プラユキ・ナラテボー師 仏教を基盤に精神的にも物質的にも豊かに 上 | カイロジャーナル

  プラユキ・ナラテボー師  仏教を基盤に精神的にも物質的にも豊かに 上

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<第16回>プラユキ・ナラテボー師 仏教を基盤に精神的にも物質的にも豊かに 上

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カイロジャーナル80号 (2014.06.22発行)より

本誌25周年記念インタビュー

    

本紙「スポーツ・カイロ」の連載や同シリーズ・セミナーでお馴染みの榊原直樹氏とは、東京ではもちろんのこと、札幌や福岡でのセミナーの前後に温泉を楽しんだり、プライベートでジョッキを傾ける機会が最も多いカイロプラクターの一人である。その彼が最近出会い、一瞬にして魅入られてしまった人がいる。タイの僧侶、プラユキ・ナラテボー師である。榊原氏は「彼の話をなんとかできるだけ多くの人に聞かせたい」と熱く語っていた。私は本紙創刊25周年の記念イベントをどう企画するか思案中だったので、「いっちょう、師を呼びますか!」と言ったら、榊原氏は即座に「それ、できますか?」と目を輝かせてきた。企画は夜つくられる、が私のモットーである。ならば本紙面で師を紹介するとともに、25周年記念イベントも予告しちゃいましょう、となり、急きょ榊原氏が師を治療し、その後にインタビューという段取りがセットされた。

治療が終わりインタビュー(実際は対談)となったが、興味深い話に横にいた私もついつい引き込まれ、30分の予定があっという間に1時間を超え、当然1面分にまとめようとしていた原稿は、2面分でも収まらない量になってしまった。そこで今号と次号の2回に分け掲載することにし、今号では、師がどういう考えのもとに仏道を実践しているのかという辺りを、次号では、師が大事にしている「今ここ」「ライブ」と、オープンハートのための五つのポイントなどを紹介する。読みどころ満載である。私もちょこちょこ口を挟んでしまうほど、この業界にもあてはまる話ばかりだった。次号を読むときは、ぜひもう一度今号の記事を読んでからにしていただきたい。年末にはぜひ一人でも多くの人と師の話を聞きたいものである。

【科学新聞社社長 斎藤信次】


プラユキ・ナラテボー師
プラユキ・ナラテボー師

●プロフィール
本名:坂本秀幸
1962年、埼玉県生まれ。タイ・スカトー寺副住職。上智大学在学中よりボランティアやNGO活動に深く関わる。卒業後、タイのチュラロンコン大学大学院に留学。研究テーマは農村開発におけるタイ僧侶の役割。1988年、瞑想指導者として有名なルアンポー・カムキアン師のもとで出家。以後、村人のために物心両面の幸せを目指す開発僧として活動する一方、日本とタイを結ぶ架け橋としても活躍。また、在日タイ人の支援活動にも携わっている。またブッダの教えをベースにした心理療法的アプローチにも取り組み、医師や看護師、理学療養士など医療従事者のためのリトリート(瞑想合宿)がスカトー寺で定期的に開催されている。近年は、心や身体に問題を抱えた人や、自己を見つめたいとスカトー寺を訪れる日本人も増え、ブッダの教えをもとにしたサポートを行っている。また日本にも毎年招かれ、各地の大学や寺院、朝日カルチャーセンターでの講演、有志による瞑想会まで、盛況のうちに開催されている。著書に「苦しまなくて、いいんだよ」(PHP研究所)ほかがある。


【聞き手】榊原直樹

榊原 最初にタイへ行かれたのはどういうきっかけだったんでしょうか?
師 最初は体験ツアーのような形でタイへ行きました。それで、日本とは違ったガスも水道も電気もない村でホームステイ体験することができたのです。そのような体験を通して人生観が一端リセットされ、本当の幸せを求めたいと思うようになりました。どういうことかと言いますと、タイの農村部の生活は一見すると貧困な生活に見えるのですが、村人たちは自然の中で助け合い、とても心豊かに過ごしていました。そこで、「ああ、こういう生活もいいなあ」と思うようになりました。それと同時にタイの仏教にも触れたわけです。タイのお寺が役割をしっかり果たしていていることを知りました。その中には開発僧と言われる僧侶がいて、お葬式やお墓を守ったりという亡くなった方たちのためだけではなく、生きている人たちの悩み苦しみに真摯に向き合い、現実的な社会問題にも取り組んでいく、そういったタイ仏教のあり方に非常に感銘を受けたのです。それでスタディツアーを終えて日本に帰国後、もう少し理解を深めたいと思いNGO活動をすることにしました。
榊原 それはまだ大学生の頃ですか?
師 はい、そうです。まだ在学中でした。帰国してすぐに大学を休学して、またタイへ6カ月間ほど行き、現地調査の仕事をしていました。
榊原 それはどのような調査だったのですか?
師 日本からタイへのスタディツアーを主催して、日本人、タイ人双方にどのような成果が得られるかということや、タイの地方ではどのようなものが求められているのかということ、つまり開発のニーズを調査していました。大きな開発援助は政府レベルで行われていますが、NGOでは村人たちのニーズを調べるというのが主な仕事でした。
榊原 先ほど開発僧という言葉が出ましたが、実際に現地でどのような役割を果たしているのでしょうか?
師 お坊さんというのは、基本的には在家の人たちとは生活スタイルが異なっています。戒律がありますので、村人と同じようには生活できないわけです。しかし、頭蛇修行などで地方へ行ったりして見聞を広めていますので、そういった知識を活用して村人たちを指導します。そのときの指導が仏教的な思想に基づいた開発なわけです。開発と言うと、経済的な豊かさを求めるものというイメージがありますが、もっと根本的な幸せを得てもらえるように指導していきます。そのためには仏教的な思想を基盤に据えることが大事なわけです。
榊原 それは、より精神的な部分について指導するということですか?
師 はい、もちろん精神的な開発は重要です。ただ、貧困の解消など経済的な部分も大切なので、それを方便として活用し、最終的に精神的な幸せの実現へとつなげていきます。例えば、協同組合を設立運営するとしますね。組合活動を通して布施心や他者への思いやりを育んでいくようにします。つまり「これはただのお金儲けじゃないよ」、「皆が力を合わせて協力し合いながら豊かになっていくんだよ」と指導します。農業支援でも、収益を上げることだけを目指さずに、化学肥料や除草剤などを用いずに自然の生き物たちとも共存していける自然農法を教えます。例えば、虫に食われた葉っぱがあっても、「虫へのお布施だよ」というように、どんどん仏教的な考えを盛り込み、村人の心に浸透させていくわけですね。
榊原 日々の生活を通して仏道を実践している感じですね。
師 まさにその通りです。ただ頭で考える仏教でもないし、結果が出ない仏教でもない。生きた仏教を取り戻していくのです。もちろん心にもアプローチしていきますが、物質的な豊かさもちゃんと成り立たせながら、仏教的な考えや生き方を培っていければ、物質的にも精神的にも豊かになっていけますからね。
榊原 葉っぱが虫に食われたら日本では売り物にならない。だから虫を敵対視するようになりますね。
師 そう、それでイライラ、ムカムカと怒りに苛まれ結局自分が苦しむことになります。ですから、根本的にそのようなモノの見方を変え、虫も痛い目に遭わずに済み、自分の心も善なる心で満たされ幸せに生きられるように仕向けていくのです。
榊原 今お話しいただいたことは、日本においても仕事を通じて実践できますね。
師 その通りです。
榊原 カイロプラクティックの仕事でも同じことが言える?
師 はい。仕事に心というものを盛り込んでいけたら、カイロプラクティックで患者さんを施術することが、そっくりそのまま心を豊かにしていく場となり機会となっていきます。
榊原 例えば、苦手な患者さんが来られたときに、どうしても心をポジティブな状態に保ってその方と向き合えなくなります。そして、苦手な患者さんが来ると思うだけで、それがストレスになってしまったりするんです。
師 今、タイでは瞑想に関心を持つ人が非常に増えています。お坊さんに布施をすれば、それによって徳を得て幸せになれる、というタンブン思想というものがかつては主流でしたが、最近は在家の人たちがお寺に来て心を整えていくという流れが出てきています。
榊原直樹
プラユキ・ナラテボー師
榊原 瞑想によって実践するということですね。
師 はい。特に私のお寺で増えているのが医療従事者の方たちです。最近は瞑想の効果も知られてきて、ストレスフルな職場で仕事をする医療者が瞑想に関心を持ってきています。心を整えることにより、仕事で感じるストレスを軽減化し、無駄に苦しまないようになれるからです。それから、身体の治療に来られた患者さんにプラスαを持ち帰ってもらう。すなわち、自ら体験した心安らいで生きていくコツを、患者さんにもお伝えできるようになるわけです。
榊原 なるほど。
師 身体の不調を訴えてやってくる患者さんの治療をするのは医療者の務めですが、それにプラスα、心のケアを提供できたらさらにいいですよね。そんな考え方を持つ医療従事者の方々が実際に増えてきており、私のお寺ではそういったニーズに応えられる教えを説き、瞑想の指導もしています。相手の心を受け止め、また自分の心も受け止められるコツを身につければ、人間関係がスムーズになり、周囲とも、ともに喜び合える関係を築けるようになります。そして自分の心とも対立せずに安定した心持ちでいられます。こうしたことは、誰でもがちょっとした工夫でできるようになります。
榊原 人の心を受け止めるというのは、自然にできるものではないのでしょうか?
師 できたらいいですけどね。
榊原 これは訓練が必要ということですよね。
師 そうです。訓練が必要です。例えば、良いコミュニケーションができている家庭で育ち、自然に身につけている人もいるかもしれません。しかし、そのような家庭というのは稀です。また、幼少時に身につけられなかったから、これからもできないということでもなく、適切な訓練を積めば、人の心をどんどん受け止められるようになり、人間関係もスムーズになっていきます。
榊原 先ほど医療従事者の方々が師のお寺に来られるというお話がありましたが、今お話しいただいたようなことをお寺では指導されたり、瞑想により実体験してもらったりしているのですか?
師 その通りです。もちろん中心は自分自身の心への対応になるわけです。それがしっかりとできるようになると、自然に他者との関係性の中にも反映されてくるのですね。例えば、自身の怒りに対して嫌悪感を持っていれば、怒る相手に対しても反射的に嫌悪感を抱いてしまいます。それに対して瞑想では、怒りが生じてきたらあるがままに観察していきます。すると怒りの奥には自分の願いが叶わなかったがゆえの切なさがあるということに気づきます。その気持をあるがままに受け止め理解していく。すると怒りへの増幅が止まって自身の心に安らぎが生じ、同時に、怒りを示す相手に対しても、「願いが叶わずに切ないんだね。そして怒ってしまっているんだね」と共感できるようになるわけです。
榊原 最初に自分の心との適切な対応がありきで、それができるようになると他者との人間関係に反映されてくるということですね。
師 はい、その通りです。また、外側のこともしっかりやろうね、すると内面にも反映していくよ、ということも伝えています。
榊原 両方あるということですね。
師 はい。こちらは善き意図を持って精進し、正しい行動を繰り返していくということです。例えば、掃除をしっかりと丁寧にやることによって、自分の心も丁寧に扱っていけるようになります。このように両側面から訓練していくことが大切です。それから、心を変えていくにしろ、人間関係を良くしていくにしろ繰り返しが大事ですね。今までの癖みたいなものがありますから、その癖が出てしまい人間関係がギクシャクしたり、自己嫌悪に陥ったりします。それを訓練によって、何度も正しい方向に引き戻す。何度もやっているうちに、闇雲に苦しんだり、関係を悪化させたりすることがなくなって、次第に相手に深い共感を抱いて、自然に慈悲的な行動を取れるようになっていきます。
榊原 最近は日本人の方も師のお寺に行かれているようですが・・・
師 はい。ただ、山奥なのでそんなにたくさん来られるというわけではありませんが、ぼちぼちいらっしゃいます。
榊原 タイ人の方たちの悩みに比べ、日本人が抱えている悩みの特徴のようなものはありますか? 日本のような先進国で生活することによって起こってくるメンタルへの影響を個人的に感じています。また実際に自殺率も高い傾向があります。そういうことからも、日本人独特のメンタルの問題があるのではないかと考えました。
師 タイ人が日本人を評するときに、「クリアットだよね」と言うんですよ。クリアットっていうのは、「考え込み過ぎ」とか「深刻になり過ぎ」という意味です。タイ人は南国気質で、おおらかな人が多いんです。それでクリアットの対義語みたいな言葉に、マイペンライという言葉があり、こちらは「気にしない」という意味です。タイ人はマイペンライ気質があり、水に流してしまうのが得意ですが、それに対して日本人はすぐに拘ってしまう。それから、先進国の人たちはデスクワークの機会が増え、思考の方がすごくパワーアップしていますよね。タイのお寺だったら、蚊に刺されて痒いだとか水運びなどして疲れたとかのような肉体的な問題に対応していくことが多い。しかし、先進国では整った空間の中で、虫などもあまりいないし重労働も少なくなっている。そんななかで、思考が暴走しやすくなるのです。
榊原 思考が暴走する?
師 そうですね。核家族化も進んでいますから、一人で閉じこもっていくらでも考え事ができます。肉体的な痛みとかに頓着する必要がないし、外にはいろいろな情報も溢れている。そういう状況の中、思考が勝手に暴走しても、それをコントロールする技術はまだ持っていないわけです。まるでいきなり普通の乗用車からスポーツカーを与えられて、コントロールできずに事故を起こしてしまうかのようなものです。私のお寺に来られる日本人の中に「地に足がついていないような感じだ」とか、「自分をコントロールできない」などの感覚を訴えてくる人が少なくありません。このような方たちは具体物に触れずに思考が暴走してしまい、妄想の世界の方に臨場感を感じてしまっています。そして、自らの思考で紡いだ恐ろしい物語に圧倒されて心を病み、なかには自殺企図を持つような人も多くなってきているわけです。以前なら社会全体や家族のなかで作りあげる「大きな物語」がありましたが、個の時代になって、そういった物語も描かれなくなり、タガがなくなってきていますから、妄想の世界に入り込んで心が暴走しやすくなっているのです。
榊原 そのような傾向の方はタイ人には少ないということですか?
師 タイでも都会ではそのような問題は出てきていますが、農村部では少ないですね。自殺率で言えば、日本と比較してタイは1/4程度ですからね。もちろん、タイでは交通事故はたくさんあるのですが、逆に日本の場合は「心の交通事故」が増えてきているのではないでしょうか。
榊原 すると、このような資本主義のシステムが発展すると、よりそのような傾向の人が増えてくるということでしょうか?
師 それは、私たち次第だと思います。良きものが広く伝えられれば、減っていく可能性もあります。しかし、そのような知恵や技術がしっかり皆で共有されず、ただただ心が暴走するだけになってしまったら、悪い方向へ行ってしまうでしょう。ところで私自身はというと、それほど悲観していません。私や榊原さんのような人が一人ひとりできることを精一杯やっていけば、その波紋は広がり、きっと良い方向へ向かうと思っています。今のような状況は、人間や社会のさらなる進歩のための可能性を秘めているとも言えます。スポーツカーをちゃんと使いこなして事故を起こさずに運転できる技術さえ持てば、普通の乗用車に比べてより遠くまでより早く行けますよね。すなわち馬力の上がった思考という機能を最大限に活かしてより成熟した社会を作っていける可能性も持っているということです。今がその過渡期でもあるわけです。
榊原 表裏一体ですね。
師 まさにその通りですね。私たちがその機能を適切に使いこなせるかどうかに関わっています。最近も「たかが言葉、されど言葉」というタイトルの記事を書いたのですが、言葉も同様に、使いようによっては人を傷つけてしまいますし、うまく活用すれば人を救ったり、幸せに導いたりもできるわけです。まさに表裏一体、諸刃の剣なんですね。

次号に続く

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