碓田 拓磨D.C.「姿勢教育塾とカイロプラクティックカイロプラクティックジャーナル

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<第3回>碓田 拓磨D.C.「姿勢教育塾とカイロプラクティック

  

今回の「この人に会いたい」は、4月17日から我が社の会議室で、姿勢教育塾ベーシック・コースの講師を務めている碓田拓磨さんです。早稲田大学社会科学部卒業。広告の営業マンを経てパーマー大学に留学。現在は虎ノ門カイロプラクティック院の院長として活躍。また、フィロソフィー・ナイト(今年からソウルナイト)では、軽妙なトークで名司会役としてご存知の方も多いかと思います。カイロプラクターが説く姿勢とカイロプラクティックの密接な関係に迫ってみたいと思います。

斎藤:大学在学中からカイロプラクターになろうと思っていたんですか?
碓田:全く思っていませんでした。それよりもカイロプラクティックという言葉すら知りませんでした。
斎藤:では、カイロプラクティックとの出会いは?
碓田:3年のとき、保健体育で甲木昶(かつき・ひさし)先生の授業を受けたときに初めてカイロという言葉を聞きました。講義の中で「カイロ?」とか「甲木先生のやっているカイロって、一体どんなものなんだろう?」というような興味はありました。あるとき、スポーツをやって首を痛めてしまい、授業が終わってから先生に相談したら、「そこに寝てごらん」と言われて首のアジャストを受けました。すると、一気に回復が早まったという思い出があります。それから、長野の両親がいつも「腰が痛い。腰が痛い」と言っていたので、甲木先生のオフィスを紹介したら、「急激に良くなった」と凄く感謝されました。
斎藤:ご両親はわざわざ長野から出て来られて、渋谷の甲木先生のオフィスに行かれたんですか? 近くの柔整とか他の治療法は勧めなかったのですか?
碓田:自分が受けた治療、カイロプラクティックをまず考えました。カイロプラクターは甲木先生しか知りませんでしたから。
斎藤:大学を卒業されて、リクルートに就職されましたよね。その後、「天の啓示」がありカイロプラクターを目指されたわけですが・・・
碓田:まず、甲木先生に相談に行ったら、「本気なのか?」と聞かれ、「それならアメリカへ行ってDCの称号を取って来い」と言われ、アメリカ行きを決意したのですが、そこからが大変でした。
碓田 拓磨D.C.

碓田 拓磨D.C.

斎藤:いままでに。「道を間違えたんじゃないか?」とか、やっぱり「間違っていなかったんだ!」という風に感じたことは?
碓田:間違ったとか、後悔するとかいうことは、いまだかつて一度もありません。アメリカに行こうと決心した最後のときに、背中をポンと押してくれたものは「ここで行かなかったら、何年後かに必ず後悔する」という確信めいたものが頭の中にあったんです。それ以降、現在に至るまで「失敗したな」というような思いは一度もないです。
斎藤:勉強は大変じゃなかったですか? 挫折の不安はなかったのですか?
碓田:勉強は大変でしたよ。むしろ「試されているな」という気持ちで臨みました。そもそも行くときからビザはスムーズに下りない。アメリカに行けないんじゃないか、と思いました。申請したら突き返されるわけです。やっと行ったアメリカでは、文系出身でしたから、まず化学、物理、有機化学、生物の4つの単位を取らなくてはなりません。やっとのことでパーカー大学に入学することができました。結局、そういうことも含めて「試されているな」と思いました。でも「もうダメだ」と思ったことはなかったですね。
斎藤:よく、本当にぶれずに、全くダブらずにいけましたね?
碓田:ええ、スレスレでしたけど、単位はなんとか落とさずにいけました。確かに、頑張ってもなかなか取れない人もいました。結果、「あれだけやってダメだったら、仕方がないな」と思っていました。僕の場合は、一緒のクラスメイトにすごく恵まれました。「彼らと一緒に卒業したい!」という気持ちを強く持ちました。彼らにわからないところを聞いたり、一緒に勉強するような機会を設けてもらいました。彼らもきっと、僕を救おうとしてくれたんだと思います。「お前と一緒に卒業するから」と言ってくれました。例えば「こういうところが試験に出るはずだから、勉強しとけよ」というようなアドバイスをしてくれました。
斎藤:アメリカ人ですか?
碓田:香港生まれのカナダ人とスペイン人の2人と、それとタカさん、齋田君。この4人が勉強仲間でした。
斎藤:卒業式のとき、名刺を放り投げました? 学生クリニックでは当時、250人か300人の患者を診なければいけなかったと思いますが、それをクリアするのはどうでしたか?
碓田:名刺はやりました。当時、たぶん300人だったと記憶してますが、間違っていたらゴメンナサイ。僕はインドに行ったんです。それで100人分を認めてもらったのが、もの凄く助かりましたね。
斎藤:それはミッション・トリップだったんですか?
碓田:そうです。
斎藤:そのミッション・トリップが100人分カウントされるんですか?
碓田:そうです。実際に100人以上を余裕で診てましたから、それは問題なかったです。
斎藤:残りをパーマーのクリニックで?
碓田:そうです。
斎藤:岡井先生のクリニックには卒業されてから行ったのですか?
碓田:いえ。10学期までが学生クリニックなんですが、9学期まで所定の数をクリアすると、10学期目にインターンとして外部のクリニックに行くことができました。クリニックが始まった時点で、岡井先生の評判を聞いていましたので、思い切ってお願いしたところ、快く引き受けてくださいました。なんとしても「岡井先生のクリニックで働きたい」と思いましたから、9学期が終わるまでに稼げるだけ稼ごうとインドにも行きました。ちょうど両親もアメリカに自分の様子を見に来たいというので、僕の施術を受けてもらい、カウントとして数えてました。
斎藤:卒業後、アメリカに残ろうという考えは無かったんですか?
碓田:それは毛の先ほども全くなかったですね。とにかく、すぐ戻ろうと考えました。一つには、「日本でカイロプラクティックを普及させたい」というのが、そもそもの僕がこの道に進む理由でしたから。それと言葉にコンプレックスを持っていたのも、理由の一つです。
斎藤:言葉のコンプレックスがあって、よく英語でスペイン人とか香港生まれのカナダ人とコミュニケーションできましたね?
碓田:彼らは僕が英語が下手だということを知っていたので、自分に合わせて話をしてくれますし、僕の言わんとしていることも理解してくれたんです。しかし日常生活、ましてや患者さんと接して自分の言いたいことが伝えられない、患者さんが言いたいことが理解できない、というのは、自分にとっては非常にストレスになります。言葉の問題は非常に大きかったですね。
斎藤:百年祭のときはアメリカにいたんですよね?
碓田:アメリカにはいましたけど、百年祭には行っていません。岡井先生が百年祭のときに、パーマー大学で日本人学生たち全員にご馳走をしたというエピソードも、あとから聞きました。僕が初めて岡井先生に会ったのは、カイロの大学選びをしていた頃です。カリフォルニアで、カイロの大学に入るために必要な理科系科目を取得しているときに、ある人を頼って、ロサンゼルスで開業されている上村先生に連絡をさせていただいたんです。そしたら、当時、僕が住んでしたサンノゼの近くに、「岡井先生という先生がいるので行ってみたら?」と言われて、岡井先生に電話をして会いにいったのが最初ですね。
斎藤:その頃は、岡井さんは開業して間もなくだったんじゃないですか?
碓田:そうだったのかな。サンマテオのクリニックでした。当時開業してどれくらいかという話は聞いたと思います。97年の6月か7月だったと思います。
斎藤:97年の6月というと、日本ではWFCの世界大会が大々的に開かれたんですけど、上村さんや岡井さんは日本に来られてたんじゃ?
碓田:おそらく岡井先生は日本には来てないと思います。世界大会が日本であるというのは、アメリカでも聞いてました。でも自分には日本行きの誘いはありませんでした。
斎藤:アメリカから日本に帰って来られて、一番最初に甲木先生に報告にいったんですか?
碓田:そうです。帰国後は、甲木先生のオフィスで修行させていただくことになっていたんで、挨拶に行きました。
斎藤:帰国されてどのくらいで、現在の虎ノ門カイロプラクティック院を開業されたのですか?
碓田:3月初めに帰国し、その年いっぱいの12月まで甲木先生のところで修行させてもらい、翌年の2月22日に開業しました。
斎藤:虎ノ門で開業するというのは、初めからイメージにあったんですか?
碓田:虎ノ門は最期の最期でした。日比谷から探し始めて、銀座、そして虎ノ門という感じでした。
斎藤:開業され、すぐに患者さんは順調に来られましたか?
碓田:人並みだったんじゃないか、と思います。何週間も「誰も来なくて困った」という状態はなかったです。ただ、「もっと来るかな」とは正直思っていました。「一応アメリカまで行って勉強してきたんだ」という自負はありましたから。
斎藤:日本では、まだ理解されていないということがありますからね!
碓田:そうですね、それが本音と言えば本音です。
斎藤:その後の活躍は、私もフィロソフィー・ナイトなどでご一緒して見せていただいていますが、帰国後の院外活動というのは早稲田が中心だったのですか?
碓田:そうですね、院外活動としてはそれしかなかったですね。僕が開業したのが2月で、その1ヶ月半後の4月にいきなり甲木先生の後任として任されました。開業とほぼ同時のタイミングで院外活動を始めたんです。さらに2年経って社会人に教えるようになりました。それが、その後の姿勢教育塾に繋がるわけです。

姿勢教育塾セミナー風景

斎藤:なるほど。それでは、そろそろ今日の本題、カイロプラクティックにおける姿勢と健康についてお聞きしたいと思います。まず、姿勢教育塾のことについて、もう少し詳しく教えていただけますか?
碓田:はい。そもそも姿勢教育の必要性を長年訴えてこられた甲木先生が中心となって立ち上げた講座です。平成16年だったと思います。そして平成17年に講座がスタートしました。目的は、姿勢の大切さを理解するだけでなく、姿勢の指導ができる人材を育てるということがあります。カイロプラクティックとの結びつきで言うと、サブラクセーションが起きにくい体にするために、姿勢の指導が重要だっていう考えが自分の中に強くあるわけです。そして、研究すればするほど、姿勢の大切さが身に沁みてわかったのです。
斎藤:それで、カイロプラクターでありながら、姿勢のことも、と。
碓田:そうですね。どうしてこんなに大切なことが世の中に知られていないんだろうと。
斎藤:今までどんな方が受けられてきたのですか?
碓田:カイロプラクター、柔道整復師、鍼灸師、ヨガのインストラクター、リラクゼーションサロンの経営者、養護教諭(保健室の先生)、それから会社員、主婦、学生などです。そうそう、フェイスストレッチングのインストラクターもいました。
斎藤:主婦の方だと、難し過ぎたりしませんか
碓田:はい。易しくはないと思います。それでも皆さん頑張ってついて来てくれました。60歳を過ぎた主婦の方も受講されましたから。でも、そのような方たちは非常に勉強熱心でした。毎回プリントに沿って授業をするのですが、その方のプリントは予備校生の参考書のように、書き込みやアンダーラインがビッシリしてありました。
斎藤:へー、そうですか。でも、主婦の方たちはそれで収入になるわけではないですよね。
碓田:そうなんです。その方たちは収入とかではなく、自分の姿勢を良くしたいということと、将来を考えた時に、少しでも周りの人の役に立ちたいという気持ちが大きいんです。
斎藤:逆にプロの方たちの反応はいかがでしたか?
碓田:そうですね。第4期生と第5期生に関しては、プロの方が多かったですね。中には開業25年で、姿勢についても研究を続けてこられた先生もいらっしゃいました。詳しくは姿勢教育塾のホームページにある、受講生の声を読んでいただきたいのですが、皆さん、早速日々の臨床に役立ててくれているようです。日々の臨床に役立てていただく中で、じわじわと姿勢の大切さが広まってくれたらいいですね。そうそう、講座では、人に伝えるための練習にも力を入れています。
斎藤:具体的には?
碓田:2人1組になって、姿勢のアドバイスをする練習をしたり、ちょっとした集まりでの講演やワークショップを想定したスピーチの練習などもします。
斎藤:スピーチの練習ですか。受講生は嫌がったりしませんか?
碓田:そう思われますよね。でも、講座の終わりに感想を聞くと「スピーチは非常に勉強になった」と言ってくださる方が多いんですよ。
斎藤:姿勢教育塾は次回(9月スタート)、第6期となりますが、これからのことで、こうしていきたいというようなビジョンがあれば、お話しいただけますか?
碓田:姿勢教育塾50年構想というのを考えています。50年後には姿勢の悪いお年寄りがいない世の中を作ろうと。実際にゼロにすることは不可能でも、それを目指そうと。そのためにコツコツと姿勢教育指導士を増やしていきたいと思っています。これからも、東京ならびに、他の都市でも開講していきたいと思っています。最終的には小学校、中学校、高校で保健体育科目の一環として姿勢を学んでもらう。そんな風に姿勢教育を日本に根付かせたいと思っています。
斎藤:それは壮大な計画ですね。
碓田:自分のライフワークだと思って頑張ります。
斎藤:最後に、碓田さんの考えるカイロプラクティックにおける姿勢と健康について、思いっ切り語っていただけますか?
碓田:はい。僕はカイロプラクターなので、サブラクセーションをアジャストするために技術を磨いたり、知識を増やしたりしていくのは当然これからもやっていきます。そのことを踏まえた上であえて言わせていただくと、サブラクセーションをアジャストする技術がどんなに上達しても、本当はサブラクセーションが起きないに越したことはないはずです。サブラクセーションが起きにくい体にするということは、できてしまったサブラクセーションをアジャストすることと同様に大切だと思うのです。だとしたら、我々カイロプラクターは、サブラクセーションが起きないようにするための指導もできなくてはいけないと思うのです。もし、起きてしまったサブラクセーションをアジャストすることだけがカイロプラクターの仕事であるとするなら、結局カイロプラクティックも、サブラクセーションに対しては対症療法になってしまいます。それでいいと言われてしまえばそれまでですけど。そこで、僕はサブラクセーションを起こしにくい体を作るために、姿勢の大切さを訴えていこうと。それが、僕に与えられた使命であると思っています。
斎藤:第5期の姿勢教育塾は私どもの会議室をお使いいただいたわけですが、初めは私も役得でタダで聞かせていただこうかな、などと安易に考えておりました。しかし、最初の講義のときの皆さんの様子を見て、そんな安易な気持ちで同席していたら罰が当たると思い、それ以降は様子だけ見させていただくことにしました。大学の講義のような雰囲気と試験の適度な緊張感、また懇親会の開催のタイミングが絶妙で、同期の人たちが本当に仲良くなりますよね! 第6期も引き続き我が社をお使いいただくわけですが、早く入りきれないほどの受講生が集まり、常設の教室ができたらいいですね! 今日はお忙しい中、本当にありがとうございました。
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