線に乗せるというミッションから始まった。
たぶん、ここを読んだいつもイベント会場等で私を見ている人たちは、エッ、ウソォー、と信じないであろう。イベント会場等では、私は全くと言っていいほど重い荷物を持たない。持ってもいいのだが、作業を一緒にする人とペースが合わないと申し訳ないので、誰かやる人がいたら、足手まといになるから手を出さないことにしている。
ハハハ、我ながらよく言うわ! 私がやることもなかろうと思って、見ているだけなのである。自分で言うのも何だが、信じられないほど我が儘な考えだ。したがって、私が重い荷物を持っているところを見かけたら、写真に収めておいたほうがいい。何の価値も出ないが、珍しいことだけは折り紙付きだ。
東京駅で、応対の悪い女性社員からチケットを買い、時間までコーヒーでも飲もうと喫茶店を探したが、見つからないので瓶詰めの飲物を飲みながら、ベンチらしきものに座って時間をつぶした。その間、母親と電話で話す美和の方言を聞くことができた。時間になって、私もホームまでバッグを運ぶため、入場券を買おうとチケット売り場に並ぶと、あろうことか、また件の女性社員に当たってしまった。巡り合わせが悪いなぁー、と不運を嘆いていると、やはり応対が悪い。
「そちらの券売機でどうぞ」、文章でここだけ読んでも特に何と言うことはないように感じるだろうが、「窓口では扱ってないのか、何より、もう少し愛想のある言い方があるだろう!」と言いたくなるような応対なのである。自分も他人のことをとやかく言えた義理ではないが、私の周りにも件の女性社員同様、話し方がどうにもしっくりこない人が何人かいる。当人たちは普通に話しているつもりなのだろうが、周囲からの評判もおおよそ似たようなものである。実力でぶっちぎれる人はいいが、大概はそうではない。当人が気づかないうちに、損をしていることもかなりあるのではないか? 他人に対する配慮が欠けているせい、からなのではないだろうか!
荷物を車内に入れようとしたら、2階建て車輌の下の席だった。とりあえず、席まで下ろしたが、新潟で美和がデッキに上げられるかどうか心配になるようなバッグの重さだった。新潟までついて行くわけにはいかないし、「近くの人に頼んで上げてもらって」と言い残して別れた。会社に戻っても、いつもの出社時間とほぼ変わらなかった。
31日、この日は昼過ぎに美和が新潟から戻ってきた。今度は新幹線ホームからNEXホームまでバッグを移動したが、一段とバッグが重くなったような気がした。一緒に成田まで行き、出発時刻まで付き合った。車内、ビールを飲みながらの遅めの昼食、お土産探し、また3時間ほど一緒だったが、飽きることなくしゃべり続けた。何と言っても、15年以上も日本とアメリカに離れていても、この20年を安ちゃん、健三さんの話題とともに話せる本当に数少ない戦友である。今後もと言うか、美和に限らず、死ぬまで見届けたい戦友がたくさんいる。
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2010 年 9 月 16 日
その4、とせずに吉田美和編とさせていただくことにした。
27日の夕方、美和が成田からNEX(成田エクスプレス)に乗ってやってきた。荷物を見ると3日や4日の滞在の大きさではない。たった1日だけ帰る実家(新潟)のための荷物だと言う。案の定、ホテルまでのタクシーでトランクに入れようとしたら、力のないタクシーの運転手でフラフラしながらやっとのことで持ち上げていた。心許ないので、降りるときには自分でトランクから出した。
ホテルに着いて、例のダウンロードできなかったセミナー用のデータを受け取り、一度会社に帰り問題がないことを確認してから、安心して食事をすることにした。少しは日本らしい美味しいものを、と食べたいものを聞いたら、何でもいいと言うので、翌日も行くことになるとは思いもせずに、安いだけが取り柄の居酒屋に入った。
1月に無理を押してラスベガスまで来てくれ、1日余りツアーのメンバーと付き合ってくれたので、久しぶりということはなかったが、気兼ねなく二人きりでゆっくり話したのは本当に久しぶりで、あっという間に翌日に支障を来す時間になっていた。この日はここまでにしたが、翌日からの予定がなければ、夜通し話しても話題は尽きそうになかった。
28日、セミナーが始まった。2年半ぶりの日本でのセミナーだったので、ほんの少しだけ心配したが、そんな心配は全く無用だった。参加者は7割がた女性だったが、美和はそんなことお構いなしにガンガンいき、その自信溢れる講義ぶりと人柄に惹きつけられ、参加者たちは美和を中心に独特の一体感のようなものを感じさせるようになっていった。見ている私も、競馬でリードを保っているときのように、「いいぞぉー、そのまま、そのまま、そのままゴールまで行ってしまえー」みたいなノリになってきた。不思議な感覚だった。
熱気に包まれたまま初日が終わり、せっかくの機会なので美和を囲んで懇親ということになった。前日と同じ店ということに相成ったが、本来はこの日の店選びが正解だったのだろう! スタートは10人ほどだったが、あとから合流する人が次から次に現れ、出入りはあったものの、最終的には20人以上の人と懇親を図れた。
29日、この日は前日にも触りを紹介しているが、敢えて吉田式と称して、今回絶対修得して帰ってもらいたい、と力を入れていた部分を中心に講義は進められた。私はもう何もすることがなかった。セミナーを通して、できるだけ会場内で参加者の様子を見るようにはしていたが、この日も前日も会場外の休憩スペースに、加瀬さんの新刊を担当している人たちに来てもらい、あれやこれや進捗状況を聞きながら指示を出していた。
またこの日は、懇意にしている岡山の藤沢君(CSC修了者)が主宰している勉強会に会議室を貸していたので、セミナーの合間を見て会社にも顔を出した。塙式という手法の勉強会で、講師は愛知の荒川君(CSC修了者)、参加者の中には、なぜここにいるの、と意外に思える櫻井さん(D.C.)や、つい最近もウチと問題が起きたばかりのJACの理事(RMIT日本校卒業生)など、見知った顔も幾人かあった。
時間通り、美和はやれるだけのことをやってくれセミナーを終えた。このあとは、櫻井さんによる美和のインタビューが待っていた。片づけを済ませて帰社しても、まだ会議室の方が終わらず、社内で美和と話していた。やっと終わって隣のホテルでインタビューとなった。
この2人、初対面ではないが互いにD.C.で日本の鍼灸の資格を持ち、私が真ん中にいることもあり意識していないわけがない。本当に好対照な2人で、片や本場アメリカで治療家として、さらに経営者としてバリバリやっている実践派中の実践派、片や通訳、翻訳、編集を得意とし、学会等の活動に積極的な理論派、私としては、どちらもかけがえのない存在の2人だ。
硬い雰囲気で始まったが、美和は靴を脱いでビールを飲みながらリラックスし始めたし、話も徐々に興味深い方向に変わっていった。結果的にとてもいいインタビューになった。企画した者としてはシメシメといった感じだ。このもようは、Web版「この人に会いたい」に近々アップされますので、ぜひご一読を!
インタビュー中、美和セミナーの参加者たちからお誘いのメールが届いていたが、なんと3日連続で同じ店の名前が挙がっている。さすがに遠慮すると、その店が満席で店を変えると言う。二転三転あったが、やはり遠慮して3人で中華を食べることにした。その頃になるとかなり打ち解けていて、ただのオバサン同士の会話に、変なオジサンが1人加わったような内輪な感じになっていた。
書き慣れてきたのか、かなり短時間で仕上げられるようになってきた。ただしWeb担当の方の作業が手一杯で、リアルタイムではアップされていない。もう十分に長いことは承知しているが、あまり長いと読む方も嫌気が差すと思うので、吉田美和編は続きを書かせていただくことにする。それにしても、やはり長い!

セミナー風景1

セミナー風景2
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