「本紙創刊25周年」イベントラリーを終えて 斎藤 信次 | カイロジャーナル

  「本紙創刊25周年」イベントラリーを終えて 斎藤 信次

カイロプラクティック、オステオパシー、手技療法の最新情報、セミナー案内、関連書籍・DVDの販売

カイロジャーナル TEL.03-3434-4236 〒105-0013 東京都港区浜松町1-2-13江口ビル別館

「本紙創刊25周年」イベントラリーを終えて 斎藤 信次

カイロジャーナル82号 (2015.2.23発行)より

やって良かった「そしてまた必ず…」

昨年7月、本紙が25歳の誕生日を迎えるにあたって、自分なりの節目を感じ、8月から11月までの最終日曜日を利用し、独断と偏見に満ちたイベントラリーを企画してみた。イベントの企画というのは元々独断と偏見に満ちたものだが、これでもこれまで独りよがりでやってきたつもりはない。しかし、今回は私の好みだけで企画した。結果イメージ通りに事は運ばなかったが、これは今の日本のカイロプラクティック界が、私の入社当時から10年ほど前までの勢いのあった時代とは隔絶の感があり、アテが外れたとも言えるが、ある程度は予測できていたことでもあった。だが、いざ終えてみて今はっきり言えることは、明らかにやって良かったということだ。


まず8月、トップバッターはドクターこと塩川満章氏。ドクターには、入社して間もない頃、先代の池田(現会長)から用を言いつかり、当時日本橋にあったドクターのオフィスに何度か伺った。社でカイロ云々という出版物を出していたことは知っていたが、最初にカイロプラクターがアジャストする姿を見たのがドクターだった。最初に本物中の本物を見たのだから、もうこれ以上の出会いはない。

そんな感慨もあって、ドクターの40年を越える臨床の真髄を、スクール、JCRA関係者以外の方に広く披露してほしいとお願いしたわけだが、当日は雅士、貴士の双子のDC子息も顔を見せ、ドクターの臨床のすべてを心ゆくまで堪能することができた。


9月は小倉毅氏と、彼が応援を要請すればいつでも札幌から駆けつける川人誠司氏。この2人ともいろいろなエピソードがある。小倉氏とは彼がDCになる前に、日本の名だたる団体が糾合して連合体をつくろうとしていたとき、その会議で会ったのが最初だったと思う。各団体からお歴々が集う中、最年少に近い年齢だったと思うが、毅然と席に着いていた印象が残っている。その後DCを取得して帰国したとき、最初のセミナーのお手伝いをさせていただいたのをきっかけに、それ以降も出版物、DVDはもとより、様々なことでお付き合いをいただいている。そんな中で、当人も被災した東日本大震災復興支援のチャリティーセミナーを開いたことは、今でも鮮明に記憶に残っている。2回のチャリティーの両方に気持ちよく参加してくれた。

そのうちの1回に小倉氏の要請で駆けつけてくれたのも川人氏だった。彼とはあるテキストの写真撮影で、東京に前日入りしてもらい夕食をともにしたことがあるのだが、お互い飲んではしゃぐのが嫌いなほうじゃなかったため、ついつい調子に乗りすぎてしまったことがある。今でも札幌に行けば、足を運ばせずにはいられない、とにかく一緒にいると愉快な気持ちにさせてくれる男である。

この2人からも本当にあらゆる面からご協力をいただいている。当日の講演内容が当人たちも納得のいくものだったらしく、2人が「せめて全国もう1,2カ所かでこれやりたいね」と言っていたのを聞いて、「もちろん今度はこちらがお手伝いさせてもらう番ですよ」。


10月は19年前の安藤喜夫氏の命日が、ちょうど日曜日にあたっていたので偲ぶ会をイベントラリーの一環に加えさせていただいた。金沢での徒手医学会の学術大会と重なっていたため、金沢を早めに失礼して京都に向かい、和子夫人を囲んで、懐かしい面々と昔話に花を咲かせた。

彼との思い出も数え切れないほどあるが、とにかく茶目っ気たっぷりの大人のやんちゃ坊主といった感じで、放っておけない危なっかしさが愛おしかった。札幌でJCAのイベントがあったときのことである。一緒に行くことになり、彼がトワイライトエクスプレスの先頭車両のチケットを手配していた。彼が大阪から乗り、私が新潟の長岡から乗り込んだのだが、そのときもう既に、酒の酔いなのか車酔いなのかヘロヘロの状態だった。私が乗車してからでも10数時間はかかったのだから、彼は20時間以上乗車しなければならなかったはずだ。にもかかわらず、日本海の夕陽を見ながら揺れる電車でグラスを重ねたため、乗車時間の3分の2の時間をグロッキー状態で過ごすことになり、札幌に着くなりいきなり吐いて、会期中とうとう一度も会場に現れなかった。当時、彼の到着を心待ちにしていた江崎器械の先代、江崎健三氏(故人)は、ぶちぶち言うのがクセだったが、その矛先が私に向かったことは言うまでもない。「俺のせいじゃないからね」といまさら言ったところで、もう聞こえないか?


そしてファイナルが、11月の「今ここ」である。これを企画し実行できたことが、今回のイベントラリーを「やって良かった」と言い切れるものにしてくれた。当初、5年前の20周年のときと同様、2日間のフェスティバル仕立てにしようと考えたが、それに向かっていろいろ周りの人たちに話を聞いてみると、どうも5年前の盛り上がりがないのである。ならばと、当初からお願いしていたプラユキ師、彼を紹介してくれた榊原直樹氏、そしてどんなイベントにするにしても、必ずご登場いただこうと思っていた中川貴雄氏の3人で、技術や知識だけではない、治療を生業とする人の意識を語ってもらうことにした。

中川、榊原の両氏は、私が今最も会話することの多いお2人である。2人とのエピソードを紹介するまでもなく、プラユキ師を交えた3人でこのイベントを開催できたことは、私なりの節目を十分に意義のあるものにしてくれた。9月の小倉、川人両氏のイベント同様、良いものは決して一過性で終わらせてはいけない。機会があればまた、プラユキ師を招き、中川氏、榊原氏、さらなる賛同者を募り、「絶対同様のイベントを開いてやるぞぉー」、これが今の偽らざる心境である。

facebook公式ページへのリンク

長期連載中の記事

過去の連載記事