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  カイロジャーナル73号

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カイロジャーナル73号

73号(12.2.29発行)
竹谷内一愿氏死去
本社チャリティーの収益金 日本ハビタット協会に寄付
論壇


竹谷内一愿氏死去
歴史に残る業界の重鎮本号編集の最終段階に入って、突然何を差し置いても本号でお知らせしなければならない衝撃のニュースが飛び込んできた。わが国のカイロプラクティックの歴史を語る上で、絶対に忘れてはならない業界の重鎮、竹谷内一愿(たけやち・かずよし)氏の訃報である。竹谷内一愿氏は昭和18年1月13日生まれの享年69歳、奇しくも父親、故・竹谷内米雄(よねお)氏とほぼ同年の早すぎる死となった。昭和46年にナショナル・カイロプラクティック大学(現ナショナル健康科学大学、NCHS)を卒業、DCの草分け的存在として帰国。その後、実に40年にわたってわが国のカイロ業界でその存在感を発揮し、度重なる病魔に冒されながらも、その都度それを乗り越え、常に第一線で活躍し続けた、正にカイロとともに生きてきたような人である。心からご冥福をお祈りしたい。亡くなったのは2月22日夜、葬儀は竹谷内家、RMIT大学日本校、日本カイロプラクティック総連盟(JCA)の合同葬として、通夜は25日18時から、告別式は26日10時半から、東京・港区南青山、外苑前の梅窓院で関係者が多数集まる中、しめやかに執り行われた。葬儀委員長は親族以外では最も長く付き合いのあった村上佳弘氏、喪主は奥様の竹谷内紀子(としこ)さんが勤め、告別式では40年来の盟友、名古屋・カイロプラクティック完誠堂の村松仲朗(むらまつ・つぎお)氏が別れを惜しみ弔辞を述べた。本紙では次号で故人の功績を称え、村松氏の弔辞、関係者からの寄稿やコメント、科学新聞社会長・池田冨士太の追悼文などを掲載し、故人を偲ぶつもりである。

本社チャリティーの収益金
日本ハビタット協会に寄付
地域によって異なるが、本紙が読者のお手元に届いてから一週間ほど経つと、早いもので東日本大震災から丸一年を迎えることになる。昨年、科学新聞社では5月と7月の二度にわたり震災復興支援チャリティーセミナーを行った。前号でその収益金の使い道について検討していることを書いたが、その時点である程度候補は絞られていた。まもなく話は進み、11月、異文化コミュニケーター・国連ハビタット親善大使のマリ・クリスチーヌさんが副会長を務める日本ハビタット協会(会長・中村徹)にその使い道をお任せすることにした。ハビタットとは「住まい、すみか」を表す言葉で、同協会は、都市化、災害、紛争などにより居住環境が悪化した状況を改善するため、国連ハビタットが行う世界的な活動を支援する団体の一つとして、国内の支援、協力、連携体制を強化するため2001年に設立された団体である。一昨年には認定NPO法人の資格を取得し、業務は多くのボランティアの協力を得て円滑に進められており、事務局はボランティア活動の中核としての役割を果たしている。寄付の相手先として同協会の名が挙がったのは、7月のチャリティーセミナーでトップバッター講師を務めてくれた塩川満章氏が、マリさんと古くからの知己があり、積極的に震災復興支援活動を推し進めていることを知ってからだ。金額は30万円、7月のチャリティーの収益金のすべてである。これに対し、同協会からはチャリティーセミナーの講師4人(塩川氏、小倉毅氏、栗原修氏、中川貴雄氏=講演順)と科学新聞社に感謝状が届けられ、マリさんからは「昨年中は大変お世話になり、ありがとうございました。東日本大震災、豪雨災害、とても厳しい年となりました。その中で、人と人との絆、そしてお互い様の気持ちを改めて気づかされることも多くございました。復興までにはまだまだ時間がかかるかと思いますし、震災はまたいつどこで起こるかわかりません。日頃の備えを忘れず、そしてお互い様の気持ちを胸にとめ、活動をしていきたいと思います」とメールをいただき、ホームページ上の会長の新年の挨拶の中でも「昨年は東日本大震災被災者支援に多大なご協力をくださり、深く御礼申し上げます。本協会は総力を挙げて支援活動を行いました。新年も積極的支援を続ける予定です」と支援活動の継続を宣言している。今年も機会があればチャリティーイベントを企画し、同協会を通し震災復興に役立てられたらと思っている。
2-1本社チャリティーの収益金 日本ハビタット協会に寄付


論壇
カイロプラクティック5つの時代変遷
現在は“機会の時代”カイロの歴史を興味深い視点から議論した論文が先頃発表された。オーストラリア・マードック大学で教えるキース・シンプソンDCが書いた「カイロプラクティックの5つの時代とその将来-関与観察者の視点から」と題するもので、カイロの歴史をアメリカのみならず、オーストラリアや世界のカイロ史も組み込んで時代区分し、それぞれの特徴を論じている。シンプソンDCの唱える5つの時代を紹介し、今後の展望を考える。シンプソン氏の5つの時代区分(1)医療の無規制時代(1860~1900年)
誰でも自由に医療行為ができた時代。医業に対する規制が何もなかったため、種々の療法が存在していた。そんな中で1895年にカイロが“発見”された。(2)訴追時代(1900~1950年)
カイロプラクティックを業とすることが逮捕につながった時代。免許なしに医業を行ったとして1902年、DDパーマーが起訴されたのを皮切りに、その後1万5千人以上のカイロプラクターが訴追された。カイロ側は「カイロは医学とは異なる」という理論武装で裁判に挑み、その多くが認められた。カイロ哲学はこの時代に、医学とカイロの違いを強調する形で構築されていった。(3)迫害時代(1920~2000年)
医師と医師会によるカイロプラクティック撲滅の動きが続いた時代。1962年からアメリカ医師会の中に「インチキ療法委員会」ができ、カイロ迫害が行われていた。この流れは1987年にカイロプラクティック側が裁判で勝訴、公的には終結した。(4)合法の時代(1960年から現在)
政府機関によりカイロの調査研究が行われ、カイロ教育に公的資金が投入され、カイロの法制度が整った時代。このような時代になり、カイロ界は団結し、科学的、合理的な方法で専門職の地位を確立してしかるべきだが、期待通りに事は進んでいない。民間の世論調査でもカイロの専門職としての信頼度は低い。(5)機会の時代(2000年から現在)
筋骨格系の問題(MSD)は痛みと障害の主要原因であり、MSDが医療費に占める割合も大きい。この傾向は高齢化社会が進むとさらに顕著になるだろう。このような状況でカイロは健康ケアの提供者として確固とした地位が得られるはずだが、カイロが科学を礎としない現状ではそうはならないだろう。将来の発展への道(4)(5)については、内容説明よりも現状批判が目立つ。日本人にとってはカイロ先進国での将来の機会、可能性について具体的に踏み込んだ意見を知りたいが、著者にとっては自明の理のようだ。将来の可能性のある道として、(1)現状を維持する(2)証拠に基づいた(EBM)カイロで一致団結した専門職となる(3)EBMカイロとサブラクセーションに基づいたカイロの2つに明確に分ける、の3つの選択を挙げる。著者の提案はもちろん(2)である。(1)のままでは主流医療の一員にはなれないのは明白だという。(3)の場合は、EBMカイロのみが主流医療に貢献することになるだろうと述べる。日本の視点で考える訴追、迫害の歴史を経て、カイロは社会的、行政的に認知され、法制度の確立に至った。大量訴追の歴史はアメリカ特有だが、迫害の歴史は、法制化を勝ち取った国では大なり小なり経験している。日本の場合は、多少の迫害を経験し「(4)合法の時代」でつまずいたまま固定化してしまったというところか。しかし日本にとっても、制度が整った国で「(5)機会の時代」にどこへ行くのか、ということは大きな関心事である。主流医療を目指す場合、現実的にはEBMカイロ以外に道がないようである。しかしEBMが求められるのは、医療行為の効果であって、背景のフィロソフィーではない。著者は一致団結して“科学的”になることを嘱望するが、それが果たしてカイロの魅力を増し、評判を上げると確信しているのだろうか。カイロが専門職としての法律を持つオーストラリアでは、カイロと理学療法などの業種との差別化があいまいになっても専門職の立場は揺るがない。しかしこの動きは、これからカイロ専門職の法律化を目指す国の状況をより困難なものにするだろうと思う。カイロ先進国がフィロソフィーを捨ててEBMカイロへの道に進むと、法制化以前のカイロ後進国では、カイロの他業種との差別化を説明しにくくなり、法制化の向かい風となるだろう。日本では、柔道整復師や理学療法士など他業種によるカイロ技術の吸収が今後も続くだろう。しかしどのような形でも、このすばらしい治療がより多くの臨床に生かされるのは、患者にとっては大変よいこととも言える。この向かい風がなかったとしても法制化は見果てぬ夢なのだから。(本紙編集部=櫻井京)

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