小柳公譽D.C.「すべては患者さんのための治療であれ」カイロプラクティックジャーナル

  小柳公譽D.C.「すべては患者さんのための治療であれ」

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<第11回>小柳公譽D.C.「すべては患者さんのための治療であれ」

   小柳公譽D.C.

今、注目の「シンクロ矯正法」。その考案者である小柳公譽D.C.にお話を伺うため、東京・町田の駅前にあるオフィスをお訪ねした。カイロプラクティック、鍼灸、あん摩マッサージ指圧、整体術、そのすべてを統合させ、患者のための治療を心がけながら、エネルギー療法を操る生粋の治療家である。その温厚な語り口からは想像もできないような、治療に対する凄まじいばかりの執念が感じられた。

斎藤:この2,3年、何かと依頼事ばかりで恐縮しておりますが、今日はインタビューということで、先生にいろいろなお話をお伺いしたいと思っています。よろしくお願いいたします。
まず、先生が中央(大学)の心理学科を卒業して、カイロプラクターになるまでのストーリーをお聞かせいただけますか?
小柳:卒業した当時は就職難で、文学部心理学科卒では就職のことなど、とてもまともには考えることのできない時代でした。60人ほどいた卒業生のうち、何人かは教師になったりしていましたが、ほとんど就職口がなく私は四谷の鍼灸学校に行くことにしました。
斎藤:心理学を学んでから鍼灸へ、何か特別な魅力を感じて入ったんですか?
小柳:若い頃にヨガをやっていて、その道場に鍼灸師や整体術の人とか、少林寺拳法の達人とか、体に関係する人が結構集まっていたんです。その中には、今話題の古武術家の甲野善紀氏もいましたね。余談ですが、彼とは10日間ぐらい一緒に寝泊まりし、2階から飛び降りるときの着地の仕方とか、一方手裏剣を畳に突き立てる投げ方とか、忍術を教わりました。
大学を卒業したとき、鍼灸、整体術、カイロプラクティック、オステオパシーなどという名前だけは知っていました。それでその頃は、日本で食べていくためには鍼灸が一番無難かなと思い、鍼灸の学校に入ったんです。しかし自分としては鍼灸一筋というよりは、むしろいろいろなものが混ざり合った、ゴチャゴチャとしたもののほうが性に合っていると思っていました。
夜は学校、昼間は鍼灸院のアルバイトに明け暮れていましたが、バイト料は月額3万円だったと記憶しています。それで勤め始めたら、その鍼灸院の院長が「いっそのこと、近くに引っ越して来たらいいじゃないか」とアパートを紹介してくれたのです。しかし、その家賃がなんと3万7千円。最初の3カ月は親から仕送りをしてもらっていました。3カ月が過ぎると見習いも終わり、給料も6万円になり、12万円になり。1年が過ぎる頃には30万円くらいになっていました。歩合ですから。
斎藤:学生では、まだ鍼が打てなかったのでは?
小柳:免許を持っている人の監視下であれば問題ありませんでした。
その頃のことなんですが、あるときギックリ腰の患者さんの治療をしていまして、その患者さんが思いっ切り私の肩にもたれ掛かってきたんです。何気なくそれを受け止めようとしたら、私がギックリ腰になってしまいました。患者さんは歩いて帰って行ったのに、今度は自分が歩けなくなってしまって。
それで、ある人の紹介で目白のカイロプラクティック治療院に行ったんです。普通のマンションの2階にあり、入ったら空手着に黒帯を締め、ランニングシャツ姿の怖そうな男性が3人いて、ぐりぐりと腰をやる訳です。今になって思えばディバーシファイドですよね。結局歩いて行ったのに、歩いては帰れなくなってしまいました。
斎藤:インチキ?
小柳:まあ下手だったんでしょう。私自身、腰を捻って鳴らす癖があったので、普通のレベルでは治療できなかったのかもしれません。それでまた友人に泣きついたら、今度は誰あろう当時、四谷駅前で開業していた加瀬建造氏を紹介されました。SOTのブロックを置き、操体法のようなことをやったら、骨盤がグリグリッと動くのが実感できました。来るときはバス停2駅を1時間かけて来たのに、帰りはスキップを踏むような感じで帰れたのです。そのとき、D.C.というのはこんなに凄いんだ、と。
それで、彼がセミナーをやっていたので受講することにして、半年ぐらい受けたんですけど、何を言っているのかさっぱり分からない。周りの人はみんな「うんうん」って言って盛んにノートを取っている。私は分からないからノートも取れない。これはもう、アメリカに行くしかない、と思い、1年ぐらい頑張って働きお金を貯めました。
小柳公譽D.C.

小柳公譽D.C.

斎藤:初めからアメリカだったんですか?
小柳:まず鍼灸仲間の紹介でハワイに行き、そこでいろんなことを調べ始めました。次にロサンゼルスに渡ってカイロプラクティックの大学に申し込んだら、「単位が足りません」と。自分は文系ですから。それで単位を取るために、近所の大学を10校以上申し込んだのに、どこもダメ! 最後の一つがダメだと分かったときには、さすがにヘナヘナヘナって。そこから胃が動かなくなって、水も飲めない、夜も眠れない、3日くらい飲まず食わず寝ずの状態になってしまいました。
とりあえず、もう一度クリーブランド(カイロプラクティック大学ロサンゼルス校)に行って相談してみようと。面接をしてくれた人が「まあ君は英語も話せるし、日本から持ってきた成績も問題ないから、サンフランシスコにあるプレ-カイロプラクティック・コースを受けたらどう?」と言ってくれたので、素直にサンフランシスコへ行ったら、そこでも断られ、まさに万事休す。
途方に暮れて、学校の前にある花壇の縁石にヘナッと腰掛けて呆然としていたんです。そうしたら1歳くらいの男の子が、ヨチヨチ歩きで近づいて来て覗き込むので、「うわぁー、かわいいね!」と持ち上げてあげたんです。後ろではお父さんらしき人がニコニコと笑っているんです。「君、ここで何をやっていたの?」って聞いてきたので、「今、ここの学校に入学を申し込みにきたら、留学生だからダメだと言われて困っているんです。」と答えたら、「う〜ん。ちょっと待ってて」と言って、男の子をダッコして学校の中に入って行ったんです。10分くらいすると戻ってきて「OK!」と言うので、「何がOK?」と聞くと、「入学OK。次の学期から来なさい。自分はここの副校長なんだ。その代わり特例だから一科目目の化学をパスできなかったらアウトだよ」、そういうことがあってやっと入学出来ました。
入ってから、化学を生まれて初めて英語で勉強しました。ほとんど分かりません。分からなくても、とにかく受講し続けました。毎週テストがあって、BとかCを行ったり来たりしていました。5、6週のコースで最後のテストは、全部丸暗記して行ったらAが取れたんです。続くあとの3つのコースも、やはり何を受けても分からなかったのですが、最後のテストではBかAが取れました。
全部通って、終わったのが12月27日で、年末も年末。「合格通知はクリーブランドに直接送るから、すぐ行きなさい!」と言われ、ロサンゼルスに戻ってクリーブランドに行き、「プレ-カイロプラクティック・コースをパスしました」と言ったら、「では1月2日から入学してください」。27日にプレ-コースが終わって、28日にロサンゼルスに戻り、1月2日から入学。なんと慌ただしい年末年始だったことか! サンフランシスコのプレ-コースで一緒だった120人ほどいた学生の中の、7人ぐらいがクリーブランドで同級生になりました。
斎藤:クリーブランドに入学されてからはいかがでした?
小柳:やはり英語で苦労しました。
斎藤:やはり、話すのと学ぶというのは全然違いますか?
小柳:違いますね。黒板に書いてある英語を写して本を読む、これはまだ分かります。きっちりと話してくれる授業は分かるんですが、雑談のような授業になると分からなくなってしまう。半年ぐらいはそんな状態でした。だから学校でとりあえず取れるノートは取り、聞き取れたのは単語でもいいから書き留め、あとは帰ってから教科書とか参考書で調べました。寝るのはいつも1時か2時。朝は6時に起きないと7時15分からの授業に間に合わない。だからいつも青い顔をして、寝ているんだか起きているんだか分からないような感じで車を運転して行きました。
1学期4カ月が終わったら全部合格できて、それでホッとして2学期目には、ようやく余裕が出てきました。半年が過ぎた頃には、あまり不自由することなくノートも取れたし、話は盛り上がらないけど、周りとも会話ができるようになりましたね。
斎藤:クリーブランドでの同期となりますと…
小柳:大学は1から10学期という風に数えます。毎学期入学があり、毎学期卒業があるわけです。私が入学して1学期生になったとき、8学期に(高橋)久人さん、(成瀬)隆ちゃん、6学期に慶応法学部出身で、今は大学で公衆衛生を教えている安達(和俊)さん、5学期に青山((正)さん、一つ上に日本生まれ育ちの中国人Dr.ロッキー・リーがいました。久人さんはほとんど毎日、私の家にご飯を食べに来ていましたね。安達さんも時々私のところに鍼を打ってもらいに来ていました。久人さんの学生クリニックでは私が患者第1号ですよ。その後、主席で卒業され、私の中の憧れでしたけど、なかなかなれるものではないですね。
あの頃は、カイロプラクティックをよくやりましたけど、自分の中では、整体術や接骨術など代替医療を統合したもので、アメリカのカイロプラクティックが超えられるのではないかと考えていました、特に日本で。カイロプラクティックだけなら、アメリカがNo.1、日本がNo.2にどうしてもなってしまいます。あん摩マッサージ指圧など、患者さんにとって非常に効果の高いものも受け入れながら、カイロプラクティックと併せて発展させていきたいという思いがありました。
斎藤:前回のこのコーナーで松久正さんに登場していただいたんですが、彼はガンステッドを日本から発信しようと。日本人の高い精神世界に対する素養を組み入れれば、日本からより質の高いカイロプラクティックが発信できるはずだ、と
小柳:ガンステッドを日本から発信するとなると、ハードルはかなり高いんじゃないかなと私は思いますね。ガンステッドは素晴らしいと思いますが、日本の患者さんにある程度理解して来ていただくとなると、全体の1割ぐらいになってしまうのでは。本場のガンステッド・クリニックみたいにアメリカ全土から患者さんが飛行機で乗り付けるような発展はなかなか難しいんじゃないかと感じますけど。
斎藤:いろいろ、諸々あるものすべてを代替医療と仮定したときに、先生がやられているエネルギー治療も代替の枠で捉えてよろしいのですか?
小柳:私自身はそういうイメージでいます。
斎藤:エネルギー治療により、良い結果が出るとそこから離れられなくなる。結果だけがどんどん一人歩きをしてしまいます。本来、それで良い結果を出すためには、カイロプラクティックやいろいろな治療がベースにあってのことなんですよね?
小柳:患者さんにとって、効果があるものは取り入れていく。私にとってはカイロプラクティックも治療におけるワン・オブ・ゼムでしかないんですよ。ただ、カイロプラクティックが原点であってもいい訳で、私がセミナーの中で、カイロプラクティックのオーソドックスなテクニックを教えるのは、出発点をしっかり忘れないで欲しいためです。
ただ、エネルギー治療の説明は非常に難しい。私自身もうまく説明ができません。
斎藤:一つのテクニックを究める、追求するというのは?
小柳:一つだけのテクニック、考えで、というのは私の中にはありません。いろいろなエネルギー治療をカイロプラクティックに応用できればいいかなと思います。アメリカでカイロプラクティックの勉強をしてきた人たちは、言葉は悪いですが洗脳されて帰ってきます。アメリカ人特有の傲慢さをきれいな言葉に言い換えて教育をされ、洗脳されてしまいます。5年、10年ぐらいはその洗脳が日本に帰ってきても解けない。しばらく頑張ってやっていると、どうも違うのではないかと気づき始めます。20年ぐらいやっていると、ずいぶん浅いところでやっていたなと分かります。若いカイロプラクターたちが「それってカイロプラクティックですか?」と。でも、「それがどうした!」という感じです。私自身、鍼灸師であり、あん摩マッサージ指圧師であり、整体術師であり、カイロプラクターですから。
斎藤:それでは、いよいよ先生が考案された「シンクロ矯正法」についてお聞きします。「シンクロ矯正法」のイメージはいつ頃からあったんですか?
小柳:カイロプラクティックで頭蓋骨調整をやっていたのですが、100%の結果が出ない。やはり10%ぐらいはどうしても治らない。Dr.シュレットの「四肢のテクニック」もそうですが、関節を動かせばいいのかって言うと、そこから先がないんですよ。カイロプラクターは骨しか診てなくて、筋肉とかを見ているのはAKぐらいですよね。
あるとき、足を触診していたら、骨盤が整った瞬間があったんです。「あれっ、今どうやったんだろう?」。次に、足首をキューッと曲げてみたら、骨盤が治ってしまうんですよ! 今までのサイドポスチャーのバキッというのはなんだったんだろう、と。じゃ、今度は横の動きが違うから足首を捻ったらどうなの? 伸ばしたらどうなの? ってやっているうちに骨盤だけはすぐにできたんです。「腰椎はどうやったら動くんだろう?」と、あちこち捻っていたら、「あれ一個動いたな」「今、どこをやったんだっけ?」「中足骨やったら、腰椎動いたぞ!」。
ひとつひとつやって、恰好がつくのに2年ぐらいかかりました。8割ぐらいできたところで、安藤(喜夫)D.C.のメモリアル・セミナーで発表したんです。
斎藤:あのときは「シンクロ」とは名乗ってませんでしたよね?
小柳:そうですね、まだ名前はつけてなかったんです。しかし、参加者からの反応はかなり良かったですね、特にベテランの方々には。
斎藤:分かるような気がしますね。先ほどの話にもでましたが、新しい方たちはカタチから入りたがりますからね。
小柳:その後、「できたら全部教えてくれませんか?」というリクエストがあって。これが結構多かったので、「連動法」という名前で、PAACやMCC、その他でも1、2回やりました。
斎藤:MCCのときの「連動法」はこれだったんですね。
小柳:MCCでは「指の末節骨を捻ると経絡の流れをコントロールできる」など、結構内容の濃いことを言っていたんですが、なかなか理解してもらえなかったですね。
斎藤:DVDになった経緯というのは?
小柳:ジャパンライムの方が、町田の自分の治療院まで来て「先生のやっているテクニックをDVDで紹介したい」と。でも、私がやっている治療は既に、他の先生方からDVDになって出されている。SOTは許可を取るのが難しい。
「連動法というのがあるんだけど」と言ったら、既にDVDで出ていると、カタログを見せられました。運動連鎖です。他にも連動操体法なんていうのが既に出ていたんです。自分の方がずっと前からやっているのに、何か二番煎じみたいで。とりあえず中身を見せてもらったら、内容は全然かぶってないんです。ネーミングの問題だけだったので友人に相談したら、即座に「シンクロですよ!」って。「シンクロ・アジャスティング?」違うな。「シンクロ・テクニック?」違うな。「矯正法でいいじゃないですか?」ということで、10分ぐらいで決まったのが「シンクロ矯正法」です。結構気に入っています。このネーミングで結構みんなの耳目を引き寄せられるかな、と。
DVDになったら早速、四谷の鍼灸学校の先生がわざわざ訪ねて来てくれました。「鍼灸の理論」とか、「アナトミー・トレインのアイディア」とか一つ二つ重なるようなアイディアがあるんで、それを参考にさせてもらって充実させていければと考えています。手技療法というのは、簡単で効果のあるものが広がっていきますから。
斎藤:先生自身のこれからの講習会やセミナー活動は、カイロプラクティックのテクニックや、シンクロなど両方をやっていかれるのですか?
小柳:私自身はシンクロ一本で、そこから発展させたいですね。カイロプラクティックのテクニックもやるでしょうが、今までのようなことはあんまりしないだろうと思います。私の興味は今シンクロに向いています。
斎藤:先日の岡井(健)先生のセミナーでは、先生とのジョイントがありました。このアイディアは前から思っていたんです。岡井先生+小柳先生ということで。若い人はどうしても直接的なアジャストが好きなんです。それは「効いたか、効かないか」じゃなくて、カタチが「できたか、できないか」なんです。治療家としてこれからやっていくのなら、もっと許容を広く持たなくてはならない。先生の講演は彼らにも参考になったと思います。
小柳:キャリアが増えれば増えるほど、患者さんが望んでいるものが分かってくる。それが、本当に鮮やかなアジャストなのか。治ること、治すことが最も大切なことです。痛くなく、辛くなく、そして素早く治ることです。流儀、流派、哲学なんかどうでもいいってことです。ストレートだろうがミックスだろうが、二番煎じだろうが、少ない回数で、痛くなく見事に治せればいい訳です。やる前から患者さんに哲学や教育をするっていうのは違いますよ。「なんでもいいから、痛いんだから早く治してよ。話は後で聞くから」これが患者さんの本音です。
斎藤:カイロプラクティックには「イネイト」がありますよね。施術をした後に「私が治しているわけじゃないんです。あなたのイネイトが治すんですよ」と言う方がいらっしゃいますよね。
小柳:私はカイロプラクティックを標榜していますけど、今は全然こだわっていません。こだわっていたら、患者さんが私に下さっている今の評価はなかったと思います。日本一のカイロプラクターはどなたかにお任せして、私は日本一の治療家を目指したいという感じですよ。
斎藤:では、これから治療家を目指す人たちに「カイロプラクティックをこうやれ」ではなく、カイロプラクティックをきっかけに「こうしたらどうか?」というようなお考えがありましたら。
小柳:やっぱり自分たちの考え、都合で治療を組み立てるんじゃなくて、患者さんが何を求めているかを第一に考えたら自然にやり方って出てくると思うんです。ほとんどの患者さんは「痛いのは止めてっ!」って言うでしょ。そんなの関係なく、バキッとやるのはこっちの都合であって、患者さんの都合じゃないですからね。
だから私は患者さんが何を望んでいるかを、ちゃんとこちらから聞く用意をしています。アジャストがダメなときでも治療できる引き出しを持っています。だって「アジャストがダメ」って言ったらカイロプラクターは困るでしょ?
斎藤:心理学を学ばれ、そのあと鍼灸、あん摩マッサージ指圧、そしてカイロプラクティック。今が先生の集大成の時期みたいですね。
小柳:そうですね。カイロプラクティックだけじゃなく、いいものはいっぱいあるし、カイロプラクティックと共通なものもいっぱいある。カイロプラクティックだけが一番と思っていたら完成するものもしなくなります。
斎藤:最後になりますが、先生が現在の考えになられたターニング・ポイントはどこだったのでしょうか?
小柳:カイロプラクターになって、頭蓋骨の指導員を取って、一生懸命やっても治らない人がいっぱいいることが分かった頃からです。10年くらいやって「言っていることに結果が伴ってこない」と。これはアメリカと日本の違いなのか。最初はそう思っていましたけれど、そうじゃないですよね。やっぱりあれだけ力説をしているのは、そうじゃないから力説しているんだろうな、と気付いたのが10年目ぐらいからです。
斎藤:そのときは、鍼灸、あん摩マッサージ指圧からのアプローチは考えなかったのですか?
小柳:そうですね。鍼灸っていうのは気を感じ取れないとダメなんです。当時、私は気を感じ取ることができなくて、ただ解剖学的、神経学的な鍼灸でしたから。
カイロプラクティックでは指導員にもなり、セミナーもたくさんやりました。それでも、カイロプラクティックを怖がって近寄って来ない患者さんが余りにも多いことも問題でした。それに自分の患者さんで、5年経っても10年経っても治らない人だけが残っていく。できる技術は全部試している訳です。でも治らない。なんで治らないのかっていうと、それはカイロプラクティックに限界があるからです。今なら一言で言えてしまいますけど。当時は、日本に帰ってきて10年を過ぎた頃、「ひょっとしたら何か見落としがあったのではないか」「まだ何かあるのではないか」と随分と葛藤しました。そして、その頃PAACでも人前に立つのを止めたんです。
そしてたどり着いたのが、どうも手足のほうをやらない限りは本当の意味で治らないんじゃないかという考えです。一般的な手足のアジャストじゃなくて、手足から全身を変えられるっていう発想です。今は結構同じような考えの方はいらっしゃいますが、当時はまだまだ少なかったです。
斎藤:うちで毎年セミナーを行っている先生に、ケリー・ダンブロジオというオステオパスがいるんです。この先生がエネルギー療法を含めた様々なオステオパシー・ワークを操る人なんですが、ボディトークとか、とにかくいろいろなアプローチをしながら、患者さんと上手く適合していこうという考えなんです。先ほど先生がおっしゃっていた“足”もそうなんですが、「ほら、こうして触ってごらん」と手を置くとやはり動くんですよ。骨がどうだとか話してもたぶん分からないことが、「これは繋がっているんだよ」と話されると分かるんですよ。体を全体で捉えていることを目の当たりにすると、「なるほど!」と思いましたね。今日、先生のお話を伺っていて、共通するところが多いと思いました。
20代半ばから、カイロプラクティックと30年付き合い、今イメージが固まってきたな、っていういい感じですね。
小柳:そうですね。若いD.C.からは後ろ指を指されるかもしれませんが、患者さんのことを思えばきっと私が目指している方向のほうがいいんだろうなと思いますよ。小柳カイロプラクティックの看板を下ろさなくては。
斎藤:今だって「ウェルビーイング研究所」ですよ。
小柳:ここに引っ越してからずっとそうでしたね。カイロプラクティックと思ったことは全くないんです。

斎藤:今日は長い時間、本当にありがとうございました。「シンクロ矯正法」の普及に向けて、うちがお力添えできることがあれば、なんなりとおっしゃってください。これからの益々のご活躍を期待しております。

小柳公譽D.C.

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