外苑前カイロプラクティック院長 河野豊藏氏 インタビュー | カイロジャーナル

  外苑前カイロプラクティック院長 河野豊藏氏 インタビュー

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外苑前カイロプラクティック院長 河野豊藏氏 インタビュー

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カイロジャーナル82号 (2015.2.23発行)より

子息はプロボクシング世界チャンプ 公平選手
外苑前カイロプラクティック院長
河野豊藏氏 インタビュー

昨年12月31日、大田区総合体育館で行われたWBA世界スーパーフライ級タイトルマッチで初防衛を果たした河野公平選手の父親は、カイロプラクターの河野豊蔵氏。デビュー以来、プライベートコーチとして独自の方法で公平選手を支えてきた。そのユニークな取り組みとカイロプラクティックの臨床についてお伺いした。

プロフィール

河野豊藏

外苑前カイロプラクティックセンター院長(東京都港区)。1949年、山梨県南アルプス市生まれ。東京カイロプラクティック研究所(港区)に1972年に弟子入りし、故・竹谷内米雄氏に師事する。85年に現在の治療院を開業。RMIT大学カイロ標準化コース(CSC)修了第一期生。柔道整復師、鍼灸師、選択理論(ウイリアム・グラッサーの開発したカウンセリング手法)心理士。プロボクサーの河野公平の父で、プライベートコーチ&トレーナーとして公平選手を支えている。


河野豊藏


河野公平

WBA世界スーパーフライ級・現王者。ワタナベボクシングジム(東京都品川区)所属。
2000年にプロデビュー。07年に日本スーパーフライ級王座、OPBF東洋太平洋スーパーフライ級王座獲得。2012年にWBA世界スーパーフライ級王座獲得、13年に陥落するも14年3月に奪回し、12月に初防衛戦を制した。

公平選手のサポート

ーー公平選手の初防衛おめでとうございます。河野先生は、家族としてカイロプラクターとして、公平選手にどのようなサポートをされてきたのですか。

カイロプラクターとして選手にとってプラスになったことは、第一には脊柱のバランスを整えたことで体幹と重心線が安定し、パンチ力が強くなっていったことです。 第二は、練習(スパーリング)や試合後に起こる様々なダメージのケアーや、選手生命が続行出来ない程の致命的なケースでも、MRIを基に完全復帰の支援が出来たことでしょうか。

明日20歳(成人)という前夜にプロとして産声を上げました。それまでボクシングしていることは全く知らなくて困惑の中、ルールもよく分からないままデビュー戦を観戦しました。初陣は一方的な判定負け。半数の若者がこの時点で辞めるそうです。でも彼は、基本的には負けず嫌い、私が思った以上にストイックでした。

しかもレッキとした大人にうざい説教は逆効果。そこで課題や弱点を自らの気づきを促させるため、居間にビデオを設置。私はボクシングは全くの素人です。ですが、構え姿勢が悪いとか、つっこみ過ぎるとか、動線や重心線に関してはよく分かる立場。アジャスト時のドクターズポジションと同じで、足腰の安定が基本。そんな観点から介入し、当初の1年間は毎朝練習に付き合いました。当然のごとく初めは全く信用されませんでしたが、私が関与してから8連勝し、彼の意識は明らかに変わっていきました。20歳過ぎてからの介入支援なので、「お互いの良好な距離」の維持と確保も重要なポイントと考えていました。その点も試行錯誤の手探り状態、暗中模索の日々を重ねていました。

ーー目標に向かって協力を惜しまなかったのですね。

私が関与したのは勝つためではなく、怪我をさせないためです。無事にリンクを下りてきてくれ、という気持ち からです。辞めさせるにはどうすればよいのか。思案の結論は、 身体をはり トコトン付き合えば「グローブを置く決断」を告げる権利が発生する、と思えたからです。そうしたら連勝し一気に東日本新人王に。パンチ力もセンスもない遅咲きな下手な選手とは、取り組み如何では伸びしろが大きい、 という ことを逆に気づかされました。継続できること、練習に対する真摯さ、体重の自己管理ができる といった個人的素質は、ある意味では才能と言って良いかも知れませんね (笑)。

本当に最初はなんでこんな危険で破壊的な殴り合いに魅せられたのだろうう、と思うと職業柄でも大きなショックでした。今はもちろんルールのある競技で、真面目な若者が沢山いることも分かっています。ボクシングは、単なる殴り合いのイメージから、いかに相手の得意なパンチをくぐり抜けて自分の必殺パンチを適打するか、自分がどうしたら優位な流れを握れるのかなどのスキルとともに相手との心理的駆け引きも多く 奥深い競技であることに興味が移っていきました。人間の闘争心というのは 本能的にあるわけですから、好き嫌いは別にして世界的に支持されてきただけの魅力ある競技へと理解が進んでいきました。


対戦相手の試合ビデオを見て作った分析ノート

ーー先生は臨床で心理面のサポートのため選択理論(カウンセリングの手法)を取り入れているそうですが、公平選手のサポートにも応用しているのでしょうか。

選択理論から学んだことは、学ぶ場からはまず恐れや強制を排すること。脅迫的な脅しや、相手が嫌がることを続けるとどうなるか、ということです。そんなことをしていれば一時的には思い通りになったとしても、長期的にはその質的劣化から「心の距離」が離れ、親子の関係性が崩れる。練習そのものが成り立たなくなり、やがて家族崩壊へのカウントダウンの始まりとなります。しかしそこに陥ることが15年目を迎えても回避されたのは、この心理学の採用で関わりの目的が鮮明で練習毎に新鮮さが保たれていたからでしょう。

選択理論では、悩み(問題行動)があるのは、過去や他人では無く、今が不幸でそれを自らが選んでいるから。と私はその様に解釈しています。

つまり、自分の今が満たされていたのなら、過去や他人のせいにする根拠はなくなり、夢実現への新たなエネルギーに変わる確率は増すでしょう。自分と今に焦点を合わせます。その時満たすべきものを「基本的欲求」とし、心理的には、4つのみです。その強弱は人によって違いますし、重なり合ったり一つの欲求が突出していることもあります。何が行動を発現させているのかを見極めることが大切となります。ボクサーだったら、自分流のやり方で勝ちたい。力と自由を求める欲求が強く、練習で上手くなることは楽しみを満たし自己高揚感につながります。

世の中に一般的に普及している考え方は、この反対の「外的コントロール」です。「相手は間違っている、自分は正しい」と信じて外側からの動機付けで、つい強制やガミガミで他人をコントロールしようとします。しかし実際のところ人は自分のイメージが先ず有り、それなりの自分の動機があって動きだすのです。他人は変えられません。相手が自発的なより理想に叶った行動が行なえるような情報提供とその言い方が、私に課せられた課題となります。

カウンセリングは、親子関係では通常求められていませんので、精神的なアドバイスは意識しては行いません。「どうなりたいの?」「強くなりたいに決まってるじゃないか」「今やっていることがそれにつながると思う? お父さんはこ う思うよ」というような感じで、自分が出す情報を簡潔に咀嚼して提供することを心掛けていました。

ーー具体的にはどんなことをされたのですか。

自分がセコンドライセンスを取るという方法もありましたが、その場はすでに成人した息子の聖なる職域。私は素人としてプライベートの裏方に徹する方向に決心しました。選手と一緒の立ち位置・目線に徹する必要から、素人が高い目線に陥ることを慎むため、当初の1年間は専門書を一切読みませんでした。

まず家に自作でサンドバックが設置できる様に居間を改造。ジムのバックは硬すぎるというので、怪我のリスクを無くす改良を重ね、拳を痛めないように工夫を施し思い切り打てるものに落ち着く。私はDIYが趣味なのでこういうのは全然苦になりません。

最初のころは私自身が厚く改造したプロテクターを付けて全力で打たせていました。今はパワーアップした選手。我が身が保たないので、彼の兄がその役を買ってくれています。

あとは対戦相手の試合ビデオで見て徹底分析すること。私の教科書(指南書)とは自分でつくったこの分析ノートです(写真)。1ラウンドを解析するのに6時間はかかりました。それを全ラウンド行うので相手選手の動きやイメージ、考え方は全て頭入るのは当たり前。こんなクレイジーな時間をかけることは、酔狂だからできる、と自分を納得させています。このノートを見直すたびに、相手の作戦は自然と天から降りてくる感じでした。

昨年末の対戦相手ヒメネス選手の場合は、スタンスが広くリーチも長い、スウェイバックしてのカウンターが得意。ジャッジや観衆を味方にさせる派手で見栄えがよいコンビネーション、自分が不利になると被弾の流れを遮るクリンチワークも巧み。まさに勝ち方を心得た総合力のある曲者選手でした。全ラウンドのポイントを取り、チャンス到来では一気にフィニッシュ・ブローの作戦に出てくるのは目に見えていました。非力な公平が相手を封じ込めるには、相手の得意なこと以上の武器をその都度開発し流れを渡さないことに尽きます。

「じゃあ具体的にどうする? 勝つために何が必要なのか?」というテーマをいつも特訓の際に明確にし一緒に考えていました。本人自身が相手に特化した戦術を納得して身体に染みこませる過程は、息子が自身の進化を信じられる貴重な時間となり、心身を追い詰めた特訓も、楽しい時間に変わります。特にこの時間の共有は意識的に重要視していました。

ーー選択理論を教えるのではなく、先生ご自身が選択理論を実践するということでしょうか。

そうです。私が何をどうするのか、どこまでやるのかは私自身の問題なのです。他人をどうしようとと操作するのではありません。指導する側が率先垂範して自分を変える。その質と量の総量が結果として選手に抵抗なく伝わるのです。

それから、選手が気づいたらサンドバックが直っているとか、ちょっと思いついた時は、すぐにバックをセットして居間がジムに早変わりするなど、ハードとソフトの両環境面もバランスよく整えることで応援している姿勢を非言語でも伝える。こうしたちょっとした配慮こそが 厳しい特訓を楽しさに変える支えとしては大切なことでしょう。

カイロオフィスの受付事務をされている奥さまにも聞いてみました。

ーープロボクサーになることはお母さまにとっても“寝耳に水”だったんですか。

明日プロテストと言われて、「あっそうなの」と送り出しました。やっていることを知らなかっただけでなく、ボクシング自体全く自分の世界になかったものでした。公平は学生のとき、野球と陸上をやっていて、そこまではわかるんですけど、ボクシングは本当に何も知らないので、人気ボクシング漫画『はじめの一歩』を購入し今もずっと読んでいますけど、それで知った世界です。

ーーお母さまは公平選手をどんなふうにサポートされているのですか。

ともかく試合のみに集中させてあげたいので、特に試合直前の突発的な出来ごとやチケットや席等のことで本人の負担にならないよう、できる周辺事務を可能な範囲でサポートするのが母親なりの役割だと思っています。今は一緒に住んでいないのですが、減量がピークを迎える頃は五感が過敏になりイライラ等も想像を絶し、孤独な辛さとの闘いです。そんな時は 雰囲気から察して、話し かけたり 近づかないようにして そっと見守っています。

練習のときには、大量の汗をかきますから 好みの飲み物を用意したり、フロアーの汗を拭き取るなど、転倒や怪我防止にも気を配っています。
食事も基本は本人が自分でやっているのでまかせていますが、減量などもすべて気は抜かない配慮はしています。

ーーところで息子さんのボクシングの試合を見るのは怖くありませんか?

目を閉じるという人もいますけど、私はマネージャー的なことに徹せられるタイプです。実際の会場では、数百人のファンの方々との挨拶や雑務に追われ じっくりと見ている暇もありませんが、試合 時は意外と冷静に見ています。その時は、息子と言うより、一人のボクサーとして彼を見ていると思います。

試合前日が計量日なので、先ずそこを安全にクリアさせるのが第1。そこまで来ればまず「半分終わった」と感じます。当日も、練習でのベストを出させるように士気(モチベーション)を最高点に維持できるように リングに送り 出すこと。そこまでが家族のサポートだと思っています。彼は本番であがったり、動揺したりしないタイプなんですが、リング上で本人が一番ノリやすいピーク状態に整え持っていける様にと 家族一同が常に思っていま す。

試合ができることに関しては感謝しかありません。自分が望んでもできるものではないし、相手を選べるものでもありません。日本のタイトルぐらいまでは、ジムの意向で決まる面もありますが、世界戦になると、業界、ジムはもちろん、TV局 マスコミ スポンサーなども含め 多くの方々の総力でようやく興業として成り立つことができるからです。

練習しているところを身近でこれまで全部見てきて、あれだけの努力をし、自分の決めたことをきちんとできる子もいないんじゃないかと思っています。強い意志と、継続できることがここまで登って来られた真の理由かなと思っています。

カイロの履歴

ーー先生は、竹谷内米雄先生のオフィスに弟子入りしてカイロを学ばれた、いわゆる「たたき上げ」のカイロプラクターですが、当時の印象に残っているエピソードをお話しいただけますか。

米雄先生は、とにかく度量がすごく大きな人物です。一番の思い出は先生の逆鱗に触れた時のことです。患者さんの女性が着替えているところにうっかり入ってしまい、普段温和で寡黙な先生から烈火の如く叱責されました。それは当然のことなのですが、その後の対応が印象深く、この人なら付いていこうと感じ入った次第です。落ち込んでいた直後には決まって「ちょっと空いているか」と言って飲食に連れて出して頂くのが常でした。軍隊でいろいろな土地の人と接した経験を踏まえ、私の出身の山梨県人の特性について「地道だけど目標をコツコツやり遂げる人が多い」と先生なりの解釈で話して頂きました。心の機微に実に繊細で的確な対応。心から心酔できた初めての人でした。

カイロはもちろんのこと、あのオフィスで学んだいろいろなことが自分のベースになっています。言うべきことはしっかり伝えるが、言い方には気を付ける、タイミングを考える、フォローも忘れないなども米雄先生から教わりました。でも、その半分もできてはいません(苦笑)。

ーー弟子入りはどなたかの紹介ですか。

全く情報なしの押しかけ直談判です。高校3年のときに父が亡くなり、弟、妹もいたので進学はあきらめました。二人がそれぞれ大学進学と就職が決まった後、このまま埋もれたくないというような気持ちで上京し電話帳で探して直行した所が東京カイロプラクティック研究所でした。その時はJCAの会長だとか全く知りませんでした。

当時の受付はトイレ掃除からはじまって、カイロの理論は後で自分で覚えろという感じの実践主義。そういう学び方の最後の一人かもしれません。昭和47年から13年間お世話になりました。その間に、鍼灸、あんまマッサージ指圧、柔道整復、それから教員資格も取ったから、向上心みたいなものはあったのでしょうね。

自分にとって米雄先生はやはり父親像でも原点です。今でも米雄先生(一愿先生)のお墓参りにはそっと行っています。おこがましいけど、自分にとっては温故知新と癒しを感じられる神聖なスポットです。

ーーその後、外苑前のこのオフィスを開業されたのですか。

リニューアルした東京カイロの皆さんのご厚意に支えられました。ここは、患者さんが探して来てくれた場所で、東京タワーがよく見えたので即決したんです。タワーは郷里の内藤多仲博士が設計されていて思い入れがあるんです。昭和60年にオープンしました。

オフィスでの治療一般

ーー先生のオフィスでは、どのような患者さんが多いのですか。やはりスポーツ選手でしょうか。

スポーツ選手は所属先やトレーナーなどとの契約関係もあるので、それほどではありません。個人的に来られる人もいますが、芸能関係者などのご紹介が多いです。

症状の裏には心理的なフラストレーションや人間関係のストレスが隠れていることが多く、心と身体は分離できず、身体症状として表出するという概念で行っていますので、心理的な面の解決を求めてくる一般の方も多いです。地域の繁盛店になりたいというより、私を必要として、遠方からでも通ってくれるオフィスを目指していました。

ーーカイロその他の手技はどんな方法を使っていますか。

カイロは竹谷内米雄先生のところに弟子入りしていたときに習ったことにJCA(CSC)で学んだことがベースとなり、さらに整形外科医の宏明院長からの示唆も大いに生かされています。
基本はディバーシファイドです。手術をしたくないヘルニアで入院中の方の場合はレントゲンやMRIをご持参してもらい慎重に行います。
必要なら専門医に行ってもらうというオーソドックスな方法も当然とります。第一期の神経学の300時間コースを修了し、神経学の検査は基本的診断に取り入れています。

五十肩・脱臼の後遺症や腱鞘炎など、軟部組織の問題のときは、鍼をひびかせながら動かしてもらうという方法を使うことや静的動的ストレッチも必要に応じ使っています。

しかし、心理的ストレスが原因ということも少なくありません。首が突然痛くなってなかなか治まらなかったのが、両親に対する思い込みの解釈が変わることで劇的に改善したケースなども多々ありました。こういうことも決してめずらしくありません。数年前に腰痛の85%は心理的な問題とNHKの番組で公表していましたが、これは本当だと思います。

ーー心理的な原因がある場合は、選択理論を利用するのですか。

特に慢性的な方は、予約時に訴えをよく聞くようにしています。アジャストと併用し、話を深めていくことも多いです。ハピネスがキーワード。腰痛がなくなったらハッピーになれるんですよね、あなたがハッピーになれるよう総合的なお手伝いします、という声かけをしているうちに問題の真相が明確になって、根本的な解決に繋がっていくことができるんです。そうすると再発を繰り返していた多種多様な腰痛などから完全に解放されるということも起こります。

ーー選択理論に出会ったきっかけは何だったんですか。

開業当初にひどいぎっくり腰で半年間「くの字形」に固定し苦痛に悩まされ身長が4センチも短くなったと、来院されたご紹介の患者さんからです。とても紳士的で教員資格を持つ職人さんでした。構造的に腰椎の(後ワン)に起因していました。日常生活に全く支障が無くなった今も定期管理のケアーを怠っていません。その人に職種の変更を薦めていていたら、その一環で選択理論を勉強し「先生、おもしろいものがあるんだ」と話され興味を持ちました。本格的に学び始めたのは1996年からです。

ーー学ぶことはできても、臨床の場に選択理論を治療の道具として取り入れるのは相当難しくはないですか。

確かに理論を人に教えられるのと、実践できるのとは違うと思います。知っているだけなのかどうかは、人は簡単に見抜きます。理論を知っている分だけ、その理屈で相手を攻めるみたいになり易い。自分が実践できなければダメだという葛藤が最初の頃は相当ありました。正確に言いますと、今も進行形という人生を通してのテーマなのでしょうか(笑)。当然筋骨格しか興味のない人には行いません。メンタルヘルスは、必要で希望する方のオプションとなっています。

私の場合、息子との難しい親子関係で、親でかつトレーナーという関係を選択理論をベースに絶対にやり遂げる。それを自分自身に誓った。その道中でも感じ、やがて、息子が結果を出す度に、第三者や団体からの評価を得てこの心理学の凄さを体感し自信につながったとも思います。

カイロ業界に対する意見

ーー最近のカイロ業界をどのように見ていますか。

我々のころは正しい業界をつくっていこうという共通認識が高く勢いがあって熱かった。ですけど、それに比べると今は「さめているのかな―」 と思います。カイロは大学教育になって相応の出 資をし、類似業者の供給過多の中、それに対する対価が業界の強化だけではなくなっている多様化時代であることも確か。それは、しょうがないかな、と思います。差別化やマネージメントも大切でしょうが、「患者さんやそのご家族が本当に幸せになって欲しい」との、古くて新しい原点復帰が、業界の真の求心力にもなるかと思います。

ーー2020年の東京オリンピックに対しては何かビジョンをお持ちですか。

基本的にJACは、オリンピックに関わってサポートしたいという路線で、社会一般にWHOがらみで認知して頂く好機となるでしょう。一歩進んで私は試合前・中・後のケアと同時に、自分がアスリートを育てていくとか、育てたいような人と一緒になってチームを組むことに興味をもって欲しいと思います。業界が何かのイベントに向かって協力するとともに、これまでの経験からも、本当に情熱を持ってアスリートを育てることに関わって欲しいと願っています。

最初は机上であってもスポーツ心理学をベースに、選手個人や競技に特化した応用編が求められ、そこには創意工夫の無限の可能性が広がるでしょう。

ーー最後に今後の展望があればお聞かせください。

今まで失敗だらけで試行錯誤の連続を孤軍奮闘してきましたが、その集大成として、実力もセンスもなかった遅咲きデビューの息子が、世界の頂きに2度も登り詰め、念願の初防衛戦の夢を叶えるまで付き合わせてもらった。これを機に、ボクシングで具現化したことに留まらず、臨床治療面での慢性化したメンタルヘルスの症状を根本的に紐解くエッセンスも、この機会に何かにまとめ残したい、との夢を持つ様に至っています。そうしないと我々の仕事は形にも残りませんし継承者への寄与にもなれず埋もれます。

私は、カイロ治療と心理学理論の応用編として未踏な実践的な取り組みから根本治療に挑戦してきました。これまで個人でやってきて、それなりに奇跡的な改善事例もあります。
将来同様な意志や興味を持たれる方々、そんな有能な若者を育てるということをチームやグループでタッグを組んでやっていけたならうれしいなとも思っています。が そんな展開の前に、臨床に役立つ具体的 なエッセンスをまとめることを自分に課してみたいと自問自答している昨今であります。

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