新連載 第1回 フレキシブルに原点回帰 後藤雅博 | カイロジャーナル

  新連載 第1回 フレキシブルに原点回帰 後藤雅博

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新連載 第1回 フレキシブルに原点回帰 後藤雅博


カイロジャーナル83号 (2015.6.28発行)より

カイロプラクターは治療しない 体は自ら治療へと向かう

ごとう・まさひろ
後藤カイロプラクティックオフィス院長(北海道帯広市)1991年、パーマー・カイロプラクティック大学卒業。日本統合医療学会会員。

今号より連載で寄稿させていただくこととなりました。伝統的なカイロプラクティックから統合医療やフィットネスとの関わり合い、私のカイロプラクターとして譲れないこだわりを織り交ぜていきたいと思っています。

昨今では、国内外を問わず、ChiropracticまたはChiropractorの下三文字を“TIC”あるいは“TOR”と大文字で表すことにより、カイロプラクティックおよびカイロプラクターのアイデンティティーを訴える表現を目にすることが多くなりました。カイロの定義からサブラクセーションが消滅してしまうことや、米国の場合ですと、業務範囲に手術や投薬などが含まれるような「メディカル化」に対して危機感を覚え、このような表現で警鐘を鳴らしているように感じます。

私事ではありますが、今春、カイロ大学を卒業して25年目に突入しました。私の学生時代にもミクスチャー(mixture)の考えを持つ人たちがいましたが、超えてはならない一線を心得ていたように思います。意見の対立こそありましたが、上記のようにあえて大文字を使用して強調するような対極化はありませんでした。当時の私は、ストレート側の考えに共感し、それを誇りに思い、大いなる希望を抱きながら大学を巣立ちました。

卒業後は、アメリカの免許更新を兼ねて様々なセミナーを受講し、学会などにも出席して参りましたが、時折「さて、現在の私はいかがなものか?」と考えることがあります。頭の中に現れる当時の私は、現在の私のプラクティス形態に数々の批判をぶつけてきます。しかし、今の私には後ろめたい気持ちはありません。「全ては患者様のため」「その時々の自分ができる最大限の力を尽くす」「時代の変化に対応し、進化を遂げたい」と思い、探求することは、何ら恥じることはないと堂々と思えるからです。

大学在学中から現在に至るまでに、カイロに対する考え方には変化こそ生じましたが、頑固なほどに一貫して変わらぬ理念があります。それは、私には「治療」をするという概念がないことです。その経緯は、少なくとも私が在籍していた頃までは、母校であるパーマー大学の付属クリニックに、”Adjustment Room”はあっても”Treatment Room”が存在しなかった事実からもお察しいただけるかと思います。カイロに関して真っさらな状態で大学教育を受けた私は、そのような環境下で学んだことに少なからず影響を受け、カイロをモダリティーとして捉えるような”treatment”、すなわち「治療」という表現は相応しく思えませんでした。

現在では、発祥国のアメリカですら”Chiropractic Treatment”は、違和感なく使用されているようですし、学生時代に熱くカイロ哲学を語り、時には厳しい言葉を投げかけた級友のクリニックにも”Treatment Room”が設けられています。「治療」や「トリートメント」という言葉は便宜的ですし、多くの方々は、それほど深い意味を持って使用しているわけではないことでしょう。「この痛みを治してください」とおっしゃって我々に身を委ねる患者様も大勢おられますので、「治療を要求する人」に対して「治療を提供する」という図式は一見成り立つようにも思えます。しかし、私はそれをどうしても素直に受け入れることができません。

カイロには、“The body is designed to heal itself.”、つまり「体は自らを治癒するようにできている」という概念が根底にあるはずですので、カイロプラクターが「治療をする」という表現は、私には到底適切には思えないのです。プラクティス形態の変化に伴い、自分が受講するセミナーはストレートなものから時にはメディカルの学会やスポーツトレーナーや理学療法士の方々とともに学ぶものなど、様々なバリエーションを持つようになりました。異なる観点からカラダについて考えることにより、それまでに見えていなかった面白い発見や気づきと出合うことがあります。それらを本業のカイロに活かすために、カイロに矛盾を生じないような解釈をするように努めています。例えば「治療」「セラピー」「トリートメント」などの言葉を自動的に排除、または「ケア」など他の妥当、あるいは妥協できる表現に置き換える作業を無意識のうちにするようになりました。

トリートメントであろうがアジャストメントであろうが、行為や結果が似たようなものになることもあり得ることでしょう。しかし、前述した通り、カイロプラクターは「治す」立場にはないはずです。サブラクセーションをアジャストし、カラダが自らを治癒するお手伝いをさせていただくスタンスにあることを踏まえることは、未だに重要であると考えます。それを意識するか否かということは、大袈裟かもしれませんが、カイロの魂が宿るか否かほどの大きな違いが生まれると私は思います。その根本を覆すことさえなければ、カイロの軸はぶれることなく保つことができると信じております。

上述させていただきましたことは、あくまでも私の個人的なカイロに対するリスペクトです。ご批判もあろうかと存じますが、これは、私がカイロプラクターである限り、いつまでもこだわり続けたい信念です。

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